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一章 家の前に落ちていたモノ
「…………」
「…………」
オレとルーヴィスは、それを見て固まっていた。
そう、固まっていたんだ。文字通り。
「……死体?」
ルーヴィスが、それを指さして言う。多分オレに聞いているんだろうなとは思うけれど、オレは何も反応できなかった。
とりあえず、ここまでのいきさつを説明しよう。
オレはあの後公園のすぐ近くにある喫茶店『モーント・デア・ターゲースツァイト』で仕事があったからルーヴィスをほったらかしにしてそっちに行った。オレが仕事をしている間ルーヴィスも好き勝手やっていたようで、そこのところはどうやら機嫌を損ねてはいないらしい。オレが仕事を終えて四時くらいに公園に帰ってくるとルーヴィスもどこからかひょっこり現れて、朝の続きが始まった。やっぱりオレは滅茶苦茶鈍ってしまっていたようで、いつも通りルーヴィスに勝てないのはともかく、いつもよりも早い時間でルーヴィスにのされてしまった。
それで、腹も減ったしそろそろ帰るかってことになったわけなんだけれど……。
ちなみに今は、午後六時。冬は日が暮れるのが早いため、辺りはほとんど暗くなってきている。
そして頼りない街灯の光が、それを照らしていた。
オレとルーヴィスは、今日の夕飯は何にしようっていうごく普通の会話をしながら帰り道を歩いていたんだ。別に何かやましいことをした覚えなんかない。
それなのに……それなのにどうして、オレの家の前がこんなことになっていなくちゃいけないんだ!?
女の死体が転がってるなんて……!!
「これ……どうすればいいの?」
オレは寒さと恐怖と――その両方で硬くなっていた首を無理矢理ルーヴィスのほうに回して言った。ギギギギっていう音がしたのは気のせいだろうか?
ルーヴィスもオレと同じような――ガラにもなく青ざめてて引きつっている表情で、オレのほうを向いた。そしてその唇が、小さく開く。
「……やっぱり、警察?」
「だよな、やっぱり。そうだよな?」
「け……警察は、嫌です。……病院も……」
「「え!?」」
オレとルーヴィスの声が、見事に重なる。
……ちょっと待て、今……今、
「死体が喋った?」
オレとルーヴィスは、互いに顔を見合わせる。
「…………」
二人ともしばらく固まって、そして……、
「ちょっと待て!」
ルーヴィスが、その死体に駆け寄った。雪の積もった地面に突っ伏しているそれを抱き起こして、首に手をあててその口元に耳を近づける。
そして、そのまま数秒。
ルーヴィスがこちらに顔を向けた。その顔は、さっきまでの青ざめた情けない顔とは違う。かと言って、いつものへらへらした表情でもなかった。仕事の時の、ルーヴィスの顔だ。
「まだ、生きてる」
ルーヴィスが言った。オレはその言葉の意味がなかなか飲み込めずさらに数秒そこに突っ立っていたが、ようやくその意味がわかると急いで玄関のドアの鍵を開けた。
そしてオレたちはその女――見たところオレとあまり年の違わない少女だった――を家の中に担ぎ入れた。
「んー……」
小さくうめき声を上げて、その少女は目を覚ました。まず上半身を起こして、寝ぼけているのか、半眼のままゆっくり辺りを見回す。
「あ、起きた?」
「…………」
目が合ったオレは、とりあえず笑顔でその少女に言った。しかし、少女の反応はない。ただオレをじっと見つめている。
そして、きっかり五秒ほど過ぎた頃、
「ほえーーーーーっ!?」
「だーっ! こら叫ぶな! 今何時だと思ってる!」
「そう言うお前も叫ぶなよー」
(おそらく)びっくりして叫んだ少女と、その叫びに対して叫んだオレに、ルーヴィスが落ち着いた声で言った。その右手には例のごとく、コーヒーカップが握られている。
「ちなみに言わせてもらうと、今は夜の九時。あーあー、ご近所さん迷惑だろうなあ」
そのルーヴィスの言葉に、その少女は慌てて頭を下げた。
