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三章 洗濯の合間に垣間見たモノ
青い空。
白い雲。
そして目の前に広がる、白い洗濯物……。
今は朝の十時。洗濯にはもってこいの時間だ。
そして低血圧のルーヴィスは、まだ寝ていてここにはいない。
いつもはうるさいエルも、今日は店が『開店三十周年記念感謝セール』とかいうものをやるらしく、朝から店の手伝いが忙しくて今日は外に出られないらしい。
ルーンは……とりあえず今、ここにはいない。
つまりオレは今、一人なわけで……、
「オレ今、なんかすっげー幸せかも……」
そんなわけで、こんなことで幸せをかみしめてるオレがいたりなんかする。
……何だか今日は久しぶりに、厄介ごとには巻き込まれない気がする……。
「ごめんなさいねえ、ダルム君」
オレを呼ぶ声がして、オレは振り向いた。そこには、三十中頃くらいの女の人がいる。標準体型よりも少し上かなという感じだが、それが彼女の暖かさには似合っていた。
彼女はこの家の主であり、現在のオレの雇い主だ。
「洗濯なんかさせちゃって……大変でしょう?」
困った顔でそう言う彼女に、オレは笑顔で言う。
「いえ。洗濯とか、好きですし」
彼女はくすりと笑うと、ほんと真っ白。凄いわねえとつぶやいた。
「あたしが腰さえ、傷めなければねえ」
そう言って、腰をさする。
彼女の体は、上半身が斜め四十五度下を向いてお辞儀をしたような形で、固まっていた。はじめは確かに驚いたけど、今はもう慣れた光景だ。
彼女の家は、子供三人犬一匹と、そして彼女の計四人と一匹。旦那さんはいない。しかもその子供がみんなまだ小さくてよく動く。
そして一人をおんぶして一人をベビーカーに乗せて一人(これがまたおんぶされてるのにやたらとちょっかいを出してくるらしい)を歩かせて空いた片手に米袋を二つ三つ抱えていたら、腰を思いっ切り傷めたらしい。……そりゃ傷めるだろうさ。
ちなみに全治一週間らしい。
オレが苦笑しながら彼女を見ていると、家の中からパタパタと何かが近づいてきた。
娘その一(長女)だ。
娘その一はくいっと彼女のスカートの裾を引っ張ると、家の奥をもう片方の手で指して言った。
「ままあ、あれなってるよお」
ぴーっ。
「あ、やだほんと! じゃあダルム君、後お願いね」
そう言って彼女は腰をさすりながら急いで(るつもりなんだろうな、本人は)台所に向かう。どうやら娘その一は、お湯が沸いていることを伝えたかったらしい。
その目的が達成されたからか、娘その一は満面の笑みを浮かべていた。今にも溶けそうな、はたから見ればかなり怪しい笑みだ。
オレはそれを見続けるのがどうにも困難だった(別に飽きたわけじゃない)ので、くるりと洗濯物のほうへと向き直る。
そこには真っ白な……本当に真っ白な、クリーニング屋さん顔負けの洗濯物が並んでいた。
「オレ何でも屋辞めて、家政夫にでもなろうかなあ」
別にフリフリのメイド服が着たいとか、そういうわけじゃあない。
ちなみにオレは洗濯だけじゃなく、家事全般にはかなり自信がある。
でもそういう安定した仕事に就くには、裏の仕事引退しないと多分無理だよなあ……。
「…………」
オレは一瞬で、夢から現実に引っ張り戻された。
無理だ。
ルーヴィスがオレにあっちの仕事辞めさせてくれるはずがないっ!
