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   三章 ……もう疲れた



 ガシャアアアンッ。
 派手な音をたてて、窓ガラスが割れた。オレは、飛んでくるその破片をシーツをかぶって防いだ。幸い、刺さってくるほど大きな破片はない。
 オレはシーツから少し頭を覗かせた。
 何だこれ!?
 声には出さずに、胸中で叫ぶ。……別に、何だとか騒ぐほどのものじゃあないんだけど。
 煙幕だ。別にこれだけ暗かったら、使わなくてもいい気もするんだけど。まあ、こだわりは人それぞれだ。
 そして窓から、人影が飛び込んでくる。一つ、二つ、みっ……
 メキメキ……ゴオオオンッ。
「うわっ」
 思わず、小声ながらもらしてしまう。だってしょうがないだろ!? いきなり壁石の塊が飛んできたんだから!!
 ドスッという重たい着地音がして、さっきまで窓があった場所の壁石がぱらぱらと音をたてて落ちた。そこには大きな穴が開いていて、夜空がよく見える。……マジ?
〈外に出たほうがよいのではないか?〉
 不意に、シロガネの声が聞こえる。言われて見てみると、(煙幕のせいでよく見えないけど)ヤマトはもういない。
 ヤバイ。出遅れた。
 オレはベッドの上で体勢を立て直して狼牙(リンガ)を握り直すと、窓(があった場所)から外に飛び出した。これが幸いなのかどうかは知らないが、敵さんの誰かが壁に大穴をあけてくれたおかげですんなり通れた。……でもこれって、オレが修理代を払わないといけないのか?
 そんなことを考えている間にも、地面はどんどん近づいてきて……、
「ってー……」
 着地と同時、足にびりびりと衝撃が走る。……あんまり好きじゃないんだよなあ、高いところから飛び降りるの。しかも今回なんて三階からだし。
「遅い。行くわよ」
 声がしてオレが顔を上げると、そこにはヤマトがいた。オレが自分(ヤマト)に気づいたのを確認すると、ヤマトはくるりとオレに背を向けて走り出す。オレもそれに続いて走り出した。
「で? どこに行くんだよ」
「何? あんたはこんな住宅街で戦いたいわけ?」
 誰もそんなこと言ってねえよ。
 オレが胸中で毒づいていると、ヤマトは振り返らないまま言った。
「この先の、住宅街をちょっとだけ外れたところにね、公園があるの。そこに行くわよ」
「了解」
 言って、ちらりと目だけで後ろを見る。ちょうどその時、宿屋の部屋の中にたまっていた白い煙が三回ほど外に飛び出したところだった。いいねえ煙幕っていうのは。こういう時は役に立つよな。たとえ敵さんたちの代物でも。
「敵さん三人、ちゃんと追ってきてくれてるよ」
「来てもらわなきゃ困るわよ」
 少しばかり緊張した面持ちで答えるヤマトの隣まで行って、ひょいと顔を覗き込む。
「大丈夫?」
 するとヤマトは、口元に不敵な笑みを浮べた。……でも、目が笑ってない。いや、マジでそれ怖いから。
「心配なんてしてくれなくてけっこう! 私がいったい、どれだけの修羅場をくぐってきたと思ってるの?」
 まあ、そりゃそうか。でなけりゃ『黒猫』なんて通り名持ってるわけないよな。それにすぐに殺られるような奴なら、今こんな場所にいられるわけがない。
「ちょっとあんた……」
「え、何?」
 ヤマトがじっとオレを見たまま言ってくる。何だか口が半開きで、呆然としてるっていうか……。
 数秒間そのままヤマトは走り続けて(よくこんなので道に迷わないな)、急にはっとした顔つきになる。……だから、何?