「ご、ごめんなさ……ふにゃあ!?」
「おっと、大丈夫?」
少女がそこから落ちそうになったのを、オレは慌てて支えた。やっぱり、イスを二つ引っ付けて作った即席のベッドなんてこんなもんか。
「あ、ありがとうございます」
「どーも」
少し顔を赤らめて言う少女に、オレは笑顔で言った。まあもちろん、営業スマイルなんだけれど。
オレは少女をイスにきちんと座らせると、即席ベッドに敷いていた毛布を片付けてルーヴィスの隣――少女の向かいの席に座った。
「あの、ええと……助けていただいたんですよね。ありがとうございます」
少女が頭を下げて言った。そして、
ごちんっ。
「はうっ」
「大丈夫?」
「は、はいっ。大丈夫ですっ」
思いっ切りぶつけたらしい額を押さえながら、少女が言った。顔にはとりあえず笑みを浮かべているが、かなり痛かったのか、たまに口元なんかがぴくぴく引きつったりしている。
オレはそんな少女に苦笑を漏らしながら言った。
「それで、君は何でオレの家の前なんかで倒れてたわけ?」
その言葉に、少女は額をさする手を止めた。両手をひざの上に置いて、背筋をぴっと伸ばして――オレの幼なじみで隣人の爆裂少女には決してまねのできそうにない姿勢で、その少女は話し始めた。
「そうでした。それを先に話さなければいけませんでしたね。申し遅れました、私はアーレン・ランツフート。魔女です」
「…………」
「…………」
オレとルーヴィスの反応は、同じだった。いや、多分……って言うか絶対、オレたち以外の人間も同じ反応をすると思う。だっていきなり、自分は一〇〇年も前に滅んだ魔女なんですって言われても……。
その何故だかさっぱりした沈黙を破ったのは、ルーヴィスだった。
「いや、あの……アーレン。いくら何でもそれは……」
「信じてもらえないんですかあー?」
ルーヴィスの言葉に傷ついたのか、アーレンはその緑褐色の瞳に涙を浮かべて言った。
「だって魔女は一〇〇年も前に……」
「それでもそれでも、私は魔女なんだわ!」
「『なんだわ』?」
オレは思わず、アーレンのその言葉に首をかしげた。どこかの方言なのだろうか? この辺りでは、聞かない言葉だ。
オレの反応に何かいけないことでもあったのか、アーレンがため息をついて言った。
「……そうですか。そちらの方も、何も知らないんですね」
「え、何? 何のこと?」
オレには、アーレンの言いたいことが一体何なのかまったくわからない。
「どうやら、初めの初めから話さなければならないようです」
そう言ってアーレンはうつむいていた顔を上げて、オレの赤い目をまっすぐに見つめてきた。
アーレンの話はこうだ。
この世界に住む大勢の魔法を扱わない人間は、魔法を扱う人間――つまりオレたちの言う魔女を完全に排除した、と思い込んでいるだけであって、実はほんの一握りの魔女たちには魔法を扱わない人間で『魔女狩り』反対の人たちの手を借りながらどこか人目につかないところに逃げることの出来たものたちもいた、ということだ。
つまるところアーレンはその生き残りの子孫で、今はリディウス――この国エルツの西に位置する国で、南のメディウスとは昔一つの国だったが約一〇〇年の内乱で二分した。いまだ安定していないらしい――の田舎に住んでいるということだ。
そして何となくの思いつきで旅に出て、ついに有り金が尽きてオレの家の前で倒れていたらしい。何とも迷惑な話だ。
「でもさあ、お前さっき自分は魔女ですって思いっ切り言ってたけど、オレたちじゃなかったらどうするの? 幸いオレたちは魔女が嫌いってわけじゃないからいいけれど、そうじゃない奴だったらたぶん殺されてたよ? 下手したらすんごい拷問とか受けて故郷の場所とか吐かされて、また『魔女狩り』が起こりかねない……」
「ああ、それなら大丈夫です」
オレの疑問に、アーレンは実に晴れやかな声で答えてくれた。
「私、この家があなたの家だって知ってて倒れてましたから。シュタートさん」
……え?