「家政夫は諦めるしかないかあ……」
微妙に涙ぐみつつ、かごから新しい洗濯物を手にするオレ。それを物干し竿に掛け……、
「きゃはははは。助けて下さいましー」
「…………」
明らかにその状況を楽しんでいるような笑い声とともに助けを求める言葉を叫んだそれは、妙な黒服の男二人組みに担がれて一瞬にしてオレの前を通り過ぎた。
オレとしては、何とコメントすればいいのかわからない。……いやそれよりも、コメントすらしたくない。
オレはとりあえず、それを無視した。
無視したかった。でも……、
「今日はいい天気だなあー」
目にうっすらと涙を浮かべながら、オレは洗濯物を干す。
このときすでにオレは久々の平穏な日が崩れ去ったことに気がついていた。
「だー……」
オレはテーブルに顔を突っ伏してだらしなく両手を伸ばしながら、いかにも疲れましたと言うようなうめき声を漏らした。
いや、疲れたんだよ。実際。
何に疲れたのかって言ったら、そりゃあもちろん、ルーヴィスを追い出すのに。
「やっと帰った……あの野郎……」
そしてやっとこの家の主導権が、オレのもとに帰ってきた……。
がたん。
オレはイスから立ち上がると、床が揺れているような錯覚(これってやっぱりヤバイのかなあ?)を覚えながらふらふらと二階の自室へとつながる階段を上っていく。
「今日は、もう寝よう……」
幸い今日は、他に仕事も入っていない。
オレは階段の最後の一段を踏んだ。刹那。
「ダルム、大変よ!」
すこーん。
「ぎゃふ」
突然今日はいないはずの隣人の声がして、それと同時にオレの額に何かがぶつかった。オレはそのまま階段を転がり落ちてしまいそうになったのを、何とか踏みとどまる。
ようやく意識が、はっきりしてきた。
「……エル?」
「やっ」
まったく「大変」そうには見えない爽やかな笑顔をその顔満面に浮かべて、その迷惑極まりない隣人――エル・ラーゲンは、右手を軽く上げた形で挨拶する。
窓から入ってきた、そのままの形で。
…………。
「お前! 何でそんなところから出入りしてるんだよ!?」
「いや、ちょっとやってみたかったのよ。うん」
「やってみたかったじゃねえだろ!? 不法侵入だぞ不法侵入!」
「ルーヴィスなんていっつもやってるじゃない」
「あいつに常識なんてものはないんだよ。それにオレは、あいつを許した覚えなんて一度もないぞ!」
そこまで言ってオレは、はたと動きを止めた。その隙に、エルはオレの机を踏みつけながら部屋の中に入ってくる。こういうところだけはしっかりしているのか、靴はちゃんと脱いで手に持っていた。
……いや、オレが言いたいのはそんなことじゃなく……、
「なあ、エル」
「ん?」
「お前どうやって、この部屋に入ってきたんだ?」
「窓からに決まってるじゃない」
あんた馬鹿? と言っているような(っていうか言っているに違いない)口調で、エルが言う。
……この単純馬鹿娘にわかるようには、どう言えばいいのだろうか?
「えっと、だからな? どうやってこの窓のところまで来たのかってオレは聞いてるの」
エルが首を傾げた。理解できなかったらしい。
どうしてオレがこんなことを聞いたのかというと、窓のある場所がそんなことができる場所じゃないからだ。つまりオレの部屋の窓はよくあるマンガみたいに隣の家と隣り合わせになっていて窓から窓に入って来れますーっていうのじゃない。オレの窓の外にあるのは、道だ。道路だ。幅なんて、二メートルくらいある。それに窓の下には、これといった出っ張りもない。窓から部屋に入るなんて芸当、普通の人間には不可能だ。
数秒してエルが、ああと言って手をぽんっと打った。
「それね、ルーヴィスに教えてもらったの」
「はい?」
「いや、あたしがやってみたいって言ったら教えてやるって」
「ああ、そう……」
オレは頭を抱えて唸った。あの野郎、余計なことを……。
オレが想像の中でルーヴィスを殴り倒していると、突然エルが声を上げた。
「あ、そうだ!」
「……何?」
オレは物憂げな目でエルを見る。嫌な予感がする。なんかもう究極的に嫌な予感だ。
「大変なのよ!」
ああそう言えばこいつはそう言ってオレの部屋に入り込んできたんだっけ……。そんなことを考えながら、オレはエルに言った。
「それで、何が大変なんだよ?」
「ルーンが攫われましたあっ!!」
「……は?」
突然元気よく手を上げて――まるで運動会の選手宣誓でもするようにそう叫んだエルに、オレはただそう答えるだけだった。
一体ルーンに、何が起こったんだ……?
