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エピローグ
青く澄み渡った空を、二羽の白い鳥が仲良く飛んでいく。
オレはその光景をぼんやりと眺めながら、手にした白い陶器の――コーヒー用のマグカップを磨く。
そして一つ、小さく嘆息した。そのことがばれて後でうだうだと文句を言われるのはごめんなので、あくまでひっそりと。
……暇だ。
こんなことを口に出すと思いっ切り包丁の柄か何かで後頭部を陥没させられそうなので、口には出さない。口には出さないが、確かにそう思う。
冬の昼間の喫茶店というのは、いつもこうなのだろうか?
ふとそんな疑問が、頭をよぎる。いくら空が澄んでいても、いくら鳥が空を舞っていても、いくら後三週ほどで暦的に冬が明けるとしても……それでもやはり、外は寒い。厚手のコートなしでは外になんて出られるものじゃないし、第一用事でもない限り外になんて出たいとも思わない。暖房の効いた室内でぬくぬくとみかんでも食べているのが一番だ。……おそらくみんな、同じ考えなのだろう。じっと外を眺めていても、人なんて滅多に通らない。たまに見かけるのは、食事の買出しに出かける主婦ぐらいなものだ。そう考えてみると、主婦というのはたくましい生き物である。尊敬しなければならない。尊敬されるついでにここに寄ってくれると、オレとしてはさらにポイントアップ。
コトン。
オレは磨き終えたマグカップを食器棚の中に戻すと、そこ――カウンター越しにある厨房のイスに腰掛けた。別にさぼっているわけじゃない。やることがなくなった。それだけのことだ。
ここは『モーント・デア・ターゲースツァイト』。オレの近所の例の公園の北口を出てすぐそこ――徒歩でいうと約五秒のところにある喫茶店だ。誰にでもわかるようにもっと簡単かつ端的に、そしてちょっと具体的な比喩なんかをまじえて言い表すならば、公園と一つの道路を挟んで向かい側にあるいかにも子供連れの奥様方、または純粋さを装って公園デートなんかをしているカップル狙いの喫茶店が、まさにそれだ。
外見は例のごとく、赤レンガが基調。ドアや窓枠には、黒く塗られた板が使われている。角地だからか、そのドアは角をきれいにやすりで削ったようなところに取り付けられており、その上には金色の小さなベルと、店の名前が書かれた板がぶら下がっている。
いつもなら、客の多い店だ。常連と言えるような人も、いないわけではない。ただこの冬の寒い日に、たかだか茶を一杯飲みにやって来るほど熱烈なファンはいない、というだけのことだ。
まあとにかくそういうわけで、現在客のいない冬の喫茶店に日雇いアルバイトとして勤めているオレは今、滅茶苦茶退屈している。だからと言ってさすがにルーヴィスの顔は見たくないが、退屈しのぎに何か一騒ぎほしいなどと思い始めているのも事実ではある。
「ねえ、ダルム」
オレ同様現在の状況に滅茶苦茶退屈しているような声が、隣からした。
「ん?」
実際そうすることすらも面倒くさかったのだが、これといって他にすることもないのでとりあえずそちらに顔を向ける。
そこには女が一人、オレと同じようにイスに座っていた。
「今日……ルーンは来ないの?」
女はカウンターに頬杖をついてぼけっと店の外を眺めたまま、やる気のない今にも眠ってしまいそうな声で言う。
彼女の名前はイエナ・アンベルク。この喫茶店の住み込み従業員にしてオレの現在の雇い主兼マスター代理である。どうしてマスター代理かと言うと、本物のマスターは今現在ぎっくり腰のため店の二階――彼女たちの家で休養中だからだ。ちなみにマスターは、彼女の叔父にあたる五十過ぎの男性である。普段は元気なマスターだが、最近病気やら何やらで店を――店自体はイエナがいるから休みにはならないが――休むことが多い。おかげでオレは仕事が増えるのだが、昔からマスターとは縁があったこともあって、あまり喜んでもいられない。複雑な心境だ。
深い湖のような蒼い瞳でじっと外を見つめている、オレの言葉を聞いているのかいないのかもわからないようなイエナに、オレは多少投げやりな感じで言った。
