← 三章   あとがき →



   エピローグ



「ちょっと早くしなさいよ。あんたのせいで乗り遅れたらシャレにならないんだからねっ」
 耳元(じゃなくてほんとは隣なだけだけど)で大声で叫ばれて、オレはうんざりとそれを聞き流しながら走っていた。だって、もう何回も同じこと言われたし。
 オレたちが今いるのは、駅の構内。
 そして時間は、九時五十七分。
 汽車の発車時刻まで、あと三分しかない。
 三分もあれば十分だと思うかもしれないけど、それがそうもいきそうにない。
 今日がたまたま休日と重なってたから、とにかく人が多い! オレたちはまだ改札口すらくぐってないし、それから階段を駆け上がってホームまで行かなくちゃならない。
 いくら券を予約で取っていたとしても、汽車は待ってくれない。そうしたらオレたちは、もう一晩ここで過ごすことになる。
 これ以上予定を延ばされるのはごめんだ。
 改札口をくぐって人ごみの中を無理矢理走りながら(これくらいのことは、オレたちの業界では当たり前)、オレたちはホームに出る。
「あった、あの汽車」
 ヤマトが指を差して言う。確かにその先には、『オーデル行き』と書かれた看板と汽車がある。
「って、ヤマトやばいぞ! あと一分!」
「上等!」
 言うはいいが、人の頭を飛び越えて行くわけにもいかない。どうにかこうにか人を押しのけながら隙間を縫って走って、オレたちは汽車に乗り込む。
 プシュー……。
 すぐ背後で気の抜けるような音がして、ドアが閉まる。
「ギリギリセーフ」
「あんたが寝坊なんてしなければ、こんなことにはならなかったのにね」
 ふふ、と鼻にかけたような笑いを漏らしながらヤマトが言う。
「うるせー」
 ぼそりと小さくつぶやいて、オレはヤマトの後に続く。ヤマトはいつの間にかオレの側から離れ、座席を探して歩いていた。さすが休日というか……空いている座席は、なかなかない。
 オレは右手で後ろ頭を掻きながら、半眼で言った。……まだ眠気が、頭に残っている。
「しょうがねえだろうが。オレはきっちり六時間は寝ないと駄目なんだよ」
 ささやかな言い訳をするが、ヤマトは聞いているのか聞いていないのかわかったもんじゃない。
 どうやら昨日寝たのは正確には三時半頃だったらしく、オレはそれからきっかり六時間は寝て、つまり……起きたら九時半を少し過ぎていたんだ。それから適当に顔を洗うことだけして、荷物を持って(とか言ってもオレが持ってるのは狼牙(リンガ)くらいなんだけど)宿を飛び出してきた。それから駅まで猛スピードで走ったけど、オレは寝起きだし朝ごはんは食べてないしでいつものように速く走れなくって……。
 まあ、結果ギリギリでも間に合ったからいいんだよ。うん。
「……まったく。しょうがなくなんてないわよ。こういう時ぐらい体内時計自分で調節しなさい。……あ、席見っけ」
 一度始まったらなかなか終わりそうにない気がしていたヤマトの説教は、空いている座席が見つかることによって案外早く終結した。オレとしては、嬉しいことこの上ない。
 この込んでいる車内で奇跡に近い確立で空いていたその向かい合わせの席に、オレたちは座る。
「もー……。ほんとよかったわよ席見つかって。もしずっと席が見つからないで八時間も立ったまま乗ってないといけないなんてことになったらどうしようかと思ったもの」
 足下にバッグを置いて、ヤマトが言う。……確かに、八時間も立ちっぱなしっていうのはいやだな。しかもそれがオレのせいだとなると、オーデルに着くまでの間にヤマトに何回殴られるか、わかったものじゃない。
 それにしても……、
「腹、減った……」
 無事汽車に乗れて座席にも座れて安心したら、何だか急に腹が減ってきた。やっぱりどんな状況でも、朝ごはんは抜くものじゃない。……いや、今回の場合は抜くしかなかったんだけど。
 オレのその言葉を聞くと、ヤマトは思い出したようにバッグの中をあさり始めた。
「そうそう。あんたが腹減ったなんて言わなかったら完全に忘れてたところだったけど、おかげで思い出したわ。はい、これ」
 そう言って、ヤマトはオレに一つの包みを渡す。一辺が一〇センチくらいの、三角の形をした包みだ。