「あ、ちなみにさっきあんたのおでこに見事にヒットした紙くずはルーンを攫って行った奴らが置いていった物ね」
大変だなんて言いながら、それほど――って言うか全くそういう風に感じさせない様子でエルは言う。いや、むしろ楽しそうだ。
オレはとりあえず、オレの額に当たって足元に落ちたその紙くずを拾い上げる。おそらくエルによってこんな姿に変貌してしまったであろうそのくしゃくしゃに丸められた紙くずを、オレは破ってしまわないように丁寧に広げた。そこに書かれていたものは……、
「『ルーンは預かった。返してほしければいつもの公園の丘に来い』……?」
思わず眉をしかめるオレ。その紙くずに書かれていたのは、いかにもな感じの誘拐宣言文章。しかもなにやらオレを脅しているつもりらしい。
オレは視線を紙面の文字からエルへと移した。
「ところでエル、ちょっと気になったんだが」
「何?」
「どうしてこの紙はこんなにズタボロになっているんだ?」
「いやあ、別に要らないかなあと思って」
えへへ、と言うような感じで後ろ頭に手を回すエル。そしてさらに言葉を続ける。
「実はそのままゴミ箱行きだったんだけど、やっぱりこれはダルムに見せるべきなのかなあって思って持って来ましたー」
窓からな。
満面の笑みを浮かべて言うエルに胸中で静かに突っ込むオレ。
「……ま、そんなことはどうでもいいや」
そう小さくつぶやいて、オレはその紙を再び丸めて紙くずに戻すと、部屋の隅にあるゴミ箱に向かって投げた。紙くずは緩やかな放物線を描いて落下し、見事にゴミ箱の中に収まる。
「おお」
エルが小さく歓声を上げた。
オレはエルのほうを向くと、微妙に口元が引きつっているのを感じつつ口を開く。
「なあエル、そのルーンを攫って行った奴らって、どんな奴かわかるか?」
「わかるよ。ルーンがそいつらに抱えられて攫われて行くのあたし見てたもん」
見てたと言うよりは見送ってたんだろうななどと勝手に推測しつつ、オレは続けた。
何故か今朝の光景が、走馬灯のように脳裏に蘇る。
「どんな奴らだった……?」
「うんとね、黒いスーツ着た二人組み。片方は確実に三十過ぎてるむさ苦しそうなおっさんで、もう片方は二十代半ばくらいのひょろ長い人だったかな。しかも二人とも妙にそのスーツが似合ってないの」
「ああ、そう……」
オレはがっくりと肩を落とした。嫌な予想は見事的中。……ああ、オレ泣きたい。いや、本気で。
オレの予想が正しければ、そのルーンを攫った奴らは数ヶ月前にルーンをデパートで誘拐した奴らと同一犯。あの時オレにかなり(精神的に)ぼこぼこにされたはずなのに、懲りずにあんな決闘の申し込みじみたことをするっていうのは……やっぱり懲りてなかったのか。
「まったく……」
オレはため息とともに、くるりと体の向きを変えた。まあつまり、階段のほうに。
「行くの? 行くの? 今から行くの?」
後ろで、なんだか物凄く楽しんでいるような(いや、確実に楽しんでる)エルの声がする。オレは半眼でエルを見ると、冷たく言い放った。
「お前、店は手伝わなくていいのか?」
「あう……」
エルの楽しそうな表情が固まって、だんだんその顔色が青ざめていく。どうやらオレの予想通り、エルは店を抜け出してきたらしい。だから玄関からじゃなく窓から入ってきたってわけだ。
「お前は店に戻れ。ルーンのことはオレ一人でどうにかなるから」
「でもでもー」
「今ちょうど、忙しい時間なんじゃないのか?」
「うう……」
エルが一歩引く。時間はもうすぐ午後の一時になろうかというようなところで、まだまだ昼ご飯やおやつにパンを買いに来る客は多い時間帯だ。
数秒間黙って、エルは口を開いた。
「……わかった。帰るわよ」
半ば怒ったような調子でそう言ってオレの机の上に飛び乗り、再び窓から出て行くエル。
……勝った!