「この家の人なら多分助けてくれるだろうっていう人の家のリストを、ひいおばあちゃんが作っててくれてたんです。このおかげで何度も助けられましたよー」
「……どういうこと?」
言ったのはルーヴィスだ。オレはアーレンの言ったことがいまいち飲み込めずに、固まっている。
「この家、秘密の地下室があるでしょう?」
「何で知って……!」
オレはアーレンのその言葉にかろうじて反応して、そして叫んだ。するとアーレンは人差し指を口元に当てて、静かにするように言う。
「しー。近所の人たちに気づかれますよ。当時この家が魔女に関係していたなんてことがばれるとまずいでしょう?」
「……で、何でそんなことを知っているんだ?」
オレは声量を落として、もう一度アーレンに問うた。
アーレンはよろしいとばかりに笑顔でうなずいて、そして言った。
「この家にある地下室が、昔魔女たちをかくまっていた場所なんです。まあつまり、あなたのご先祖様は『魔女狩り』反対派の人だったわけですね」
アーレンの言葉を聞いて、オレはようやくあの地下室の意味がわかった。同じ建築様式の他の家にはなくって、今はオレの武器庫になっているあの部屋は、一〇〇年以上前に魔女たちをかくまうために造られたものだったんだ。
オレはそれを聞いていきなり気が抜けて、イスにずるりと倒れ込んだ。
「あー、なんか疲れた」
「はは……オレも」
珍しくルーヴィスが、疲れた表情を浮かべている。
オレは苦笑を浮かべたまま、アーレンに言った。
「他に行くとこないんだよな? ……しょうがないから、今日は泊まっていけよ」
「……誰、だ?」
それが、オレが目を覚ましてからの第一声だった。
いつも朝六時前には起きるオレにしては珍しく、今日は寝坊してしまった。いや、特に用事が何もないのに寝坊っていうのはちょっとおかしいかもしれないけど……。
とにかく今は朝の八時で、オレがいるのは二階のオレのベッドの上で、すぐ隣……っていうか床の上には、ルーヴィスが転がっている。いつもは一階のカーテンで仕切られた小部屋で寝ているルーヴィスだけど、今日はオレの部屋だ。なぜなら今その部屋には、別の客人がいるから……、
「アーレン!」
オレは昨日のことを思い出して、その名を口にした。
そうだ、オレの家には昨日、自分のことを魔女だって言うわけのわからない少女が行き倒れていて、それで……。
っていうことは、このどこからか(もちろんオレの家の一階にある台所からだろうけれど)漂ってくるいい匂いの素は、アーレンが作ってるのか?
「んあ……今日はコーンスープにブレッドか……?」
そうぼやくように言って上半身を起こしたのは、もちろんルーヴィスだ。……って言うかお前、匂いだけでそこまで判別できるのか? いったいどういう嗅覚してるんだよ。まあ、本当に当たってるのかは実際に見てみないとわからないけど。
ルーヴィスが今はほどいていて肩にかかっている金髪をがりがりと掻きながらオレのほうを寝ぼけた目で見て言った。
「……あれ、お前じゃないの?」
オレはそれに、半眼で答える。
「オレじゃねえよ。……多分、アーレンだ」
って言うか、アーレンじゃなかったら怖いものがある。
オレは頭を二、三度横に振ってまだ残っていた眠気を吹き飛ばすと、ベッドから勢いよく飛び降りた。
「うげっ」
「あれ、踏んだ?」
ルーヴィスの妙な悲鳴に気づいて足元を見てみると、オレは見事にルーヴィスの上に着地していた。
「あれ、じゃねえよ。さっさと退け」
今ので完璧に目が覚めたのか、ルーヴィスがいつもの調子で言ってくる。
オレは、口元に笑み(我ながら嫌な笑みだったろうなと思う)を浮かべて言った。
「ああ、悪い」
ぐりっ。
「……この野郎」
オレが謝罪の言葉とは裏腹にルーヴィスの腹を思いっ切り踏みにじってからそこを降りると、ルーヴィスはこめかみの辺りに青いものを浮かべて言った。
しかしオレはそんなことも気にせずに、階段を下りる。
……ま、今のは昨日のお返しってことで。
オレは胸中で、へへっと笑った。
一人暮らしのオレには大きすぎる四人掛けのそのテーブルの上には、確かにまだ湯気を上げている出来立てのコーンスープと、香ばしい匂いを立ち上らせている焼き立てのブレッドがあった。
それもきっちり、三人分。
オレが一階に下りると、そこにはどこから取り出したのか――おそらく彼女が持っていた赤いアタッシュケースの中からだとは思うが――女物のエプロンをつけたアーレンがオレたちが起きてくるのをテーブルの脇に立って待っていた。