 オレは、その包みを開いた。
「サンドイッチ……」
 その包みの中から現れたものを見て、思わずつぶやく。ついでに言うと、よだれも出そうだった。
「そ。あんたのためにって親父さんが……」
「まさか、お前が作ったのか!?」
「人の話しはちゃんと聞きなさいよ。親父さんが作ってくれたのよ。何にも食べないのは体に悪いからって。……ちょっと待って。さっき何て言った?」
 いきなり、ヤマトがオレの胸倉をつかむ。
「さっきなんか怯えたような声で言わなかった? ……あ、思い出した。『お前が作ったのか』って言ったでしょ!? 何? 私が料理したら悪いの?」
「い、いや。そういうわけじゃなくって、」
「じゃあどういう意味よ? 言ってみなさいよ。ねえちょっと!?」
「わー。今日も空がきれいだなあ」
「何しらばっくれてるのよあんたは。だいたい今日曇りじゃない」
「あはは。あそこに渡り鳥の群れがいるよー」
「……」
 何が何でもしらばっくれるつもりのオレにあきれたのか、ヤマトはもうそれ以上は追跡してこなかった。オレは、親父さんの作ってくれたっていうサンドイッチを口に運ぶ。ハムと玉子とレタスとチーズの挟まったやつだ。
 ……正直、あんなことを言ってヤマトには悪かったと思ってる。でもオレがまともな女の手料理を食べたのって、七年前が最後なんだよな。つまり、オレの母さんのなんだけど。母さんが死んでからは親父とオレで交代で家事とかをやってて、おまけに五年前には親父は旅に出たからそれからはオレは一人暮らしだし、たまにルーヴィスが来てもやっぱり男の手料理しか食べてないわけで……。女の手料理でもまともなのじゃないのなら、年に何回もエル(こっちは別に言っても悪い気はしない。だって本当のことだし)に食べさせられてるけど。
 だから、何て言うか……女の手料理にはいつの間にか恐怖心が芽生えていて……。
 多分こんなこと言ったら、ヤマトに思いっ切り殴られるか笑われるかだ。なんとなく前者の確立のほうが高い気がするから、オレは絶対にこのことをヤマトには言わない。だいたいヤマトとは仕事上の付き合いなんだから、そんなことを言ってやる筋合いもない。ないと思う。ないはずだ。
「……?」
 一瞬だけ普通の人とは違う視線を感じて、オレは眉を寄せた。何て言うか、鋭くって冷たいような視線だ。そのくせ、殺気はない。
「なあ、ヤマト……」
 オレが呼びかけると、ヤマトも気づいていたみたいで、その視線の方向を凝視している。
「つけられてる、よな?」
「ええ。どうやら、昨日のあいつらより自身のある人がいたみたいね」
「それとも、相当のバカか……」
 言って、自分で気づく。それはない。いくらバカでも、さすがにあの『ミッテル三兄弟』の有様を見れば、自分の力量とオレたちの力量を秤に掛けることくらい出来るだろう。
 つまりそこにいるはずの誰かは、確実にあいつらよりも強いと自負している者。
「……まさか、今ここでおっぱじめたりしないよな?」
 言うと、ヤマトは視線をオレに向けて言った。詮索は無意味だと思ったらしい。
「それはないわね。注目を集めたくて真昼間に襲ってくる銀行強盗なんかとは違うもの。飽くまで私たちの仕事は闇に紛れてひっそりと。……ここは人が多すぎる。今は大丈夫よ」
「そうだな……」
 そう言いつつもやっぱり少し心配で周りを見回すが、やっぱりそんな人間は見当たらない。
 視線を感じたのはその一回だけで、後は何事もなく時間が過ぎていった。




 汽車は予定通り六時にオーデルに着いて、オレたちは汽車を降りた。それから丘の上にある目的の屋敷に向かって、もう一時間近くオレたちは歩いていることになる。
 はじめは多かった建物もすぐになくなり、今いるところなんかは木しかない。
 その森の間にある一本の細い道をしばらく歩いていたが、オレたちはそこで足を止めた。朝空を敷き詰めていた雲はもうどこかに行ってしまっていて、今は月と星が顔を見せている。電灯はないが、それなりに明るい。……まあそれも道の上を歩いているからで、一歩森の中に入ってしまったら何も見えないような闇には違いないんだけど。