オレは何気に小さくガッツポーズなんかをして、階段を降りる。ついさっき掛けたばかりのコートを再び羽織ると、オレは外に出た。
地面にはまだ、溶けかけの雪が残っている。
いつもの公園のいつもの丘の、いつもオレが昼寝をしているところに確かにそいつらはいた。
見覚えのある金髪の少女と、今すぐにでも記憶から消し去りたい黒スーツの二人組み。それと、まったく見覚えのない人間が二人。
その見覚えのない人間の片方が、オレを見つけるなりビシッと音のしそうな勢いで人差し指をオレにむけて、そして叫んだ。
「来ましたわねダルム・シュタート! わたくしの下僕におなりなさいっ!」
「……は?」
多分今のオレは、かなり間抜けな顔をしている。今言われたことの意味がわからずに、オレはただそこに立ち尽くしていた。
オレに下僕になれなどとわけの分からないことを言ってきたのは、ルーンと同じくらいの歳の少女だった。ただし、見た目も印象もルーンとは正反対だ。毛先の少しカールした長いストレートの金髪といつもとろんとしている青い瞳をルーンが持っているのに対し、その少女は艶やかなプラチナブロンドの髪をタテロールにしていて、さらにその瞳は猫のように鋭く、ルビーのように赤い。いつもほんわかしているルーンとは違いいつもピリピリしているような感じがあって、さらに言うとルーンにはない威厳のようなものがある。
……まあつまり簡単に言うと、いかにも高ビー女王な感じのお嬢様が、オレの目の前にいる。
こいつは確実に、とてつもない厄介ごとを運んでくる人種だ……! はっきり言って、関わり合わないほうが良い。絶対に良い。
オレはとりあえずそう判断すると、くるりと方向転換した。そしてまだ少しだけ雪が残っていて濡れている芝生を歩き出す。滑ってこけて間抜けなことにならないように、しっかりと地面を踏みしめながら。
「な……っ!? ルーンを見捨てて行くというんですの!?」
「ダルム様の薄情物ぉー」
う……。
高ビー女王の白々しい非難の声とルーンの迫真の演技の泣き声が背後から聞こえて、オレは思わず足を止めた。
まったく……。どうしてオレはこういうときに限って無視できないんだろうか? ここで足を止めたら、どんなに厄介な代物でも関わり合いになるしかないに決まってるじゃないか。
オレは一つ大きく深呼吸をすると、覚悟を決めて振り向いた。それに満足したかのように、高ビー女王が胸の前で腕を組んでふんっと鼻を鳴らす。
「ようやくわたくしの下僕になる覚悟ができましたのね」
「どうしてそうなるっ!?」
妙な思い込みをされたままではこちらがたまらないので、とりあえず叫んでおく。すると高ビー女王はそれが不満らしく、眉をピクリと動かした。
「……何かご不満でも?」
「大有りだ、大有り」
オレはそう言いながら、ずんずんと高ビー女王に迫っていく。
人一人分ほど間を開けたところで、オレは足を止めた。ずいっと顔を突き出して、高ビー女王の顔が目の前に迫る。高ビー女王の顔が、何故だかほんの少し赤くなった。
そんな状態で、オレは口を開く。
「だいたい、あんた誰なんだよ?」
「え……?」
赤みを帯びていた高ビー女王の顔が、見る見るうちに青ざめていく。そしてそのまま、ふらりと後ろに倒れた。その体を、地面に着く前にもう一人の見知らない人間――背の高い黒いロングスーツに身をかためた男が受け止める。
「大丈夫ですか? ロットヴァイル様」
静かにつぶやいたその声には、何か聞き覚えがあった。
「え、ええ……。大丈夫」