「おはようございます」
アーレンは、階段を下りてくるオレを見るなりそう言って、ぺこりと頭を下げた。オレもそれにつられて頭を下げる。
「……あ、おはよ……う!?」
急に、視界が揺れる。それから一瞬遅れたかたちで、頭に痛みが走った。別に激痛というほどの痛みじゃないが、普通の生活をしているやつ(まあつまり、日ごろからオレみたいにそういうことをしていない奴)が受けたらまず泣くだろうなっていうような痛みだ。
「おはよ、アーレン♪」
オレのすぐ後ろから、オレの後頭部(もちろん急所は外してるだろうけど)を殴った張本人の声がする。
「あ、おはようございます。ルーヴィスさん」
アーレンがオレのときと同じように、頭を下げて言う。しかしその額には、心なしか汗(多分あれは冷や汗だ)が浮かんでいるようだった。……まあ、いきなりあんな光景を見せられたら、見慣れてる人間じゃなかったらびっくりするよなあ、やっぱり。
ルーヴィスはさっきのお返しだとでも言いたげな目で数秒間こっちを見ると、すぐに視線をテーブルの上の朝食に移した。
「これ、アーレンが作ったのか?」
金色の右目が、きらきらと輝く。
アーレンは少し恥ずかしそうに頬を赤らめながら、その肩の辺りで切りそろえてある黒髪を耳にかけるような仕草をしながら言った。
「はい。……やっぱりいろいろと迷惑をかけている身ですから、これくらいはしないと」
オレはまだ少し痛む後頭部をさすりながら、苦笑して言った。
「ああ、そんなに気にしなくていいよ。こいつなんてアーレンの何百倍も迷惑かけてるのに何にもしないから」
こいつっていうのは、もちろんルーヴィスだ。確かに仕事をもらってはいるが、勝手に家に入って我が物顔で寛いでいるなど、迷惑なことこの上ない。
オレの言葉に、アーレンはあわてて首を横に振った。
「そんな! 私甘えてなんていられないです!」
「気持ちだけでいいよ。アーレンはとりあえずお客様みたいなもんだから」
「いいえ! そんなことではダルムさんのお嫁さんになんかなれません!」
…………。
……はい?
いつもよりもさらに長い沈黙を要してから、オレは自分の耳を確かめるようにゆっくりとつぶやくように言った。
「今、何て言ったの?」
「確か、嫁がどうのって……」
ルーヴィスが、イスを引いて座ろうとしたままの形で固まって言う。その目は、完全にあっけに取られていた。
アーレンは何故だか、腰に手を当て高らかに、そして誇らしげに言う。
「はい、私ダルムさんのお嫁さんになるんです! ついさっき決めました!」
いや、そんなことを急に勝手に決められてもな……。
オレは明らかに困った顔(をしているつもりだ。自分では)でアーレンに言った。
「一体どこでどうなってそういうことになったんだ?」
その言葉にアーレンは顎に手を当てて数秒間考え込むような仕草を見せたが、すぐにオレの赤い目をまっすぐに見つめて、にっこりと笑って言った。
「だってダルムさんとなら、魔力の強そうな子ができそうじゃないですかあ」
「…………」
オレはそのアーレンの返答に、言葉を失った。つまり、こいつは……、
〈ふむ。気づかれていたのか〉
どこからか、男の声がした。人間で例えるなら、三十代前半の男の声だ。
それはオレとルーヴィスにとっては、あまりにも聞き慣れた声。
「やっぱり、精霊憑きだったんですね」
アーレンは別に驚くこともせず、にっこりと笑ってオレ――というよりはオレの包帯を巻かれた左腕に向かって言った。
オレは驚きを何とか押し隠して、アーレンに言った。
「いつから、気づいてたんだ?」
「このコのことですか?」
「シロガネだ」
オレが言うと、アーレンは小さくうなずいてから言った。
「昨日、ダルムさんたちと話をしているときからシロガネさんのことには気づいていましたよ。いくら私がもう紋章も見えないほど魔力のない魔女だとしても……それでも、一応は魔女の端くれですから。自分の祖先が作り出した精霊の存在くらいはわかります」
〈なるほどな……〉
シロガネが言った。普段シロガネの声はオレにしか聞こえないが、やろうと思えば他の人間にも聞かせることができるらしい。ただしその場合オレたちみたいに空気の振動を使って声を伝えるため、特定の人間にだけ聞かせるっていうことはできない。
そのためいつもはシロガネのことを知っているルーヴィスだけがいるときにだけ(まあ、たまには例外もあるけど)外に声を出すのだが……どうやら今も、声を外に出していたらしい。