「ジャケットはどうしたのよジャケットはっ!? 超合金製特殊合成繊維でつくった『金の鷲(イーグル)』特製のジャケットはあああっ!?」
 はあああっ……あああっ……ああっ……。
 お前、こんな夜中……しかも敵に追われてる時に大声で叫ぶなよ。っていうか叫ばないだろ普通。やまびこまでできてるし。
「……忘れたんだよ。さすがにジャケット着たまま寝るのはなあって思って」
 とりあえず、素直に返答する。だってこれ以上叫ばれたら嫌だし。何よりすぐ隣にいるオレがうるさいし。近所の人たちに起きてこられても困るし。
 ヤマトは半ばあきれたような目でオレを見ると、すぐに視線を前方に戻してため息混じりに言った。
「あんたねえ、あのジャケットは鎧みたいな物でしょ? こんな肝心な時に忘れてどうするのよ。だいたい、あんたのその白いシャツ、かなり目立つわよ」
 おい、ちょっと待て。それをお前が言える立場か? 今のヤマトの服装はというと、昼間と全く変わっていない。白いシャツに膝下まである長い茶色のフレアスカート。そしてその上には内側にたくさんナイフが隠されている(と思われる)ベージュのトレンチコート。……。明らかにお前のほうが目立って、おまけに戦いにくそうだと思うんですけど。こういう時ぐらい黒い物着なよ。それに比べてオレは、(確かに白のシャツは着てるけど)黒のパンツに黒のブーツ……お前よりましな格好はしてると思うんだけどなあ。
「はいはい。悪かったよ」
「別に私に謝られてもねえ。あんたがここで大怪我しようが死んじゃおうが、私がどうこうなるようなものじゃないし。まあ確かに私一人じゃちょっときついところもあるだろうけど、多分大丈夫だし? あ、そうなれば私あんたにこの仕事の代金支払わなくてよくなるのかしら?」
 ……急に何を言い出すんだ、この女。
 ヤマトはオレのほうに目だけじゃなくちゃんと顔を向けて、満面の笑みを浮かべて言った。
「怪我するくらいなら、いっそのこと、死んじゃってね♥」
 ぜってーヤだね、そんなこと。片腕もぎ取られようが目を潰されようが、何が何でも生きてやる。意地でもオレは死んだりなんかしない!
 そういうことを口には出さずに胸の奥にしまってオレが苦笑していると、急にヤマトが止まった。
「着いた」
 ヤマトが言って、オレはいつの間にか周りの景色が変わっていたことにようやく気づく。さっきまで白い石の建物がひしめき合っていたのに対して、ここには緑色の木々しかない。ところどころ、紅葉しかけているものもある。中央は広場みたいになっていて、そこにはいくつかの電灯と、ベンチがある。まあ、遊具はないけど確かに公園といえば公園だ。
「さて、御三方が来るまで待ってましょうか」
 そんなのんきなことを言って、ヤマトは公園の奥にあるベンチのところに行って腰掛ける。オレは、その近くにある電柱に背中を預けた。
「もう鬼ごっこはお仕舞いですか?」
 ほとんど間髪入れず、二〇代後半の男の声がする。まあ、別にここで少し休ませてもらおうとか考えていたわけじゃあないから、悪い感じはしない。
 電灯の明かりでわずかに見える影は、二つだった。一つは背が高い痩せ型で、もう一つは背が低くてとてつもなく太っている。多分こいつが、窓を壁ごと破った張本人だ。でなけりゃ、あんなのが窓から入れるわけないって。……あれ? そういえば、
「もう一人はどうしたの?」
 ベンチに座ったまま、ヤマトが言う。すると背が高いほうは、少し笑いを含んだような声で言った。
「ああ、そのことなら心配は要りません。あいつはマイペースですから。それより……」
 そこで少し、間をおく。あごに手をやって、笑いを含んだような声はそのままで、言った。
「ここで僕たちと、殺り合う気ですか?」
「そうだけど、何か?」
 ヤマトもまた、笑いを含んだ声で言う。ベンチに座って、足をぷらぷらさせながら。
「いえ、てっきりこのまま逃げてしまうのかと思ったのですよ」
「何を言ってるの? それって私たちに、このまま走ってオーデルまで行けってこと? さすがにそれは無理だと思うけどねえ。汽車も昼近くにならないと出ないし。……それとも、これから一週間くらい、オーデルまでこの鬼ごっこ、続ける?」
「はは、それは遠慮しておきますよ。でも残念でした」