言いながら片手で頭を抑えて、ロットヴァイルとか呼ばれた高ビー女王はゆらりと立ち上がる。どうやらオレの「誰だ」発言が相当ショックだったらしく、顔色はまだ悪い。下を向いたまま何やらぶつぶつとつぶやくと、何故か急に嘲るような笑みを口元に浮かべた。オレのほうに顔を向けて、胸の前で腕を組んでふんぞり返って言う。
「このわたくしのことを忘れるなんて、いい度胸してますわね。ダルム・シュタート」
さらにはんっと鼻を鳴らす。
オレはこいつの言っていることがわからずに、眉をひそめた。
「忘れる……?」
オレの言葉に、高ビー女王の眉と口元がピクリと動く。それでも嘲るような笑みとふんぞり返ることは止めずに……まあつまりそのままの状態で、高ビー女王は再び口を開いた。肩にかかっていたタテロールを手の甲で跳ね除けながら、言う。
「ボケなしで忘れてますのね。まあ、しょうがないことですわ。……仕方がありません。不本意ながら名乗って差し上げましょう」
いや、差し上げて下さらなくっても結構なんですが。
何気にそんなことを胸中でつぶやくが、実際には口に出さない。下手にそういうことを言うと、なんだか物凄く恐ろしいことが起こりそうな予感がするからだ。どういうことかは想像もつかないけど。
高ビー女王はオレよりも背が低いくせに上から見下ろすような目でオレを見ながら言う。
「わたくしの名はロットヴァイル・ローゼンハイム。エルツ国最大とも言われるローゼンハイム重工の社長シュヴァイク・ローゼンハイムの愛娘ですわ」
「ローゼンハイム……?」
その名前に、オレは思わず眉をしかめた。どこかで聞いたことのあるような、ないような……。
「悪い。全然知らない」
「な……っ!?」
オレの言葉に、高ビー女王改めロットヴァイルが愕然となり一歩後退する。その向こうで、芝生の上に座っているルーンがほんわかと告げた。
「仕方がありませんわ。ローゼンハイム重工は確かに大きな会社ですけれど、西部のほうではほとんど無名ですもの」
「そ、そうでしたのっ!?」
自分の親父の会社のことくらいちゃんと知っとけよ。
何気にそんなツッコミを入れるオレ。
対してロットヴァイルはというと、そのことが本当に意外だったのか、口を金魚のようにパクパクさせながら救いを求めるように傍らに立っている黒服の男に視線を投げかけている。
黒服の男は、ロットヴァイルの頭にぽんっと手を乗せた。
「仕方がありません」
男のその言葉に、ロットヴァイルの赤い目が少しばかり潤む。少しして、ロットヴァイルは急にビシッとオレを指さした。
「そんなことはどうでも良いんですのよ!」
「ええっと……」
涙目になっているのは、オレのせいなんだろうか?
「しょうがないことだと思って先ほどは諦めましたけれど、やはり納得いきませんわ! どうしてわたくしのことを忘れているのですか、ダルム・シュタート!」
「あの、できればフルネームでそんなに何度も叫ばないでほしいんですけれど……」
「ではダルム様と呼ばせて頂きますっ!!」
「はあ……」
思わず生返事を返すオレ。一体どこでどうなって「様」になったんだ?
まあ今はそんなことよりも……、
「忘れるも何も、オレはあんたなんか知らないって」
「嘘ですわ! 忘れているからそのようなことを言えるんですのよ!」
……まあ、それは確かにそうかもしれないけど。
でもこんなに強烈な印象の人間、一度見たら忘れないと思うんだけどなあ。
オレがそんなことをのんきに考えていると、ロットヴァイルはさっきにも増すキンキン声で叫んだ。
「確かにわたくしはお父様に連れられて十年前にイザールを離れましたけれど、それまでの四年間、わたくしはずっとダルム様を見ていましたわ! 木の陰からでも何でも!」
それはストーカーと言うんじゃないだろうか?