シロガネの言葉に、アーレンはにっこりと笑った。
「はい。……でも、実際に精霊さんに会ったのは初めてですよ。元気で何よりです」
〈ふん。……別に我は、貴様なんぞに会いたくはなかったわ〉
シロガネのぶっきらぼうな言葉に、アーレンはくすりと笑った。どうやらアーレンにも、今シロガネが少し恥ずかしがっていたことがわかったらしい。
……そんなことよりも、
「お前もしかして、魔女復活とか考えてるわけ?」
オレは鋭く言い放った。少し語調が強すぎたかもしれないなどと思うが、いまさら遅い。
笑顔を絶やさなかったアーレンの顔が、一瞬にして凍りついた。その唇を、重たそうにゆっくりと開く。
「違います。そういうわけでは……」
「じゃあどうしてさっき、魔力の強そうな子がなんて言ったの? それは、シロガネの憑いてるオレとなら昔のように魔法の扱える魔女が生まれるかもしれないってことだよな?」
「そう……ですけど……」
オレの言葉に、アーレンが顔を伏せる。
ヤバイ。少し言い過ぎた。
オレは、アーレンから視線をそらしてテーブルのほうへ歩きながら言った。
「……だからとにかく、そういう理由でお嫁になりますって言われても、オレは嬉しくなんてないってことだよ」
「…………」
アーレンが黙った。
……どうしてオレは、こういうときに限ってうまく言うことができないんだろう。さっきので言い過ぎたって自分でわかってたんだから、今の言葉をもう少しやわらかく言うことだってできたはずなんだ。本当は、できたんだ。なのに……。
「はっきり言ってやるのが、いいってときもある」
ルーヴィスが、オレの肩を軽く叩きながら耳元でささやく。
「わかってる。それくらい……」
そうさ。そのほうがいいってときがあることくらいわかってる。でも、今が本当にそういうときなのかがわからない。
……オレはいつも、後悔するのが遅いんだ。
「……いんだわ」
アーレンの声がして、オレは振り返った。
アーレンはうつむいたまま。しかしその拳は、エプロンの裾を握って小刻みに震えていた。
「ずるいんだわ!」
「……!」
アーレンが叫んで、オレをきっと睨みつけた。オレは、思わず気圧されて一歩後ずさりする。
「ずるい……あんたら普通の人間は、ずるいんだわ!」
「……何が?」
どうにかこうにかのどから絞り出した言葉は、そのたった一言だった。
しかもその言葉が、余計にアーレンの感情に火をつけてしまったらしい。
アーレンは、その緑褐色の瞳を震わせて叫ぶように言った。
「昨日言ったね? 私たち魔女……ううん、魔術師の中には生き残った人たちもいるって。でもね、そんなのはほんの一握りなんだわ。しかも魔術師の家系っていうのは、女が極端に多いんだ。これが、何を意味しているかわかるかい? ……ここ五〇年で、魔術師たちの数は極端に減ったよ。なかなか男が生まれないんだわ。それに普通の人間の男は、私たちが魔女だって知ったらいきなり顔色変えて逃げていく。……私たちが何をした? お前たちと同じで、ただここに生きているだけじゃないか! 私たちはお前たちに危害を加えたか? いいや、危害を加えたのはお前たちのほうなんだわ! ただ自分たちと違う力を持っているっていうだけでそういう者たちを妬んで、恐れて、それで『魔女狩り』なんていう恐ろしいことをした! 何が恐怖の排除……何が世界のためだ! 格好つけるんじゃないんだわ! お前らのやったことはただの虐殺なんだわ!」
そこまで一気に叫んで、アーレンは肩で息をした。その目は、まだオレを睨んでいる。……もしかしたら、その後ろにいるルーヴィスも。
「…………」
オレはアーレンの言葉に何も返せずに、ただその目を見たまま黙っていた。
数秒後、アーレンの瞳から怒りの色が消え、代わりに諦めに似た色が表れた。
ため息とともに、アーレンが言葉を紡ぐ。
「……だから、もうすぐ魔術師たちはこの世界から本当の本当にいなくなっちゃうんだわ。やっぱり私はそれが嫌で、哀しくて、どうしようもないから……だから、ダルムさんにシロガネさんが憑いてるってわかったとき、そういうこと考えちゃったんだわ。……ごめんね」
あはは、とアーレンが力なく笑う。オレはアーレンに何か言ってやりたかったが、言葉が出てこなかった。
「ひとつ……教えてあげるわ。私たちの祖先のかけた呪いは、この世界から魔術師たちが本当にいなくなったら解けるんだ。だから全ての『文明の遺産(テクノロジー)』が見つかるのも、もう時間なんだわ」