 男がそこで言葉を一度止め、電灯の光で逆光している眼鏡を中指で押し上げる。
「そうしていれば少しくらいは、生きていられる時間が長かったのかもしれませんから……」
 刹那。
「なるほど、これが『エリキシル』……不死の薬ですか。まるで、何かの血のような色ですね」
「……!」
 ヤマトの息を呑む音が聞こえる。その男は一瞬でヤマトの目の前まで行って、その胸元に隠している『エリキシル』の入った小瓶を手に持って眺めていた。ご丁寧に感想までつけて。
「返しなさいっ!」
「おっと」
 ヤマトが、男の手から小瓶を掴み取る。どうやら鎖は切られていなかったようで、ヤマトはそれをすぐに元の場所に戻した。それと同時後ろに飛んで、男との距離をとる。……とは言っても、ベンチ自体がもともと公園の端にあるため、そこまで距離は取れない。
 ヤマトの戦闘能力がどれほどかは知らないが、裏社会に名を轟かせているほどだ。それなりの力はあるだろう。多分オレと同等か、もしくはそれ以上。
 そのヤマトが、この男の動きに反応できなかった。
 オレも、今何が起こったのか、全くわからなかった。
 ――こいつ、強い。
「あんたがそれだけ凄いんだから、向こうにいるのとか今来てないもう一人とかも相当凄いんだろうな。あんたたち、いったい何者?」
 言いながら、リンガを握るオレの手がだんだん汗ばんできているのがわかる。
 男は、ご丁寧にもオレのほうに向き直って言った。
「おや、そういえば挨拶がまだでしたね。僕らはここら一帯を仕切っているマフィア『ニブルヘル』お抱えの殺し屋ですよ。まあこっちの世界じゃあ、『ミッテル三兄弟』の名で通ってますけどね」
「『ミッテル三兄弟』……って、あの!?」
 その名前を思い出して、オレは思わず叫んだ。『ミッテル三兄弟』といえば、かなり強いくせに決して他からの依頼は受け付けない、主に忠実な殺し屋として有名だ。その主が誰かなんて知らなかったけど、まさかあの『ニブルヘル』だったなんて。
「それで、僕が長男のフェルデン・ミッテル。向こうにいるのは次男のリューベクでまだ来てないのは三男のシュヴェリンです。……そちらさんは?」
「オレは『黒狼』、そっちは『黒猫』。……それでいいよな?」
「ええ、もちろん。この世界じゃあ、通り名で挨拶することなんて当たり前ですし」
 そう言うとフェルデンはオレからヤマトに体の向きを直して右手を差し出すと笑顔で言った。
「『エリキシル』……渡していただけますか? 今なら、見逃してあげてもいいですよ?」
「何をバカ言ってるのよ。私はプライドの高い女なの。本当なら依頼者が死んだ時点で私はこんな仕事しなくてもよくなったんだけれど、前払いだった依頼料だけ貰ってとんずらこくっていうのは、何だか腑に落ちなかったのよ」
「それもそうですねえ。仕方がありません」
 フェルデンが、顔から笑みを消した。
「死んで……頂きましょうか」
〈ダルムっ!〉
 カカカンッ。
「……あぶねー」
 何が起きたのか一瞬理解できずに、オレはただ前方を見つめていた。そこには、オレに向けて硝煙の立ち上っている銃を向けているフェルデンがいる。
 急にシロガネがいつになく切羽詰った声を上げて、何かがこっちに向かってきているのを感じたからすかさず左手にずっと持っていたリンガを鞘から抜いてそれを打ち落としはしたけど、まさか銃弾だったなんて。そりゃあサイレンサーとか付けてるだろうから、音がしないのは当たり前なんだけど。
 油断していた。てっきり、攻撃は『エリキシル』を持っているヤマトにいくものだと……。
 そういえばオレって、今ヤマトの仲間なんだよな? 人となんて滅多に――ルーヴィス以外とは滅多に組まないから、何だか凄く変な感じだ。仲間だから、オレはヤマトを助けないといけないのか。だから途中でオレに邪魔されると面倒くさいから先にオレを殺ろうとしたのか?
 あー。なるほど。
「来るなら来いよ。こっちだって仕事だ。そちらさんが邪魔をするんなら、相手になる」
 オレは構えて、フェルデンに言う。フェルデンは眼鏡の奥の目で冷ややかにオレを見つめると、ヤマトのほうに向き直って銃弾を装填し直しながら言った。
「リューベク、そこにいますよね? この少年の相手はあなたに任せます。煮るなり焼くなり好きにしてください。私は、このお嬢さんを殺ります」
 え、オレの言葉、無視?