 オレは、半身を今通ってきた道のほうに向けて言った。
「……そろそろ、出てきたら?」
「あら、やっぱりばれてた?」
 何の躊躇も見せず、そいつは木の陰から姿を現す。
 女だ。 丈の短い白のハイネックを着ていて、細身のジーンズを穿いている。そのジーンズの上には、短めの紺色の布が巻かれていた。その布の上部は明らかに頑丈そうなベルトになっていて、腰にナイフなり何なりが付けられているのにはまず間違いはない。髪は闇に溶け込むような黒で、それは腰の辺りまで伸びている。その黒髪に縁取られている顔は細く、そこできらめいている目は青色だった。背は女にしては高く、一七〇はある。まあ、オレよりちょっと高いくらいだ。
「……あなた、確か……?」
 オレの後ろで、ヤマトが言う。
「知ってるのか?」
 オレが聞くと、ヤマトは小さくうめいた。どうやら、思い出せないらしい。直接会ったことはないが、名前を聞いたことがあるっていうやつだろう。
「『黒姫』って、世間じゃあ呼ばれてるわね」
 ヤマトが思い出すよりも先に、その女が言った。ヤマトはその名前を聞いて、はっと顔を上げる。
「『黒姫』……!」
「ああ、シュヴァルツァーでいいわよ。……って言っても、それじゃあ長いわね。シューヴでいいわよ、シューヴで。何せもう四捨五入したら三十だから、姫っていう言葉が重くてねえ。罪悪感でも感じてるのかしら?」
 ふふ……と笑いながら、『黒姫』――シューヴが言う。
 そんなことはどうでもいいとでも言いたげに、ヤマトが胸から赤い水の入った瓶を取り出してぶっきらぼうに言った。
「で、何? やっぱりあなたもこれがほしいわけ?」
「もちろん」
 シューヴが笑顔で言う。もう四捨五入したら三十だとか言ってたが、全然そんなふうには見えない。たとえそれが本当だとしても、多分まだ二十五歳くらいだ。二十二歳だとか言っても、別に違和感はない。絶対騙せる。
 刹那。
 ガキイイインッ。
 シューヴの持っている刀身が普通の物よりもほんの少し短い刀と、オレのリンガの刃が重なり合う。
 オレは腕力だけでその刀を押し返しながら言う。身長差があってシューヴがオレを上から押してる形になってるから、オレはどうしてもリンガに体重をかけることが出来ない。
「……で、どうしていきなりオレなわけ?」
 オレが額に汗を浮かべながらそう言うと、シューヴは微笑んで言った。
「『エリキシル』を持っているのはあの子だけど、あの子と殺り合ってる時にあなたに割り込まれたら迷惑じゃない」
 ……? 何を言ってるんだこいつは?
「オレとあんたが殺り合ってる時にあいつが割り込んでくるのだって同じことじゃ……」
「同じじゃあないのよね」
 シューヴが静かにそう言って、その左手が動いた。刀は今は、右手だけが握っている。刹那。
 ガインッ。
「く……っ!」
 何かを弾いたような重たい音がして、次の瞬間にはヤマトの小さく短い悲鳴が聞こえる。ずざ……という地面を滑ったような音もした。
「ヤマト……?」
 訝って、オレはその音のしたほうに視線を走らせた。そこには、右の手にあの大型ナイフを持って、地面にもう片方をついているヤマトがいる。オレとシューヴの間に入ってこようとしたらしいが、あのヤマトがこうも簡単に片手一本で弾き返されたというのが、どうも信じられない。
「どうやらその様子じゃあ坊やは知らないみたいだけど、あの子、足に怪我してるわよ。多分、昨日のじゃあないかしら?」
 そうオレに言って、ヤマトのほうに視線を向ける。
「惜しかったわね。ちょっと踏み込みが足りなかったのかしら?」
 そう言うシューヴの左手を見ると、腕に何かプロテクターのような物がしてあるのが見えた。おそらく、ヤマトのナイフの刃を弾き返したのはこれだろう。
 それより、何だって? ヤマトが足に怪我? ……確かにさっきの様子じゃあそれは嘘ではないんだろうけど、全然気がつかなかった。ヤマトのやつ、朝走った時だっていたって普通だったし、かなり長いスカートを穿いてるから傷なんてあってもわからないし……。
 それでもシューヴは気づいたんだから、単にオレが鈍感なだけか?
