一章 →




――今夜は綺麗な、満月どすなあ……。









   プロローグ



 ――春の月第四週、三日。

 ようダルム。ちゃんと飯食ってるか? ちゃんと洗濯してるか? って言うかその前に、ちゃんと生きてるか?
 まあ、お前がこの日記を読んでいるのならちゃんと生きてるんだろうなあ。はっはっは。

 ではまずお前に謝っておこう。
 すまなかったな。
 母さんが死んで、オレとお前の二人っきりになって、そんな状態なのにお前に何も言わずに家を飛び出したのは、本当に悪いと思ってる。
 でもな、オレはお前との二人暮し……あの二年間の中で大体のことは教えてきたつもりだ。早いとか思うかもしれないが、お前はそろそろ独り立ちしてもいい時期だろうと思ってな。だから、少々荒っぽいがこういう方法をとらせてもらった。別に、とーさんが男二人っきりの生活に飽きたとか、そういうのじゃあないぞ。

 そう言うわけで、オレは今エルツにはいない。まあ、どこか他の国にいるっていうことだけ言っておこう。
 それで、せっかく国外に出たんだからしばらくこのまま旅でもしてみようと思う。
 そう言うわけだから、まあこれからも一人で頑張ってくれや。なーに、お前なら何をしても大丈夫だよ。とりあえずザーレにいるオレの友達にお前のことを頼んでおいたから、もう一人じゃどうしようもなく困った時はそいつに言ってくれ。

 ああそうだ。
 今朝なあ、物凄く綺麗な空を見たんだ。
 お前にこの感動を伝えてやりたいんだが、どうも上手く言葉にできなくってなあ……。
 まあそう言うわけだから、もし見たいとか思っちゃったら自分で探してくれ。悪いがオレは物覚えが悪いほうなんで、後で何か聞かれても多分思い出せないからな。それに、お前にも旅ってものを味わってもらいたいしよ。
 そうだな、一つヒントを出そう。
 海だ。海が見える。