「了解」
 公園の入り口のほうから、声が聞こえた。低い……って言うか、暗い声だ。たしかフェルデンは自分が長男であいつともう一人は弟なんて言ってたけど、下手をするとこいつのほうが年を取っているように思える。
「ではお嬢さん、始めましょうか」
 フェルデンがそう言って、銃口をヤマトに向けた。そして、トリガーを引く。
「甘く見るんじゃないわよっ!」
 ヤマトはそう半ば大声で言ってコートの中に手を突っ込むと、次の瞬間にはそこから大型ナイフ(大型なんて言葉でくくっていいのかすらわからないような巨大なナイフ。って言うか、それがコートの裏に隠されてあったなんてはっきり言って信じられない)を取り出して銃弾を弾いた。
 ヤマトのほうは、多分ほうっておいても大丈夫。いくらフェルデンが物凄く強いといっても、ヤマトもそれに対応できないほど柔なわけじゃあない。加勢するとすれば、それは最後の最後……本当にヤマトがピンチの時だけだ。
 問題は……、
〈ダルム、よそ見をしている暇などないと思うのだが〉
「え……うあっ」
 シロガネに言われてオレは公園の入り口のほうを向くと、奴――リューベクはもうそこにはいない。公園の入り口には。その代わりというか何というか、リューベクはオレに向かって物凄い……いろんな意味で物凄く突進してきている。
 まず一つ。フェルデンほど凄くはないが、それでも結構早い。
 そしてもう一つ。この世のものとは思えないほど太っていて、その体中の肉を揺らしながらオレに向かって走ってきている。
 上げればまだまだ際限なく出てきそうだが、オレが一番気になったのは……、
「だらああああああああっ!」
 リンガをくるりと持ち替えて逆刃にすると、オレはそれをリューベクの腹にあてて思いっ切り振り切った。逆刃にするのは、できる限り殺しはしないっていうオレのつまらないこだわりだ。これをヤマトに言ったら、何甘いこと言ってんのって怒られるかな。やっぱり。
 リューベクは五メートルくらい宙を舞うと、すぐに地面に落ちた。思ったよりも飛ばなかったな。やっぱり、体重のせいか? こっちは今ので相当手首にきたのに。
「むん……」
 小さくうなって、リューベクが体を起こす。ちょうどそこには電灯の光が一番よく当たっていて、そいつの様子がよく見えた。
「……うわ。何だかすっげー悪趣味な物着てる……」
 さっきからずっと気になってたんだよ、これ。
 はっきり言って悪趣味以外の何者でもない……と、オレは思う。リューベクが着ているのは、体のラインがばっちり出るような……って言うか、もう体の一部って言ってもいいくらいフィットしている全身タイツだ。それに覆われていないのは頭だけで、あとは全部それが包み込んでいる。足は、その上からブーツらしきものを履いている。……そういえば、フェルデンも同じような服装だったような気が……。
 電灯の光に照らされて、その見た目黒い全身タイツが紫色に光った。
「ほーら。やっぱり兄さんたちのその全身タイツは悪趣味なんだよ。いっつもオレが言ってるでしょう?」
 オレの声に答えるように、公園の入り口の方向から声がした。オレと同い年程度の男の声だ。
「遅いぞ、シュヴェリン」
「あはは、ごめんごめん。途中で面白いもの見つけちゃってさあ」
 電灯の光に薄ぼんやりと照らされているそいつ――こいつら『ミッテル三兄弟』の三男坊は、この場に似合わないような明るい声で言った。
「さっき民家の間でカラスと猫が喧嘩してたのさ。カラスも必死で頑張って、その猫の片目を潰したんだけどね、やっぱり鳥は猫に殺られる運命って言うか何ていうか……最後にはとうとう殺られちゃってさあ。まあそこまではいいんだよ。そういうのは自然の摂理なんだし。だけどね、その猫はカラスを食べるでもなく巣に持って帰るでもなく、少しの間弄んで去っていったんだ。ひどいと思わない? おまけにそのカラスはまだ息が有ってね、とっても苦しそうだったんだ」
 異様な雰囲気が、急にシュヴェリンの周りに生まれる。……こいつ、笑ってるのか?