 ……そんなことはともかく、これじゃあ戦力半減じゃないか! オレに一人でこのお姉さんの相手をしろって言うのか?
 でもどう考えても、選択肢はそれしかない。ヤマトを連れてシューヴから逃げるっていうのは多分無理だし、かと言って『エリキシル』をシューヴに渡すなんていうのはもってのほかだ。そんなことをしたら、昨日のシュヴェリンとの戦いが水の泡になる。……正直言って、あの時本当に死ぬかと思ったし。
 シューヴは再びオレに顔を向けると、満面の笑みを浮かべて言った。
「まあ、相手に坊やを選んだのはあんな娘っ子よりもかわいい坊やのほうが好みっていうのもあるんだけれどね♪」
 その言葉が終わると同時、
「うわっ」
 急にシューヴが刀を離して、オレは前に倒れかかった。そして目に飛び込んできたのは、オレの腹めがけて伸びてくるシューヴの長い脚……、
 ドガッ。
「……!」
 寸前のところでガードして、それでもかなりの威力をまともに受けてオレは後ろに飛ばされる。いつの間にその方向を向いていたのかわからないが、オレが飛ばされた先は道ではなく森の中だった。
 そのままごろごろと転がり、木にぶつかってようやく止まる。
 それほど離れてはいないはずだった。それでもやはり森の中は、月の光も届かず暗闇だけが存在している。近くの木はかろうじて見えるものの、二、三メートル先となるともう見えない。
〈ダルム〉
 シロガネの声が聞こえる。……こいつ、仕事の時(特に戦闘中)以外はあまり話しかけてこない。そのせいか、存在をすっかり忘れていた。いつものことと言えば、いつものことなんだけど。
「何だよ」
 オレがぶっきらぼうに答えると、シロガネは珍しく少し笑いを含んだような声で言ってきた。
〈見えないであろう?〉
 ……なんだよお前。オレにイヤミ言うために話しかけてきたのかよ?
「ああそうだよ見えないよ」
 オレはムッとして、投げ遣りに答える。
〈……フッ〉
 え、何? 今こいつ笑った? 鼻で笑った?
 うっわ。なんかすっげームカつく!
「なんだ? そろそろ同調してくれるのか?」
 正直言って、同調しないとかなり不利だ。目が利かないのはお互い同じとしても、オレはシューヴの位置がわからなくってシューヴは多分オレの位置がわかっている。もしかしたらオレなんかほったらかしでヤマトのほうに行ってるかもしれないけど、オレはそこに行こうにもどっちに行ったらいいのかわからないから行くに行けない。
 数秒して、シロガネは静かに言った。
〈悪いが昨日ので我は疲れた。今日は同調は出来ん〉
 ……なんだよそれ。鼻で笑ってるやつが言うセリフか!?