 ……まあ何だ、そう言うわけだから、オレはしばらく帰らない。その間家のこと、頼んだぞ。
 ああ、あと、エルちゃんにもよろしくな。
じゃあ――




 急にどこに行ったのかと思えば……。
 それがオレの、この日記をはじめて読んだ時の感想。
 正直呆れた。こいつの頭の中はどうなってるんだとも思った。
 当時オレは十三歳。いくらなんでも、一人暮らしには早いと思われるような年だ。
 それをオレの馬鹿親父は、何も告げずに何の前触れもなしにオレ一人残して出て行った。
 あの時オレは、どうしたらいいのかまったくわからなかった。そりゃあ二年間も男二人で暮らしていたから家事の類は得意といえば得意だったけど、そのほかのことはさっぱり。
 一番の問題は、これからどうやって稼いで生きていくかだった。第一オレは親父が何の仕事をしていたかもわからないから、コネとかそう言うものもない。かと言って当時まだガキだったオレなんかを、はいそうですかって簡単に雇ってくれるようなところなんてどこにもない。
 それより何より、親父は「大体のことは教えてきたつもりだ」なんて書いてるけれど、実際オレが親父に教わったものなんて、武術の類しか覚えがない。オレの中にかろうじてある知恵と言えるものといえば、昔じーちゃんや母さんに教わったものと、二人暮しをしている間にオレがその生活の中で手にしたものだけだ。
 しばらく何をしたらいいかわからずに、家に残されていた金を使って生きてはいたが、やがてその金もつきかけてきた。
 そんな時だ。あいつが現れたのは。
 ルーヴィス・ハーウェン。またの名を『金の鷲(イーグル)』。そいつが親父の友達だと知ったのは、それから約半年後――親父が一年ぶりにひょっこり帰ってきて、土産と一緒に置いていったこの日記を読んだ時だった。
 ともかくオレは、こいつに助けられたんだと思う。
 仕事を探しても相手にされず、何をしたらいいかわからずに毎日をただ過ごしていたオレに、あいつは仕事をくれた。
 まずあいつは、雇ってもらえないなら自分で仕事をつくればいいと言った。オレは確かにその通りだと思い、何でも屋をはじめた。
 はじめは――やっぱりというか――誰も取り合ってはくれない。でもそれはしょうがないことだとルーヴィスは言った。はじめは誰だって無名なものだ。そこからのし上がって行けばいい。
 まずはご近所から。オレは家事が得意で、それが役に立った。少しずつだが、オレの名前は知られるようになり、仕事もそれに比例して増えていく。
 そしてオレはルーヴィスに、もう一つ仕事をもらった。あまり人前では言えない……俗に言う、裏の仕事だ。
 当初オレはそんな世界のことなど知らなかったし知りたいとも思わなかった。ルーヴィスも、オレをその世界に引きずり込もうなんてことは思っていなかったと思う。
 きっかけになったのは、ひとつの事件。話すと長くなるから今ここでは言わないけれど、その事件でオレはその辺に大勢いる人間とは少しちがう存在になった。
 オレの左腕には、精霊と呼ばれるものが憑いている。
 名はシロガネ。隣国恭の言葉で書くと、白金になる。もとは白銀の毛を持った狼だったけれど、今その体はない。その体は、今から約百年も前に失われてしまった。
 当時世界では魔女狩りと呼ばれる表向きには恐怖の排除(とりあえず、学校の教科書にはそう言う風に書かれている)、実際は魔女と呼ばれる魔法を扱う人間の虐殺が行われていて、精霊はその時に魔女たちがつくり出したものだ。百年経った今でも精霊が存在していられるのは、肉体を持たないことにある。
 そして、その精霊と体をともにした者の選択肢は三つ。
 ひとつは、どこかにある魔女たちが精霊をつくり出した遺跡で精霊を体から引き剥がして、再び封印する。そうすれば、またいつもの生活に戻れる。
 もうひとつは、精霊を受け入れてともに生きていくこと。実はこれが一番難しく、お互いの波長が合っていないとどちらかが精神崩壊を起こして死んでしまう。
 そして最後のひとつが、精霊に体を明け渡して自らは永遠の闇に落ちること。簡単に言えば、死ぬことだ。二つ目の方法で波長が合わずに人間のほうが死んだ場合も、これになる。