「……来ないだろうな。今日は家族でネッカーに行くとか何とか、言ってたから」
ネッカーというのは、ここイザールから汽車で六時間ほど行った先にある、白い石造りの美しい町である。オレとしてはちょうどこの前の秋にちょっとしたごたごたがあって、あまり良い思い出のある町ではない。はっきり言って死にかけた。
イエナはオレのその言葉を聞くと、ぷうっと頬を膨らませた。……言い忘れていたがこの女、ルーヴィスと同い年で二十二歳のはずである。
「あんたが来ればルーンやエルも来るだろうと思って雇ったのに。……この給料泥棒め」
「お前……オレは単なる餌ですか?」
本当ならもう少し語調強めに言いたかったのだが、このゆるゆるとした場の雰囲気がオレのやる気やその他諸々を奪っていく。
会話がなくなり、場を沈黙が支配する。しかしそれは重苦しいものではなく、どこか心地いい沈黙だった。昼間で、しかも室内が暖房でちょうどいい温度に保たれているからだろうか。少しずつオレの体を、眠気が支配していく。
「あ」
オレの意識の向こう側で、イエナがつぶやくのが聞こえた。
「お客」
「見つけましたわダルム様あああっ!」
「…………」
オレはそのキンキン声に、ゆっくりと頭を持ち上げる。カウンターを越えてドアのところに、見慣れた人影があった。
「ダルム様、そこの女は何ですのっ!?」
「……寒いから、中に入るか外に出るかどっちかに……って言うかとにかくドアを閉めてくれ」
はじめてイエナと顔を合わせたときのルーンと同じ反応をするロットヴァイルの言葉を無視して、オレは自分の用件を言った。外から冷たい空気が流れ込んできて、とにかく寒い。
イエナの冷たい視線が、オレに突き刺さった。
「……何? ダルムのお客様? ……ごたごたなら、外でやってね」
しっしっと虫でも追い払うような仕草でイエナは言う。安心しろ。言われなくてもそうするよ。
オレはイスから立ち上がると厨房から出てロットヴァイルのほうに歩み寄った。ロットヴァイルは不機嫌そうに、赤い目をつりあがらせている。
「……あの女は?」
「ただの依頼人(クライアント)だよ」
「……そうですの」
口ではそう言っているが、信じきってはいない目だ。ロットヴァイルはオレに道を空けながらも、じっとイエナを睨みつけている。
「大丈夫よ。本当にただのクライアントだから」
「…………」
イエナがほんわかと笑み(ばればれの作り笑い)を浮かべて言う。ロットヴァイルはそれには何も答えずに、だがイエナから顔をそむけた。オレに続いて、外に出る。
「寒っ」
外に出たとたん、オレは思わずその寒さに身を縮ませる。
外で待っていたのか、ナウエンがロットヴァイルが外に出たのを確認してドアを閉めた。そんなことには目も向けず、早速ロットヴァイルは胸の前で腕を組んでふんぞり返る。
「そんな格好でいるから寒いのですわ」
さらにはんっと鼻を鳴らす。ざまあみろとでも言いたげな目だ。
まあ確かに、オレはそんなことを言われても仕方ない格好をしている。白い長袖のシャツの上には茶色のベスト。履いているのはそれと同色のズボン。お世辞でも生地が厚いと言えるようなものではない。さらには襟元に同色の蝶ネクタイ。はっきり言って、これを着たまま冬に外に出るなんて自殺行為だ。まあ、喫茶店の従業員服なんて元々そういうものだ。何も上に羽織らずに外に出てきたオレが悪い。
そんなオレに、ロットヴァイルは口元に嫌な笑みを浮かべて言う。
「わたくしの下僕になれば、こんな寒い思いはしなくて済みますわよ?」
オレは嘆息する。最近ずっと、こんな調子だ。
ルーンを誘拐してオレを呼び出して、突然下僕になれなどとわけのわからないことを当時(オレは)初対面だったロットヴァイルが言い出した、例の騒ぎからすでに三週間。オレはちゃんと下僕にはならないと言ったはずなのだが、ロットヴァイルはどこでどう取り間違えたのか、オレの「相手をしてやる」という言葉に下僕への希望を見出しているらしい。まったく、はた迷惑な話だ。