オレはとりあえず、胸中で突っ込んでおく。
「わたくしはイザールを離れていた間もずっとダルム様のことを考えていました! 聞いた話によるとルーンとダルム様が出逢ったのはたかが二年前というではありませんか! 私のほうがダルム様を愛していた時間は長いのですっ!」
ひとしきりそこまで叫ぶと、ロットヴァイルは肩で息をした。かなり興奮していたのか、顔が真っ赤になっている。
オレはそんなロットヴァイルに、冷めた調子で言った。いくらロットヴァイルがずっとオレのことを(たとえ)好きだったとしても、こそこそ隠れてオレを遠くから眺めていたロットヴァイルのことなんか、オレははっきり言って知らなかった。
「……それでオレに、下僕になれ、と?」
とりあえず逸れに逸れていた話を、元に戻す。オレのその言葉を聞いて、ロットヴァイルも興奮を治めて元の調子に戻って言った。
「その通りですわ」
自分は間違っていないとでも言いたげな自信に満ちたロットヴァイルのその言葉に、オレは小さく唸って頭を掻いた。
「……一体どこで捻じ曲がってそういう結論に至るんだ?」
「愛情表現は人それぞれですから」
ほわわん、とルーンがオレに補足説明をしてくれる。
ああ、そう言えば……、
「どうしてお前らがここにいるんだ?」
「何! 気づいていたのか!?」
「うん、まあ」
なんとなくロットヴァイルと話をするのにも疲れたので、ルーンの隣に控えている全く似合っていない黒スーツの二人組みに話をふる。名前は……何だっけ? 忘れたけど。
親分(だった気がする。多分)はオレに気づかれていないとでも思っていたのか、話しかけられたことにかなり驚いている。もう一人のほうは、なんだか呆れたような顔で親分を見ていた。
「で、何でお前らがここにいるんだ?」
オレが聞くと、親分はむうと唸って顔をしかめた。
「実は刑務所を脱走して逃げていたところをそこのロットヴァイル嬢に助けられてな」
脱走したのかお前ら!? ……って言うか、刑務所にぶち込まれるほど凄いことだったか? あれは。まあ、被害はそこまでなかったとはいえ(あえて言うならオレの壊した防火シャッターぐらいなもの)、確かに誘拐したんだからぶち込まれるべきなのか……。
オレはとりあえずその思考の螺旋階段を脱出すべく、仕方なくロットヴァイルに話を戻した。
「悪いがオレは、あんたの下僕になんかなる気はない。もうちょっと響きのいい仕事なら別だけど」
「……そうですの」
ちっと舌打ちでもしそうな目でロットヴァイルはオレを見て言う。そして何故か、笑った。
「ならば仕方がありません。実力行使ですわ! ナウエン!」
ロットヴァイルが高らかに言うと、黒いロングスーツの男――どうやらナウエンという名前らしい――が嘆息とともに一歩前に歩み出た。
「……私はあなたのボディーガードであって、下僕ではないのだが」
「雇い主はわたくしです。言うことを聞かないと減給ですわよ」
「…………」
ロットヴァイルの言葉を聞いて、ナウエンはまた――今度はさっきよりも大きく嘆息する。こんな主に仕えなければならないとは、かなり苦労するに違いない。同情するよ、オレは。
ナウエンはオレの前まで歩み寄ってくると、ただでさえつばの広くて表情のわからない帽子をさらに深く被りながら小さくつぶやいた。
「……そう言うことらしい。よろしく頼む」
「あんたも大変だな」
オレは苦笑しながら、そう返す。刹那。
がっ。
「おっと」
急にナウエンの体が沈んだかと思うと、オレの足を払うようにナウエンの長い足が弧を描く。オレはそれを跳んで避けると、そのまま宙を一回転して後方に下がった。そして足が地面を捉え、
つるっ。
「のわっ!?」
オレは不覚にも、着地した瞬間濡れた芝生に滑って無様にこける。思い切りぶつけた後ろ頭をさすりながら体を起こすと、いつの間に移動していたのか、ナウエンが目の前に立っていた。
「大丈夫か? 今地面は濡れていて滑りやすい。気をつけたほうが良い」
「……いきなり不意打ちかましてくるあんたに言われたくないね」
オレは吐き捨てるようにそう言うと、ゆっくりと構えをとった。対してナウエンは片手で帽子を押さえたまま直立不動。……両手をコートのポケットに突っ込んだまま余裕綽々でオレがかかってくるのを待ってる、あいつに似てる。
オレは視線を、ちらりとナウエンの奥のロットヴァイルに向けた。ロットヴァイルは相変わらず嫌な感じの笑みを浮かべてふんぞり返っている。その後ろには、例の黒スーツの二人組みと何故か物凄く楽しそうに青い瞳をキラキラと輝かせてこちらを見ているルーンがいる。あとは、誰もいない。
誰も……?