 そしてオレは、二つ目の方法を選んだ。幸運なことにオレとシロガネの波長はぴったりなようで、今まで暴走してしまったことは一度も……シロガネにはじめて憑かれた時を除いて、一度もない。
 そこでルーヴィスが目をつけたのが、シロガネの能力。
 いつもは左腕だけに留まっているシロガネだけど、同調という行為を行ってオレと完全に一体化すると、オレの身体能力が飛躍的に上がる。もう少し簡単に言うと、同調することによってオレはシロガネの五感を手に入れる。ついでに言うと、シロガネのやつは狼のくせして何故か眼がいいから、夜の仕事にはばっちり対応できる。
 ……元々ルーヴィスも裏の人間らしく、しかもかなり名が売れているからルーヴィスのところにはそれなりに仕事が入ってくる。オレがもらっているのは、その仕事だ。実はルーヴィスは少し前に仕事中に左目を負傷して仕事がやりづらくなったとかで、自分の代りに仕事をしてくれそうなやつを探していたらしい。
 それでルーヴィスが、オレを裏の世界にスカウトしてきたってことだ。
 オレは何故か、それをすんなり承諾した。下手をすれば自分が死にかねないような危険な仕事なのに、どうしてそんな簡単に決めてしまったのかは、今でもわからない。まあ世の中、そんなこともある。
 ――そうして、今に至る。
 今のオレは、このイザールという町では知らない者はいないというほど有名になった何でも屋だ。オレの名前を聞いたことのない人間なんか、見つけるほうが難しい。
 裏でもオレは、それなりに名を上げた。『黒狼』と言えば、多分たいていのやつが聞いたことがあるだろう。
 全て、ルーヴィスのおかげだ。それは認める。感謝もする。
 しかし、ルーヴィスと友達なのはあくまでオレの親父であって、オレじゃない。もしもオレがルーヴィスの友達だと本人の目の前で認めてしまったら、確実にこの世にないほどの究極的な厄介事に首を突っ込むことになる。それだけは避けたい。どうしても避けたい。
 ただでさえ……今の状態でさえ、あいつは厄介な仕事しか持ってこないようなやつなんだ。この一線を越えると、どうなるかは想像しなくてもわかる。
 だからオレは、ルーヴィスとはあくまで仲介人と請負人の関係を保っている。きっと向こうは、早く一線越えちまえよって手招きしてるんだろうけど。
 コン、コン。
「?」
 ノックの音がして、オレは立ち上がった。日記は、しおりも何も挿まずにそのまま閉じる。この日記は親父が昔からつけていたものだったから旅に出てはじめて書いたらしいこのページは実はけっこう真ん中辺りにあったりもするのだけれど、オレが何度も読み返したせいですっかり跡がついてしまった。今では、背を下にして置くだけでそのページが開けるほどだ。何故そんなに読み返したかと言うと……まあ、後でいいか。
 オレはすぐに、向かいの窓を開ける。ちなみにここは二階で、そこから見えるすぐ下には玄関がある。
 玄関の前にいたのは、一人の老人だった。
 ……こんな時に、珍しい。
 ふと、そんなことを思う。何故そんなことを思うかと問われれば、こう答えるしかないだろう。
 今は冬で、しかもここにしては珍しく雪が積もっていて、そして現在がまだ朝の七時だから。
 冬の七時といえば、ようやく太陽が昇りはじめた辺りだ。しかし今は空を分厚い雲が覆っているため、その太陽も見えない。……とりあえず言えることは、まだ外を出歩くには少々寒い。ましてやそれがお年寄りということになれば、風邪を引きかねないし、もしかすると雪で足を滑らせてこけて骨折なんていうことにもなりかねない。
 とりあえずオレは、その老人に声をかけた。
「あの、何か?」
「ああ、そこにいましたか」
 老人はオレの声に気づき、顔を上げて言う。どうやら、オレに用があるらしい。
「ちょっと、よろしいかな?」
 この老人の顔に見覚えがあったような気がするが、どうにも思い出せない。オレはとりあえずそこで待っているように言って下に降りると、老人を家の中に入れて温かいお茶を出した。