そしてほぼ毎日、こういう風にオレのいるところを探し出しては突っかかってくる。……まあこれも後三週ほどで見納めかと思うと、ほんの少し寂しい気がしないでもない。ロットヴァイルは春には中部に帰る。
オレは腕をさすって寒さに耐えながら、すでにお決まりのセリフとなりつつある言葉を口にする。
「何度も言ってるだろうが。オレは下僕になんかなる気はない」
「いつまでそう言っていられるかしら?」
自信満々な様子で、ロットヴァイルが言う。オレには、その自信が一体どこから湧いて出てくるのか不思議でならない。
突然後ろから声がした。
「あれ? ダルム、何やってるの?」
振り向くと、そこにはエルがいた。ナウエンはただでさえ広くて顔が見えない帽子のつばを下に引っ張ってさらに顔を隠そうとする。どうやらルーヴィスには自分のことを知られたくはないらしい。何でかは知らないけど。まあとにかく、おしゃべりさんで尚且つこういう話題が大好きなエルにナウエンの素性がばれると確実にルーヴィスにもばれるということで、ナウエンはエルには極力近づかないようにしている。
エルがオレの向こうにいる人物に気がついたのか、顔色をぱあっと明るくして言った。
「あ、ロットもいたの?」
その言葉に、ロットヴァイルがピクリと眉を動かす。長いからと言ってエルはロットヴァイルのことをロットと呼ぶのだが、ロットヴァイル自身はどうもそれが気にいらないらしい。
「馴れ馴れしく呼ばないで下さらない? エルさん」
「いーじゃない、別に」
「よくありませんわ。こんな一般庶民にこう馴れ馴れしくされては、わたくしの威厳というものが……」
云々とロットヴァイルは喋っているが、エルはまったく聞いていない。元々こいつはそれほど難しくはない話でもすぐに難しいと決め付けてさっさと諦めるような奴だ。良く言えば、諦めがいい。悪く言えば、ただの馬鹿。
「あ、じゃああたし行くね。買出し頼まれてるから」
「あいよ」
言って、エルはぱたぱたと走っていく。ロットヴァイルの隣を通ったときに何か言ったようだったが、それを聞いたロットヴァイルの眉がまたピクリと動いたところを見ると、頑張ってねーとか、そういう類の言葉だったに違いない。
エルの背中が見えなくなったのを確認すると、ロットヴァイルははあとひとつ息を吐いてオレに向き直った。
「さて、邪魔者もいなくなったことですし……そろそろ覚悟を決めてはどうですの? ダルム様」
「だからオレは下僕なんかになる気はないって言ってるだろうが」
オレがそう言うとロットヴァイルは明らかに芝居とわかるようなため息をひとつつくと、嘲るような目でオレを見て言った。
「仕方がありませんわね。ナウエン」
ぱちん、と指を鳴らす。するとロットヴァイルの後ろに控えていたナウエンは、はあとあからさまにため息を吐くとオレの目の前に歩み寄ってきた。そしてロットヴァイルには聞こえないように、小さくオレに向かってつぶやく。
「いつも通り、頼む」
「わかってるよ」
オレはその言葉に、小さく了解する。
開始(スタート)。
瞬間、ナウエンの手がオレの顔目がけて飛んでくる。オレは体を半歩分右へそらせて回避する。
「痛っ」
だが完全には避けきれず、ナウエンの爪がオレの左頬の皮膚を裂く。オレはそれに小さく毒づいた。
ぱしっ。
オレは、ナウエンの腕をつかむ。そしてそのままナウエンの腕をひねりながら前方に回りこんだ。
「いくぞ」
オレはナウエンに向かって小さくつぶやく。ナウエンの了解の声が微かに聞き取れた。
「らあああっ!」
気合を込めた声とともに、背負い投げの要領でナウエンを振り飛ばす。ただし地面に叩きつけるのではなく、公園のほうに投げ飛ばす。
「あーれー」
いかにも芝居がかったあほ臭い悲鳴を上げながら、ナウエンが吹っ飛んでいく。そしてそれを、ロットヴァイルが追いかけていく。
「きゃーっ! ナウエンっ!?」
いつも通り。いつも通りだ。