ふとオレの脳裏を疑問がよぎる。
ロットヴァイルは自分のことをローゼンハイム重工の社長令嬢だと言っていた。そりゃあたしかに西部じゃ無名かもしれないが、「エルツ国最大」と言われているらしい会社だ。その娘となれば、いろんな奴らに命やら何やらを狙われていてもおかしくはない。確かにルーンも似たようなものだが、幸いイザールの治安はそれほど悪くはないし、何せこのオレがついている。……つまりオレが言いたいのは、中部からやってきた大企業の令嬢であるロットヴァイルにはそれなりに敵がいるだろうに、そのロットヴァイルの護衛についている人間は今オレの目の前にいるこのナウエンという男ただ一人。
つまりこいつは、かなり腕が立つっていうことだ。
いい具合に、オレの体を緊張が包み込む。
「いつでもどうぞ」
オレが堪えきれなくなった笑みを口元に浮かべつつ言うと、ナウエンは早速帽子から手を離して拳を突き出してきた。オレは手の甲で、軽くそれを払う。するとナウエンは続けざまに回し蹴りを放ってきた。オレはそれを、腕で受け止める。
「く……っ!」
予想以上に重かったその攻撃を、どうにかオレは弾き返す。さらに突き出されてくる拳を次々に払いながら、オレは思考をめぐらせた。
身長約一九〇センチ弱。体重八〇キロ前後。全力を出さずにオレに合わせたように繰り出してくる攻撃。さらに言うなら、その声。
……何から何まで似てる。あいつに。
ルーヴィス!!
「オレをなめんなあああっ!」
ナウエンというよりはルーヴィスに向かってそう叫び、オレは足を振り上げた。下顎を狙ったその攻撃は我ながら直線的すぎて、やはりと言うかあっさりとかわされる。しかしそれはナウエンの帽子のつばに見事にヒットし、そのまま帽子を空高く吹っ飛ばした。
オレが地面に足を下ろすと同時、ナウエンの顔が露わになる。
オレは一瞬、目まいでその場に倒れそうになった。
「……ルーヴィス!?」
そんなはずはないのに、オレは思わずその名を叫んでいた。
似ている。あまりにも。でも、違う。
今オレの目の前にいるのは、そのスーツと同じように真っ黒な髪と目をしている長身の男だ。ルーヴィスはそれとはまったく違う。確かに長身だが、髪も目も金色をしている。それにその男は、ちゃんと両の眼を開いていた。左目に傷はない。
こいつはルーヴィスじゃない。確かにナウエンだ。
でもなんだって、こんなに似てるんだ!?
「そうか。ルーヴィスを知っているか」
ナウエンはオレの反応にそれほど驚きを示さずに、空から降って来た帽子をつかむと再び頭に被りなおしながら、そのルーヴィスとまったく同じ声で言った。
「驚かせてしまったようだな。すまない。私はあれの双子の兄だ」
「…………」
その衝撃の言葉を聞いて、オレは今度こそ本当に言葉を失った。
ああ、ヤバイ。目まいがする……。
だってあの一人っ子決定的自己中男に兄弟だぞ! しかも双子!
……信じられない。
オレの心境でも悟ったのか、ナウエンが静かに言った。
「……双子と言っても、あいつは知らない。私たちはすぐに引き離された。私は……まあ、いろいろあって知っていたのだが」
その「いろいろ」が少し気になるが、聞くのが怖いのでなんとなくそれ以上追求するのはやめておく。
「双子だからか……私も少々、いい加減なところがある」
「?」
オレはナウエンの言うことの意味がいまいちの見込めず、眉をしかめた。確かにルーヴィスは大事な仕事のときでも、何だかんだ言いながらいい加減なところがたまにある。
ナウエンがさっきと同じように、拳を突き出してくる。そして小さく、つぶやいた。
「投げろ」
「え?」
またそれを甲で払おうとしていたオレはそう言われ、何故かその通りにナウエンの腕をつかんでくるりと体の向きを変えるとナウエンを思い切り投げ飛ばすつもりで体を動かした。
だんっ。
「……あれ?」
あまりにもあっけなく、地面に倒れるナウエン。それと同時、少し離れたところから叫び声が聞こえてきた。
「どうしましたのナウエンっ!? 嘘、嘘でしょ!? ちょっと立ちなさいよ、ナウエンっ!?」
必死になって叫ぶロットヴァイルの目には、うっすらと涙が浮かんでいる。これってもしかして、オレのせい?