「どうもすいません。こんな朝早くに……」
 老人が中身を半分ほど一気に飲んで、その湯飲みをテーブルに置きながら言った。
「いいえ、お構いなく。それより何です? 仕事ですか?」
 オレが営業スマイルでそう言うと、老人は薄く笑ってそうでしたねと言った。どうやら忘れていたらしい。家の中に入ってお茶を飲んで……寒さから少し解放されて、安心したのだろうか?
 オレのそんな勝手な思考にはお構いなしに、老人が話し始めた。
「実は明後日、私の代わりに時計塔を護ってほしいのです」
 率直簡潔にどうもありがとうございました。でもちょっと待ってください。
「すいません。お名前は……?」
「え? ああ、そうでした、まだでしたね」
 オレが言うと、老人はあわてて言った。
「申し遅れました。私はこの町の時計守をしているノルト・ハウゼンと申します」
 なるほど、時計守のじいさんね。そういえば昔、一度会ったことがあったっけ。
「そちらはもちろんもうご存知でしょうが、一応名乗っておきますね。私はダルム・シュタート。この町で何でも屋をしています」
 オレが言うと、ハウゼンさんは確認するようにうなずいた。そしてまた、口を開く。
「それで、仕事のほうなのですが」
「どうぞ」
 オレが言うと、ハウゼンさんは一呼吸置いてから言った。
「先ほどに申しましたとおり、明後日私の代わりに時計塔を護ってほしいのです。実は今度『老人会』で一泊二日の温泉旅行に行くことになりましてね。しかし時計守は私しかいない。さてどうしたものかと考えていたところで、あなたのことを思い出したんですよ」
「つまりあなたが『老人会』で温泉旅行に行っている間の時計塔の管理を私に任せる、と?」
「ええまあ、そういうことです」
 そこまで一気に話をして、ハウゼンさんは湯飲みに手を伸ばした。一口飲んでから、ちらりとオレを見る。その声はどこか、今にも折れそうな細い枯れ枝を思わせた。
「……それで、おいくらほどになりますか?」
 時計守っていうのは――たとえ端くれでも――町のシンボル的存在である時計塔の管理を任された町の職員だからそれなりに収入はあるだろうけれど、それでもやっぱりこういうことは気になるらしい。そりゃあたしかに老後はいろいろと金が――しかも突然莫大な量のが――いることもあるから気になるのもわからないでもないけれど……。
 オレはそんなハウゼンさんの気持ちを微妙に込めながら電卓の数字を押した。
「まあ、これくらいになりますね」
 そう言って、ハウゼンさんに電卓を渡す。ハウゼンさんは急いで持っていた肩掛けカバンから老眼鏡を取り出すと、それをかけて電卓に示されたその数字を見た。
 オレとしてはちょっぴり――ほんの気持ちだけど――おまけをしたつもりなんだけれど、どうだろう? って言うかこれ以上安くすると、今度はこっちの生活が危ない。
 ハウゼンさんは、少し安心したようにため息をひとつつくと老眼鏡をカバンにしまいながら言った。
「ああ、そうですか。ええ、わかりました。……これは、いつお支払いになればよろしいのでしょうか?」
 どうやらこの値段に納得してくれたようで、オレは小さく安堵の息を漏らしながら言った。
「今でかまいませんよ。……ああ、持ち合わせがなければ後でもかまいませんが」
「ああ、では今」
 そう言ってハウゼンさんはカバンの中に手を突っ込むときっかり五秒ほどその中身をかき回して、そこから財布を取り出した。よく使い込まれている、茶色い革の財布だ。売れば結構な値打ち物になりそうな……、
 オレの視線に気が付いたのか、ハウゼンさんが少し頬を赤らめながら言った。
「……ああ、この財布ですか? 結構いいものでしょう? 三十年ほど前に、私の娘が初めて稼いだ給料で買ってくれたんですよ。恥ずかしいからあまりこのことは人には言わないでくれって娘は言うんですけどねえ。やっぱり私としては嬉しくて、ついついこう……今の調子で話してしまうんですよ。本当にもう、娘には申し訳がないですねえ。……これで、いいですかな?」
 そう言ってハウゼンさんは、オレの前にお金を置く。オレはそれを受け取って、手馴れた手つきで数えた。
「ええ。確かに五〇〇〇クエルちょうど、頂きました」
 オレが言うと、ハウゼンさんはテーブルに額が当たるんじゃないかっていうくらい頭を下げて言った。
「では、明後日のことは、よろしくお願いします」
「ええ、任せてください」
 オレはハウゼンさんのその言葉に、例のように営業スマイルで答えた。