そこでアーレンは、言葉を切った。緑褐色の瞳が、見る見る間に濡れていく。
無理に笑顔をつくるアーレンの頬を、溢れた涙が伝った。
「……やっぱりずるいんだわ、お前たち。私たちがいなくなって、呪いが全部解けたら、お前たちは以前より……一〇〇年前よりももっと目覚しい発展をするんだわ。私たちを踏み台にして、もっと大きくなるんだわ」
「アーレン……」
やっと、名前が呼べた。
「こんなんじゃ私たち……いったい何のために生まれてきたのか、わかんないんだわ……」
オレたちを大きくするためだけに生まれてきた、魔術師という存在。……確かにそれだけじゃあ、あまりにも哀しすぎる。
でもオレには、それをどうにかするほどの力なんて、無い。
哀しいけど、無いんだ。
オレは何を思ったのか、アーレンに手を伸ばしていた。オレの両手が、アーレンの背中に回……、
ぱあんっ。
「……?」
一瞬何が起こったのか理解できずに、オレはその場に立ち尽くした。……右の頬が、熱い。
「さあさ、早く食べるんだわ! 冷めるとマズくなるよー!」
気づくとアーレンはオレの目の前から姿を消して、ルーヴィスの隣の席に腰を下ろしていた。昨夜と変わらないテンションで、大声を張り上げている。
オレは少し苦笑してから席に着くと、目の前でまだかろうじて湯気を立てているコーンスープに手を伸ばした。
「じゃあ、頂ま」
「ダルム様っ!!」
……すと言いかけて、オレは視線をその声がしたほうに転じた。
昨夜オレはちゃんと鍵をしたはずなのだがそのドアは勢いよく開けられ、そこからはかなり見慣れた少女がいつもは見せることのない焦った表情でこちらを見ている。
肩で息をしているところを見ると、ここまで走ってきたらしい。
「どうしたんだ?」
オレが問うと、その少女は咳き込みながら答えてきた。
「エ……エルさんが!」
「で……これはどういうことなの?」
「見たままです」
「まあ、そうなんだろうけど……」
さっきオレの家に来たときとはえらく違う落ち着きようで、その少女は答えた。オレはそれに、ため息まじりで答える。
オレの隣に立っているその少女は、もちろんルーンだ。とりあえず言っておくと、彼女はこのイザールの町でおそらく一番の資産家であるヴァルデ家のお嬢様である。何故こんなお嬢様がオレの知り合いかと言うと、まあ昔にちょっとした仕事を依頼されて、そのときにオレが気に入られてしまったからなんだけれども……。
とにかくオレはそのルーンに朝っぱらから(と言ってももうすぐ十時になるんだけど)呼び出されてこんなところにいるわけだ。
オレたち――オレとルーヴィスとアーレンとルーンの前には、『デッサウ商店』と書かれた看板を掛けた赤レンガ――この町イザールの建物はみんな赤レンガに統一されている――の二階建ての建物がある。
そしてその二階の窓から、二人の男(と思う。覆面をかぶっていて顔が見えないから断定はできないけど)と一人の少女の姿が見えた。
まあつまり、何て言うか……、
「あれ、エルだよなあ?」
ルーヴィスが、その二階に見える少女を指さして言う。
アーレンが、首を傾げた。
「エル?」
オレはそのアーレンの質問に、明らかに嫌な顔をして答えた。
「オレの幼なじみだよ。ついでに言うと、あいつの家オレの隣ね」
「ああ、隣のパン屋さん」
アーレンが思い出したように両手をぽんっと打ち合わせる。そして数秒間そのまま固まって、そしてオレのほうへと困った顔をして視線を向けてきた。
「……その人がどうしてああいうことに?」
「オレだって知らねーよ」
オレはアーレンから建物へと視線を戻した。周りには野次馬がこれでもかっていうくらいたくさんいるが、それでも二階の窓はよく見える。
そこからなら簡単に外に出ることができそうな半身ほどもある普通のものよりも少し大きめの窓を開けて、そこから覆面男その壱が外にいるオレたちに向かって声を張り上げた。
「いいかよく聞け! オレたちは世にも恐ろしい『フリューゲル・ナハト』だ!」
自分で言うなよ、そういうこと。
多分ここにいるほとんどの人が今のオレと同じツッコミをしたと思うのだが、誰もそれを実際に声には出さずにただ覆面男その壱の次の言葉を待っている。
覆面男その壱は、腕組みしてこちらを見下ろした形のまま、続ける。