「……じゃあなんだ? 今日でオレに死ねと?」
〈それもいいかもしれんな〉
 何を言ってやがるんだこいつは。
〈貴様をここで葬って新しい体を見つけるというのもいいかもしれん。今度は貴様のように抵抗する奴ではなく、完全に我のものとなる体をな〉
 何野望を燃やしてるんだよお前は。って言うか今までに何回そのセリフを言った? お前がオレの体に憑いてから今日までの四年間で軽く千回は言ってるぞ。
「……じゃあ、オレは今日で死ぬぞ。じゃあな」
〈いや待て。それは困る〉
 何だよてめえ。さっきと言ってること逆だし。
〈同調は無理だが、貴様の目にはなってやろう〉
「は? それはどういう意味……」
〈上〉
 言われてオレは、すぐに後ろに跳ぶ。
「……なるほど。そういうこと、ね」
 額に冷や汗を浮かべながら、オレはそれを見つめて言う。ほんの半秒ほど前にオレのいた場所には、数本の棒みたいなものが突き立っていた。
〈飛針だな〉
 シロガネは冷ややかにその正体を告げる。
「マジで何にも見えないから、ほんと頼むよ、シロガネさん」
〈上〉
 また短くシロガネが言って、オレは後ろに飛びのく。
「いてっ」
 どうやらそこには木があったらしく、オレはそこに背中をぶつけてしまった。
〈上〉
 また、シロガネが言う。オレは今度は右斜め後ろに、少し控え目に跳んだ。
「あのさー」
〈何だ?〉
「上から飛んでくるのはわかってるから、どっちに避ければいいか言ってくれない? だいたいオレ、周りの木すら見えてないから」
〈なるほど〉
 芝居がかったような口調で、シロガネが言う。……こいつまさか、わざとやってたのか?
〈……左斜め後ろ。跳びすぎると、木にぶつかるぞ〉
「サンキュ」
 オレはシロガネの言葉を最後まで聞かずにその方向に飛ぶ。
〈左斜め後ろ。……いや、違った〉
「違ったって、何だよお前……」
 オレの跳んだ後に急にシロガネが訂正してきて、オレは思わず声を上げる。
 オレの足が地に着いて、刹那、オレの背中に何か柔らかいものが触れた。何だかこう、むにゅっとしてて生温かくって……、
「……はい?」
 オレは疑問の声を上げる。それに対しての答えは、シロガネからではなくすぐ後ろの女から返ってきた。
 冷たい、刃物のものと思われる感触とともに。
「つまり、こういうことよ」
 あまりいい答えとは言えないが、状況は十分にわかった。つまり、こういうことだ。オレは森の中に吹っ飛ばされて、そこからこの場所までシューヴが上から投げてくる飛針に誘導された。シューヴは最後の飛針を投げるとすぐにオレの背後に回って、見事オレを捕まえたってわけだ。気配を絶ったままオレの背後に回るまでのそのスピードは、とりあえず見事と言うほかにない。
「動くと、頚動脈ぷっつんしちゃうから」
 笑いは含んでいるがさっきよりも暗い声で、耳元でシューヴが言う。シューヴの持っている比較的小柄と思われるナイフの刃は、ぴったりとオレの首筋につけられていた。下手には動けない。
〈まったく。だから違うと言ったのに。人の話しは最後まで聞くものだぞ〉
 言うのが遅いんだよお前は。もしあそこでオレがお前の言葉を最後まで聞いてたら、それはそれでオレは飛針の餌食だぞ。……こいつ、本当に今の状況わかってるのか?
「そういえばさっき、誰かと話してたみたいだけど……あれ、何? 独り言にしちゃあ、ちょっと変よね?」
「それくらい、自分で考えなよ」
 オレは、冷や汗を垂らしながら言う。
「……じゃあ、当たったら何かくれる?」
 そんなことを勝手に言って、シューヴは考え始める。オレとしては、たとえ当たっても何もやるつもりなんてないんだけど。まあ、勝手に考えてなよってところだ。
〈ダルム〉
 別にシロガネが声を潜める必要はないのに、小さな声でシロガネが言ってきた。オレは答えてシューヴに気づかれるわけにはいかないから、何も答えない。
 シロガネはそのことは気にせずに続けて言ってくる。
〈首〉
 言われてオレは自分の首のほう――つまりはシューヴの持っているナイフのほうに視線を這わせると、シロガネの言いたいことに気がついた。
 ぴったりとオレの首についていたはずのナイフが、少し離れている。シューヴの考える時の癖なのかは知らないが、腕の力が少し緩んで刃と首の間に五センチほどの隙間が出来ていた。
 オレはちらりと視線だけでシューヴを見ると、どうやらまだ考え込んでいるようでナイフのことには気づいていない。
「……!」
 オレは小さく息を吐くのと同時しゃがみ込み、左に転がってシューヴの腕の中から抜け出た。運のいいことにそこには木はなく、シューヴとの間は五メートルほど開く。
「あら、いつの間に」
 オレに気づいて、とぼけたようにシューヴが言う。
 ……ったく。冗談はよせよ。お前、オレがしゃがみ込む瞬間に気づいてナイフ動かしたじゃねえか。おかげさまで(浅いけど)右のこめかみがすっぱり切れたよ。
「ああ、そうそう。わかったわよ、坊やの謎の独り言の正体」
 両手を打ち合わせて、嬉しそうにシューヴが言った。
「坊や、もしかして妄想するの好きじゃない? よくあるじゃない。ほら、自分の中に誰かもう一人いるっていうやつ。あれでしょう?」
 おまっ……腕のほうの注意を忘れてまで考えて出た答えがこれなのか?