「よお、久しぶり」
「…………」
 オレがハウゼンさんを途中まで見送ってから家に帰ってくると、そいつはさも当然のようにそこにいた。まあつまり、勝手にオレの家に入って勝手にイスに座って寛いで、勝手にコーヒーを飲んでいた。
 オレは数秒間その光景を見て固まっていたが、すぐに我を取り戻してびしっとそいつを指さして叫んだ。
「何でどうしてお前がここにいるんだよ!? オレはちゃんと鍵をかけてから家を出たんだぞー!!」
「何言ってんだよ。ピッキングなんて基本中の基本だろ?」
 そいつ――ルーヴィスは、まだ湯気を立てているコーヒーカップに口をつけながら言った。
 確かに、ルーヴィスにこんなことを言っても無駄だっていうことはオレが一番よくわかっている。見た目はこんな『ホストでもやってそうな兄さん』だけど、裏で名を上げているのは事実だ。ピッキングなんて朝飯前だろう。
 でもだからって、仕事でもないのに勝手に人の家に入るのはいけないだろう? まあオレなんて、確かにルーヴィスには入られ慣れてるけど……。
 オレは胸中でそんなことをぼやきながら、着ていたコートを脱いだ。そしてそれを、壁のコート掛けに掛ける。
「……?」
 今さらだが、何だか部屋の中が暑い。今まで外に出ていたから部屋の中が暖かく感じるのは当たり前かもしれないが、それでもこの暑さは……。
 オレはぐるりと部屋を見回した。そしてオレの視線は、ある一点で固定される。
 それは、ルーヴィスのすぐ隣にあった。
「あああっ!」
 オレは耐え切れずに、思わず叫ぶ。ルーヴィスは、何事だとでも言いたげにこちらを向いた。しかしその表情に、悪意は全くない。
「何だよ?」
 小さくつぶやく。オレはそのつぶやきに、思いっ切り叫んだ。
「何勝手にストーブつけてるんだよ! オレのストーブだぞ、オレの灯油だぞ、オレの貴重な灯油なのにーっ!」
「いいじゃん別に。寒かったんだし」
 オレの悲痛な叫びに、ルーヴィスはけろっと答える。そしてまた何事もなかったかのようにコーヒーに手を伸ばした。
 ストーブは今も、ルーヴィスの隣でオレの貴重な灯油をガンガン燃やしている。
 これ以上ルーヴィスに何を言っても無駄だと悟ったオレは、ストーブの隣にしゃがみ込んでストーブの調節ねじを回して炎を二回りほど小さくした。
「あ、何してんのお前!」
 こういうことには、ルーヴィスはすぐに反応する。
「火が大きすぎるんだよ。あのままじゃああと何日持つかもわからん」
 オレが立ち上がってその場を離れようとすると、ルーヴィスがオレの袖をがしっとつかんだ。
「寒いよママン♥」
「気色悪いからやめろ。それにこの部屋は十分あったかい。つーか暑い」
「……ちっ」
 ルーヴィスがオレの袖を放して舌打ちした。
 オレはそのまま二階に上がる階段を上ろうとしたところで、重大なことを聞くのを忘れていたのを思い出して、ルーヴィスのほうを振り返った。
「そういえば何故お前はここにいる?」
「あ、そうそう」
 こちらも忘れていたのか、ルーヴィスがコーヒーカップをテーブルに置きながら言った。
「……お前、ヴァニッシュって知ってるか?」
「知らないけど……何?」
 急にそんな話題を切り出してきたルーヴィスの顔は、いつもより真剣なものだった。……仕事の話か?
 オレは素直にルーヴィスの問いに答えた。するとルーヴィスは、まあそんなもんかと小さくつぶやいてから、話を続ける。
「最近裏の世界(こっち)に出てきた奴なんだけどな。何て言うか、その……どうしてその名前が付いたか、わかるか?」
 いや、いきなりそんなこと言われても……。
 オレが答えられずに困っていると、ルーヴィスはあっさりとその答えを言った。
「ヴァニッシュって言うのは……まあ、そいつが恭国から来た『忍者』っていうのもあるんだけど、そんなことよりもそいつの行動から付いたんだ」
「行動……?」
 オレは意味がわからずに、眉をしかめる。
 ルーヴィスは、くすりと嫌な笑みを浮かべて言った。
「前金を貰っているくせに、仕事中に突然姿を消しちまうんだと」
「……はあ?」
 オレはその言葉の意味がいまいち飲み込めずに、素っ頓狂な声を上げた。ルーヴィスは、まだ笑っている。
「まあ姿を消すのはどうしても分が悪かった時だけで、普段はちゃんと仕事はこなすみたいだけど? まあ、そうじゃなきゃここまで名を上げるなんてことはできないよな? ……ま、そんなことはどうでもいいんだよ」
 そこまで言って、ルーヴィスの笑みが変わった。
「デートしない?」
「オレにそんな趣味はない!」
 オレは即答したが、ルーヴィスは一歩も引きそうにはなかった。
 ……残念なことに今回は、仕事の依頼というわけではなさそうだ。