「オレたちはたった今……いいやちょうど五分と三十秒前、この『デッサウ商店』を占拠した! いいかそこの警察もよく聞け! こっちには人質がいるんだ! 下手に動かずにオレたちの言うことを聞けええっ!」
野次馬たちの中を見回してみると、確かに一箇所、同じような服――つまりは制服――を着た男たちが固まっているところがある。
ああ、警察いたんだ。
しかしその警察たちはみんな新入りだと思えるほど若者ばかりで、どうしようどうしようと慌てている。……まったく、情けない。
「困ったわねえ」
不意に、オレの目の前にいた女の人が声を上げた。しかしその言葉とは裏腹に、その声には困った様子など微塵も感じられない。
オレはその人に、見覚えがあった。
「エルのお母さん?」
「え?」
オレの言葉に反応して、その人がこちらを向いた。そしてオレの姿を認めた瞬間、そのまだ子供っぽさを少しばかり残しているエルと同じ茶色い目ががきらきらと輝く。
「あらあ、ダルム君♪」
自分の娘が人質に取られているこんな状況でも、この人は楽しそうだった。
そう、この人はあのエルの母親――リーザ・ラーゲンだ。
オレは勝手に、エルはリーザさんだけでつくられたものだと思っている。
……聞いた話によると、リーザさんも昔はかなり厄介ごとを連れてくるたちだったらしい。
「あれ……どういうことなんですか?」
あまり当てにはならないだろうなと思いながらも、オレは一応リーザさんに聞いてみた。もちろん、あの変な覆面(とエル)のことだ。
リーザさんは、無邪気な笑みを浮かべて言った。
「いえねえ、パンの小麦が足りないって騒いでたらエルが買ってくるって言ってここに来たらしいんだけど、ちょうどそのときあの変なのと鉢合わせちゃったみたいなのよ。んふふ、昔を思い出すわあ」
リーザさんは、何だかとにかく楽しそうだ。
「……じゃあ、人質はエルだけじゃなくって商店の人も?」
オレが何気につぶやくと、リーザさんは思い出に浸るのをやめて言ってきた。
「それがね、あの子ったら自分が人質になるからって言って商店の人を解放してもらったんですって。……そういう正義感があるところは似てるのよねえ、あの人と」
うふふ、と笑って、またリーザさんが思い出の中におちる。
オレはそんなリーザさんを放ったままにして、すぐそこにいたルーヴィスに小声で言った。
「人質は、エルだけだってさ」
「警察は、動きそうにねえしなあ」
ルーヴィスが腕組みをして二階を見ながら言う。
はあっとため息をついて互いを見合わせたのは、同時だった。
建物の裏には、まったく人気が無かった。警察がいればそいつらに任せようとも思っていたのだが、それはどうやら無理みたいだ。
オレたちは一度野次馬の群れから外に出ると、『デッサウ商店』の二つほど向こうの家とその隣の家の間の小道から建物の裏手に回った。相変わらず表は騒がしく、しかしオレたちに気づいた様子は無い。犯人たちからしてみれば、野次馬の数がほんの少しだけ減った。それだけだ。たとえオレたちが新しく警察を呼んだとしても、あまり状況に変化はもたらさない。
だからこの状況で一番いいのは、今オレたちがここで解決してしまうことだ。
オレとルーヴィスは用心のため足音を消して、建物に近づく。
「何だ、お前らは!」
「あら、見つかっちゃった」
さすがに足音は消せても姿は消せずに、オレたちはあっさりと覆面の男に見つかってしまった。ルーヴィスが茶目っ気たっぷりに――しかし目は笑わずに――言う。
「……三人、いたんだ」
オレはぼそりとつぶやく。
覆面男その参(見張り役)は、まさかここまで人が来るとは思っていなかったのか、慌てた様子で言った。
「お、お前らっ。今なら見逃してやるぞ。……ほ、ほら、今のは見なかったことにして、さっさと家に帰りな」
見たところ、武器らしきものは持ってはいないようだった。もしかしたら、どこかにナイフぐらいは隠し持ってるかもしれないけど。
オレとルーヴィスは、覆面男その参の言葉を完全無視して、近づいていく。
「く……来るなあっ!」
叫ぶように言って背中に手を回す。そして次の瞬間、
とんっ。
「あ……」
ルーヴィスの手刀が見事に覆面男その参の首に入って、覆面男その参は地面に倒れこんだ。
「あーあー、素人がこんなもの持っちゃって。危ないねえ」
ルーヴィスが言いながら、覆面男その参を道の端に寝かせる。
覆面男その参の手には、ナイフが握られていた。形状からして、毒が仕込まれているものだと思う。背中に隠し持っていたのか……。
「行くぞ」