 オレは微妙に口元が笑っているのを感じながら(何でかなあ。オレ自身もよくわからないや)、シューヴに向かって駆け出しながら言った。
「残念! 似てるかもしれないけど外れ!」
 危険も承知で、シューヴの懐に飛び込む。
 ドガッ。
「く……っ!」
 オレにみぞおちを思いっ切り蹴られて後方に飛ばされながらも、シューヴはオレに向かって飛針を投げてくる。
〈上へ跳べ。二メートルだ〉
 いきなり注文までつけてきてシロガネが言う。オレは言われた通り上に跳んだが、二メートルも飛べたかどうかなんてわからない。とりあえず、飛針がオレの下を通ったことだけはわかった。
 どっ……という少し重たい音と葉の落ちる音がして、オレはその方向に歩いて行った。
 そこには案の定、木に思いっ切り背中をぶつけて座り込んでいるシューヴがいる。
 オレはリンガの切っ先を、シューヴの首元に突きつけた。
「まだやる?」
 聞くとシューヴからは、ため息のようなものが漏れた。
「……やめとくわ。何だか今のでどこか悪くしたみたいだし、今のままじゃあ坊やには勝てる気がしないし。それに、まだ死にたくないし。一つくらい仕事をふいにしても、私にはまだまだ仕事は入ってくるから」
 何気に自分自慢なんかをしながら、シューヴが言う。
 オレはリンガを鞘に納めて(今回はベルトに引っ付けてた。森の中でなくすと面倒くさいし)、もと来た道だと思うほうに体を向ける。
 数歩歩いて、オレは足を止めて振り返った。
 顔は見えないが、シューヴは苦笑しているような気がする。
「大丈夫。心配なんてしなくていいわよ。私は本当に動けそうもないし……もし仮に動けたとしても、降参したのに後ろから襲うなんていう卑怯なことはしないから。それこそ、『黒姫』の名に傷がつくわ」
 そこで、言葉は終わる。もう何も言うことはないみたいだ。
 オレは視線を前方に戻すと、歩き出した。多分道を間違えていたら、シロガネが教えてくれる……と、思う。
 十五歩ほど歩いたところで、
〈ダルム〉
「いてっ」
 オレは額を思いっ切り木にぶつけた。
 まったくこいつは、いつも言うことが遅い。




 元の道に出てそこをまっすぐに進むと、大きな屋敷があった。高い門と塀があって、そこから屋敷までの間は蜃気楼かと思うほどに遠い。
 ジリリリリ……。
 ヤマトが門の右側に付いているベルを押す。門のすぐ裏手に管理人の小屋でもあるのか、十秒もせずに小岩のような巨漢が現れる。宿屋の親父さんといい勝負だが、それでもやはりむこうのほうが迫力が多少勝っているような気がする。
 オレは反射的に、リンガを構えた。こいつが奪い屋でないとも限らない。
 するとヤマトは、左手でオレを制して言った。右手では、胸元から『エリキシル』の入った小瓶を覗かせている。
「『黒猫』です。例のもの、持って来ましたよ」




 汽車の中で一晩を過ごし、再びイザールに帰ってきたのは出発から二日後のことだった。
 今は十二時。ちょうどお昼時で、出発したあの時と同じように人でにぎわっている。
「あー。腹減ったー」
 オレは背伸びをしながら言う。
「イザールで有名な『何でも屋』のダルム・シュタート」
「へ?」
 急にヤマトが何かを言って、オレは聞き返した。正直、ちゃんとは聞いていなかったんだ。
 オレの言葉にヤマトはこっちを向くと、何だか嫌な笑みを浮かべて言った。
「調べさせてもらったわよ。『何でも屋』さん」
「おまっ……いつの間に!?」
 オレが焦って言うと、ヤマトはその笑みをくずさないまま言った。
「大丈夫。公言はしないわよ。今の『何でも屋』としての生活を壊されたくないんでしょう? 甘い夢だけど」
 そう言って、ヤマトは空を仰いだ。
「Jack of all trades and master of none.」
「な、何だ? それ」
「知らない? ことわざよ。『何でも屋は秀でたところがない』っていうね。……多芸は無芸ってやつ?」
「うっわ。なんかすっげームカつくな、それ」
 そう言いつつ、口の端がぴくぴくしてるのがわかる。全世界の『何でも屋』に対しての侮辱だぞ、あれは。
 オレが胸中で毒づいていると、ヤマトはぷっと吹き出すように笑った。
「そーね。でも、あんたは違う。……特にこっち方面では、ね?」
「……」
 言われて、オレは黙る。
 それって何だ? つまり、オレは戦ってるほうが向いてるってことか?