実はオレとナウエンは、密約を結んでいる。密約っていうか……まあ、一種の仕事だ。ロットヴァイルがオレに勝負を仕掛けてきた場合、ナウエンはオレにわざと吹っ飛ばされる。その度に、オレはナウエンから三〇〇クエルを報酬としてもらう。……オレとしては、わざと負けられるのはちょっと……って言うかかなりムカつくが、仕事(しかもかなり割がいい)だからしょうがない。まあ、ナウエンもロットヴァイルには困ってるっていうことだろう。
オレは嘆息とともに、寒さで凝り固まった肩をぐるりと回す。
店のドアが開いて、そこからひょっこりとイエナが顔を出した。
「……何だったの? 今の」
オレとお揃いの従業員服を着たイエナは、これまたオレと同じように腕をさすりながら言った。服と同色の長い髪は、今は結ばれておらず肩に掛かっている。
オレはイエナに、苦笑しながら言った。
「ええっと……まあ、あんまり気にしなくていいよ。オレ以外に害はないから。多分」
「……まあ、店に損害はないからいいんだけど。ああ、でもちょっとうるさくってご近所迷惑だからあんたの給料からいくらか引いてそれでご近所回りでも……」
「頼むから止めてくれ。それだけは」
顔から笑みを消して言うオレ。真面目な話、たとえロットヴァイルの一件で稼いでいるとはいえ、減給は痛い。おまけにそれでご近所回りなんかされると、さらに痛い。なぜなら仕事が減るから。
「ほら、もういいから中に入った入った」
そう言って、オレはイエナを店の中に戻す。続いてオレ自身も、店の中に入ろうとする。刹那。
「ダルムはーんっ!」
ずしゃあっ。
声とともに何かの気配がしてオレがその場から離れると、その声の主は見事オレのいた位置に顔面からのスライディングを決めた。
「……誰?」
イエナの問う声が聞こえる。聞きたいのはオレのほうだっていうのに。
その地面に突っ伏したまま微妙に痙攣している人間は、見慣れない服を着ていた。紺色の綿織物で、その丈は足首ほどにまである。腰には赤い厚手の布が巻かれていた。それは本来背中で結ばれるものなのだろうが、こいつは横でリボンのように結んでいた。
着物と呼ばれる、恭国の衣服だ。昔じいちゃんに見せてもらったことがある。
「なんやダルムはん。いくらなんでも逃げんでええやろ」
気の抜けそうになるゆるゆるした声でそう言いながら、その恭国の人間はゆらりと立ち上がる。そしてオレのほうに、顔を向けた。
年はおそらくオレと同じか少し下。髪は癖の強そうな黒髪で、その長さは腰ほどにまで及んでいる。瞳は夜の闇のように真っ黒で、それが童顔に思わせるのか、子供のようにくりくりとしていて丸い。
可愛らしい少女だ。
だが、オレはこんな少女会ったこともない。
オレがじっと見つめていると、少女はああと言って両の手を打ち鳴らした。
「もしかして、気づいてへん?」
「え?」
「わてや、わて」
そう言って、両手で目を覆い隠す。
…………。
「ああっ、ヴァニッ……もが!?」
急に手で口を塞がれて、オレは言葉をつまらせた。
思い出した。こいつ、あのときの……。
「ちゃうちゃう。今は右京や。右京」
「はあ……」
口を塞いでいた手を右京が離して、生返事なのかため息なのかわからないような声を、オレは出す。
太秦右京、またの名をヴァニッシュ。今からだいたい六週間ほど前、オレが裏でルーヴィスが糸を引いているとも知らず引き受けた時計守の仕事で出くわした、商売敵。ちなみに、女ではなく男。
「……女かと思ったぞ」
「よう間違えられます」
のほほんとした笑顔を浮かべて、ヴァニッシュ――右京が言う。
ああ、また面倒ごとが……。
オレは明らかに嫌そうな顔――俗に言うしかめっ面をして右京に言った。
「何でまだここにいるんだよ?」
「いやあ、それがなあ」
はは、と多少乾いたような笑いを浮かべながら手を頭の後ろに回して右京が言う。
「やっぱり前金貰っとったのに逃げ出したのが悪かったんか、あちらさんにずうっと追っかけ回されてな、イザールから出られんのや」
「…………」
右京の話に、出す言葉も失うオレ。
イザールから出られないっていうことは、東西南北の壁の扉を見張られているということなのだろうか。……いや、それよりも、こいつはあのとき、前金を貰ってたのに仕事を投げ出したのか!? こいつは常識っていうものを知らないのだろうか?