 デートというのはつまり、最近オレの体が鈍ってそうだから久しぶりに相手をしてやる、というものだったらしい。
 別にオレが、妙な想像をしていたわけではない。
 ……まあとりあえずそういうことで、オレとルーヴィスは今いつもの公園にいる。
 珍しく雪が積もっていることもあってか、今日は子供連れが多かった。しかしそれもほとんどがブランコなんかの遊具があるほうで、オレのお気に入りのこの場所―― 一面芝生の丘になっている所には、人はオレたち以外誰もいなかった。確かにこんな雪の積もっている寒い日に用事もなく外を出歩くのは、雪に好奇心をそそられる子供とその子供に無理矢理連れられてくる親くらいなものだろう。後は、ただの物好きだけだ。
 オレは後者に入るんだろうななどと思いながら、オレは構えをとる。腰を落として拳を軽く握って……まあ、基本的な構えだ。
 それに対してルーヴィスは構えをとらず、いつものとは違う少し厚手の黒いロングコートのポケットに両手を突っ込んでいる。
 余裕綽々(しゃくしゃく)だ。
「行くぞ」
「いつでもどうぞ」
 ルーヴィスが口元を吊り上げて笑いながら言った。オレはその言葉の最後を聞くか聞かないかぐらいで、地面を蹴った。オレの足の下で、雪がくっと硬くなるのがわかった。
「ふっ」
 オレは小さく息を吐いて、拳を突き出す。それはルーヴィスのみぞおちを狙ったものだったのだが、人間とは思えないような体の柔らかさで上半身を反らせて、ルーヴィスはそれを難なくかわした。
 オレはそのままルーヴィスの後ろにまわり、ルーヴィスが上半身を元に戻したところを狙って左からわき腹目がけて蹴りを叩き込んだ。
「え? おわっ!」
 急にオレの足が摑まれたかと思うと、次の瞬間オレはルーヴィスの頭の上を飛んでいた。
 つまりオレはルーヴィスに、足を摑まれて思いっ切り投げられたことになる。
 どっ……!
「痛っ」
 何とか受身をとったのだが、それでも――いくら雪が衝撃を吸収してくれるといっても――やっぱり痛いものは痛かった。
 そして、さらにとどめ。
「……!」
 オレは一瞬、目に涙が浮かんできたような気がした。
 ルーヴィスがオレの腹に足を乗せたまま、それにさらに体重をかけるようにしてオレを覗き込んできた。
「死角狙うなんてずるいことするようになったねえ、お前も。悪いけどオレもいい加減そっち狙われるのには慣れてきたところなんだよ。残念♪」
「あの……足退けて」
「それにしてもやられるの早過ぎない? オレ一歩も動いてないし。やっぱお前鈍ってるよ」
「いや、わかったから、足を……」
「やっぱりオレ今日来て正解だったな。しょうがないから鍛えなおしてやるか。うん」
「……聞いてます?」
 オレが何度言っても、ルーヴィスはひとりでぶつぶつ言うだけでオレの言うことなんかひとつも聞いてなんかいなかった。
 雪を降らせた白い雲を背景に、ルーヴィスのその金色に輝く右眼は楽しそうに笑っていた。


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Photo by Natuyumeiro