「あ……えっと……」
オレがロットヴァイルに何か言おうとしていると、くっとズボンの裾を引っ張られた。引っ張ったのは他でもない。ナウエンだ。
ナウエンはロットヴァイルに聞こえないように小さな声でオレに言った。
「何も言わなくて良い。お前は私を倒した。そういうことにしておけ」
「…………」
少しばかり癇に触るところもあったが、オレもこれ以上面倒なことが続くのはごめんだったので、とりあえず無言のまま小さくうなずく。
ロットヴァイルは、まだ叫んでいる。
「馬鹿ナウエン! 何をしていますの!? さっさと立ちなさい! 減給ですわよ!」
「……いいの? あれ」
オレは小さく、ナウエンに向かって言う。
「放っておけ」
主人に対する態度とは思えないような物言いで、ナウエンは言った。そしてそのまま、目を閉じる。
「すまん。寝かせてくれ」
「はいはい」
オレは言うと、ロットヴァイルのほうに近づいていく。
オレに気づいたロットヴァイルは、キッと涙の溜まった目でオレを睨みつけた。
「何ですの? ようやく下僕になることの決心がつきましたとか?」
「んなはずねえだろ」
言って、とん、とロットヴァイルの額に軽くデコピンをくらわす。ロットヴァイルははっと額を押さえると、さっきにも増した勢いで叫んだ。
「な……っ!? 乙女は顔が命ですのよっ!?」
キーンと声が頭の奥に響いて、オレは思わず顔をしかめる。そんなオレを、ロットヴァイルはじっと見つめていた。
「ナウエンをあんなにして……どうしてくれるんですの? 彼はお父様がわたくしにつけて下さった最高にしてたった一人のボディーガードですのよ!」
「あんた、いつまでここにいるんだ?」
オレはロットヴァイルの言葉を無視して言う。
案の定、ロットヴァイルは怒った様子で言った。
「聞いているのはわたくしです! まずわたくしの質問に答えなさい!」
「どうもしねえよ。だいたいそっちから仕掛けてきた勝負だろうが。……で、あんたはいつまでここに……イザールにいるんだ?」
オレがそう言うとロットヴァイルは急に黙って、うつ向き気味になって言った。
「……春には、中部に帰りますの」
その言葉にオレは小さく息を吐くと、ロットヴァイルの頭にぽんっと手を乗せた。ひざを曲げて目の位置をロットヴァイルと同じにして、言う。
「しょうがないから、お前が中部に帰るまでは妙なことじゃない限り相手はしてやる。でも、下僕じゃないからな」
「…………」
ロットヴァイルは何も言わない。ただそのまま頭の上のオレの手を振り払って、くるりと後ろを向いた。ロットヴァイルは、数秒間そのまま動かない。……否。
「……フ、フフ……フフフ……」
肩を小刻みに揺らしながら、ロットヴァイルが不敵に笑い出す。その声は徐々に大きくなっていき、さらにはさっき泣き叫んでいたのと同じほどにまで膨れ上がった。
ロットヴァイルが左手を腰にあて右手の甲を頬に持ってくるという典型的な高笑いのポーズで叫んだ。
「オーッホッホッホッ! 聞きましてルーン? ダルム様はわたくしのものですわあっ!!」
その言葉を、あまり意味がわからずにぽけっと聞いているルーン。
公園にロットヴァイルの高笑いがこだまする中で、オレは一人頭を抱えた。ロットヴァイルはオレの言ったことを、多分……いやきっと確実に、理解していない。
「あんなこと、言うんじゃなかった……」
オレの苦悩の言葉も、おそらくロットヴァイルは聞いてなんかいないだろう。
オレの後方では雪に濡れた芝生の上で、あの後どうなったかなんて何も知らないであろうナウエンが、静かに寝息を立てている。
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Photo by Natuyumeiro