オレは一つ大きくため息をつくと、呆れきった目で右京を見て、言った。
「壁は? 壁を越えれば、外に出られるんじゃないのか?」
ちなみに壁というのは、『魔女狩り』の際に町を守るために作られた、この町を囲う今はもう何の意味もない防壁のことである。
オレのその提案に、右京は困ったような笑みを浮かべた。
「何度か試しはしたんどす。でも、見つかってしもうて……」
「ああ、そう」
どうしてその見つかったときに勢いで外に逃げなかったのか気になるところだが、今回はあえてそこは聞かないでおく。
それにしても、そのクライアントも物凄い執着心だ。前金を持って逃げられても、普通ここまで長く追い続けたりはしないだろう。よほど右京に渡した前金の額が大きかったのか……。
「それでな、ダルムはん」
うるっとその黒い瞳に涙を溜めて、右京がオレを下から見上げるようにして言う。
こいつめ、泣き落としのつもりか?
「お願いや。匿ってー!」
「やだ」
オレは右京の言葉の内容を考える間もなく即答する。すると右京は、がしっとオレの腕をつかんできた。
「そんな連れんこと言わんといて、なあ?」
「や、だ」
オレがはっきりとそう言うと、右京は立ち上がってふらふらとオレから離れる。そして着物の袖で口元を隠して、とどめの一発。
「ダルムはんの……ダルムはんの薄情者ーっ!」
「薄情者ーっ!」
「何でおまえまでそう言う!?」
右京に続いて瞳を潤ませながら言うイエナに、オレは思わず突っ込んだ。
イエナはどこから取り出したのか、白いレースの付いたちょっとばかり値の張りそうなハンカチで口元を隠して言う。
「何だか事情はよくわからないけど、かわいそうじゃない! 匿ってあげなさいよ!」
「事情がよくわかってないなら口出しするな!」
わかられても困る事情だけど、と胸中で付け足す。
だいたい、こうなるだろうことがはじめからわかっててそうなるのが嫌なら、あそこでオレに鐘を返さなきゃよかったんだ。そりゃあオレだって仕事だしプライドがあるから何が何でも鐘は取り戻すけど……。
「だいたいお前は、自分の仕事に対してのプライドがなさすぎだっ!」
びしっと右京を指差して言うオレ。右京は涼しい顔をしてオレの言葉を受け流すだろうとオレは思っていたのだが、あろうことか右京はうっと小さくうめいて一歩後退した。
「そんな……そないに言わんでも……」
すでに半泣きモードに入っている右京。少し言い過ぎたか……?
オレがほんの少しだけ後悔を覚え始めていると、まっすぐに伸びた道路の遥か彼方から、聞きなれない男の声がした。
「いたぞ、ヴァニッシュだ!」
その男はそう言うと、こちら――正確には右京目がけて走ってきた。男の言葉に他の仲間が集まってきているのか、近づいて来る足音は一人や二人のものではない。
それには右京も気づいたようで、はっと後ろを振り向く。
「あかん、見つかってしもうた。またな、ダルムはん」
さっきまでの涙はどこへやら。からっとした顔でオレにそう言って右京は公園のほうへと駆けていく。
右京の履いた下駄の音が遠くなるのと反比例して、右京の追っ手の男たちの靴音が近づいて来る。
オレは店の中に戻りながら、ぼけっと立っているイエナに言った。
「ほら、中に入るぞ。そんなとこに立ってると右京の知り合いかと思われてまた面倒なことに巻き込まれる」
「何だったの? さっきの……」
右京の去っていったほうと男たちのやって来るほうを交互に見ながら、イエナが言う。
オレはイエナを店の中に引きずり込みながら、諭すように言った。
「ああいうのは、知らないフリが一番いいんだ。一番」
オレがドアを閉めたその直後、五人の男たちが店の前を通り過ぎていった。
S.K.Y.2〜遠方の来訪者〜 end
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Photo by Natuyumeiro