「はいよ」
オレが言うと、ルーヴィスは短く答えた。
オレは、裏口のドアノブに手をかける。
「開けばそれでよし。開かなかったら……しょうがないよな」
小さくつぶやいてから、オレはノブを回した。
キィ……。
ドアは、小さく音をたてながら、何事もなく開いた。
「残念。普通に開いた」
オレの後ろで、ルーヴィスが本当に残念そうに言う。オレは、ルーヴィスのほうを振り向かずに言った。
「何? お前このドアぶち破りたかったわけ?」
「だってこの際暴れたいじゃん」
「……後でドアの修理代とか請求されるのオレなんですけど」
「だからいいんじゃん」
「てめ……」
オレは反射的に叫ぼうとして、止めた。上から声が聞こえてくる。
「ねえ、お腹空いたんだけど」
「おい嬢ちゃん。少しは黙っててくれねえか?」
「やーよ。だってお腹空いたんだもん。今って十時でしょう? おやつの時間じゃない」
「おやつ……。嬢ちゃん、君はいったい何歳なんだい?」
「この前の夏に十八になりました」
「…………」
明らかに、エルの声だ。エルに似てるだけで本当は他人だったらなあなんてことを思っていたが、オレのその甘い希望はたった今打ち砕かれた。
「さて、行くかー」
ルーヴィスが、どこか間の抜けたような声で言う。どうやらルーヴィスも、オレと同じ希望を抱いていたらしかった。
「……だな」
オレは、ため息をひとつ吐いてから答えた。
「どーも」
「な、何だお前らはっ!」
二階へ上がる階段はすぐに見つかって、その階段を上るとすぐそこにエルと覆面男その壱と弐はいた。
オレとルーヴィスの侵入に気づいた覆面男たちは、覆面男その参とほぼ同じ反応でオレたちに叫んだ。
本気でここまで誰も来ないと思っていたみたいだ。かなり慌てている。その証拠に、
「足、震えてるよ」
「き、気にするなっ!」
覆面男その壱は、顔を真っ赤にして(覆面をかぶってるから実際にはわからないけどそんな気がした)叫んだ。
「答えろ! お前らは何なんだ!」
「ただの何でも屋とその知り合い」
オレがけろっと答えると、覆面男たちは笑いだした。
「何でも屋だと? 笑わせるな。そんな奴らに何ができる」
「下にいた見張りの人、悲鳴上げる間もなく倒したんですけど」
「…………」
今までそのことを忘れていたのか、それとも考えようとしていなかったのかは知らないが、覆面男たちは急にその場に固まった。
「降参……してくれない?」
オレは笑顔で言い、そしてまたルーヴィスは笑顔で指をぽきぽき鳴らしている。
しっかり十秒は固まって覆面男たちは、床に膝をついて両手を挙げた。
「なーんかつまんねえよなあ」
「同感」
ルーヴィスの言葉に、オレは答える。
別にルーヴィスみたいに暴れまわりたかったわけじゃないが、それでも何か物足りない。せめてもう少し、覆面男たちが粘ってくれればなあ。
「凄かったですわ、ダルム様!」
「あ、どーも」
ルーンのお褒めの言葉にも、オレは適当に返す。だって凄かったって、お前見てないじゃん。
「ダルムありがとー。たまには役に立つのねー」
「あー。たまにはっていうのがなんか引っかかるけどとりあえずどういたしましてー」
急に飛びついてきたエルに、オレは頭を撫でながら言う。なんだかんだ言っても、やっぱり怖かったらしい。少し体が震えている。
「ま、お前も偉かったよ。代わりに人質なったんだって?」
「あの人たち覆面洗濯してなかったんだー。臭かったよー」
「はいはい」
「あの、ダルムさん」
「ん?」
急に声をかけられて、オレは顔をそっちに向けた。
そこにいるのは、もちろんアーレンだ。
彼女の手には、いつの間にか赤いアタッシュケースが握られていた。
「どうも、お世話になりました。私、そろそろ行きます」
「え、行くって……?」
確かアーレンは有り金が尽きていくところがなくてオレのところに来たんじゃなかったっけ? それなのに、どこに行くっていうんだ?
オレはそんなことを思ったが、オレが言う前にアーレンがオレの耳元で囁いた。
「エルさん、大事にしてあげてくださいね」
「……は?」
オレがその意味を飲み込めずに固まっていると、アーレンはひとつお辞儀をしてその場を去っていった。
「……何だったんだ?」
オレはただエルの頭を撫でながら、そうつぶやくしかなかった。
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Photo by Natuyumeiro