「それとも、全部が凄すぎてみんな一直線に並んでいて、秀でたところがないってことかしら?」
 ヤマトは歌うように、言葉を紡ぐ。オレには、どうやったらそんなにすらすらと言葉が出てくるのかわからない。
 ヤマトは急に立ち止まって向きを変えると、オレに背を向けたまま言った。
「じゃあ、私は帰るから。仕事はもう終わり。お金は約束通り、例の口座に振り込んでおくわ。……三日後くらいかしら?」
「わかった」
 オレが短く返事をすると、ヤマトは何事もなかったように歩き出して、すぐに周りの人たちに溶け込む。
「あ」
 そういえば、あの時の軟膏の礼をまだ言っていなかった。
「ヤマト」
 言うが、ヤマトはそのまま歩いていく。聞こえなかったのか?
「ヤマト!」
 今度はさっきよりも少し大きな声で呼ぶ。すると、ヤマトは立ち止まった。そして、振り向く。
「あの時の軟膏……」
「ヤマトって誰かしら?」
 ヤマトが、意地悪そうな笑みを浮かべて言う。オレには、ヤマトの言っている意味がわからない。
「本当の名前なんてそんな簡単に教えるわけないじゃない、お人好しさん。下手に身元を調べられるのが落ちでしょう? 今のあなたみたいに」
 こいつ……っ。
「『ヤマト』なんていう人間は、あなたの隣にはいなかったのよ。初めからね」
 言って、『ヤマト』とオレの前で名乗っていたその女は去っていく。
 ……そりゃあたしかにオレはお人好しだったかもしれないけど、なんかムカつく! まるで今まで本気で信じて『ヤマト』って呼んでたオレがバカみたいじゃないかあああっ!
「あ、ダルムいた!」
 オレが自己嫌悪じみたものにどっぷりと浸かっていると、どこからか聞き覚えのある嫌な女の声がした。
 間違いなく、エルだ。
「もー。二日もどこ行ってたのよ? あたしにもルーンにも内緒で」
 エルは、オレのところに駆け寄るなりそう言った。手には買い物袋を提げていて、そこから何やら食材らしき物が見える。……少し、嫌な予感がした。
 オレは、わざとその買い物袋から目をそらせて言う。
「ちょっと用事があったんだよ。……で、何でお前がここにいるんだよ?」
「見たらわかるでしょ? 買い物ついでよ。もう本当びっくりしたんだから。きのうあんたの家に行ってみたらルーヴィスがいてね、何だか我が物顔で居座ってるのよ。まあ、あんたがいない時には珍しくないことだから気を失うほどは驚かなかったんだけどね。それでルーヴィスに聞いてみたら今日帰ってくるって……」
「あー、そう」
 オレは途中まで聞いて、あとは聞き流すことにした。最後まで聞いていると、こっちが持たない。
 とりあえず、オレのいない間ルーヴィスが家にいたってことはわかった。これでもう、オレの家に帰ってからの最初の仕事が決まる。つまり……、
 家の、片付けだ。



   S.K.Y.〜黒猫の宅急便〜 end


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