「だから僕が楽にしてあげて、ついでに猫にお仕置きをしてきたんだよ。命を弄んじゃいけないよって」
 はっきり見えるわけじゃあないが、シュヴェリンは確かに微笑んでいて、そいつの服には模様なのか何なのかわからないが何かが飛び散ったような跡が付いているのが見て取れる。
「身をもって、教えてあげたんだ」
 ふふ……と、シュヴェリンが笑う。それを見て、フェルデンとリューベクが息を呑んだ。フェルデンにいたっては、冷や汗が浮かんでいる。
「そ、そんなことはともかく。この服装を悪趣味と言うのは……何度も言っているが、この服装は悪趣味などではない。超合金製特殊合成繊維で出来ているし、とっても動きやすいのだ。兄はお前もこれを着るべきだと思う。うん」
「何度も言ってるけど、オレは絶対にそんなものは着ないよ。それより、どうしたの? フェルデン兄さん。声が上ずっているよ?」
「そ、そんなことはないぞ。シュヴェリン」
「そう? なら、いいんだけれど」
 言って、シュヴェリンが辺りを見回す。瞬間、オレと目が合った。少なくとも、そうオレは感じた。
 シュヴェリンがぱんっと手のひらを打ち合わせる。
「あれ、お客さん? ……ああ、そういえば仕事中だったっけ。何?兄さんたちが相手してるの? ……しょうがないなあ。じゃあオレは見物してるから、さっさと片付けてね。早く帰って寝たいんだよ。だってお肌に悪いじゃない、こんな遅くまで起きてると。あ、なんだったらオレが代ってあげてもいいけど……どうする?」
「いや、いいですよ。このお嬢さんの相手は僕がしますから」
「こいつはオレが」
「……そう。つまんないけど、まあいいか。じゃあ、頑張ってね」
 そこまで残念そうには思えないような声で言って、シュヴェリンはすぐ傍にベンチを見つけてそこに座った。
 はっきり言って、ラッキーだとしか言いようがない。シュヴェリンと殺り合うことにならなかったってことがだ。さっきの異様な雰囲気といい、それに対する二人――特にフェルデンの反応といい、普通じゃない。あのフェルデンがあれだけの反応を見せるんだ。かなりヤバイに決まっている。そんな奴とやるくらいなら、リューベクと殺り合ってさっさと終わらせたほうが楽ってもんだ。……まさかリューベクの後であいつと戦うことになるなんてことはないだろう。無いと願いたい。
〈ダルム〉
「わかってるって」
 シロガネにいちいち言われなくても、リューベクがオレめがけてまた突っ込んで来ていることぐらいわかっている。
「まったく。それしか出来ねえのかよ、こいつは」
 ため息混じりにつぶやく。視界の隅でぶつかり合う二つの影が見えたりもしたが、今はそれを気にしている暇も無い。攻撃パターンは力任せに突っ込んでくるだけの単純明快なものだけど、そこに秘められたパワーには物凄いものがある。
 オレはとりあえず、リンガを構え直した。今度も逆刃で弾き返すか、それとも今度はあの分厚い肉の層にリンガを突き立ててみるか……。
 それほど考えるような暇もなくリューベクは迫ってきて、そして、
「消えたっ!?」
 リューベクの姿が、オレの目の前まで来たときに、急に消えた。
〈ダルム、後ろだ〉
 微妙に焦りを含んだような、でもはじめよりは慌てていないシロガネの声が聞こえる。
 オレはとっさに振り返った。
 ゴッ……メキョ……。
「がはっ!!」
 リューベクのストレートをまともに左の横っ腹に受けて、オレはそのまま吹き飛ばされた。
 ……シロガネのおかげで助かった。あそこで気がついてなかったら、オレはあのストレートをまともに背中にくらって再起不能……最悪の場合死んでいたかもしれない。
「い……ってえ……」
 すぐ傍に落ちていたリンガを拾って、どうにか立ち上がる。横っ腹はあばらでも折れたかと思ったが、幸い何ともなかった。但し、いまだじんじんしてとてつもなく痛い。
 顔を上げると、さっきオレのいたところにリューベクはいなかった。姿が見えない。……いや、オレの目がリューベクの動きについていけてない。
 リューベクは、あの体でどうしてそんなことが出来るのか知らないが、オレの周りを高速で回っていた。木を渡ったり、地面に下りてきたり……これじゃあ、オレが攻撃を仕掛けるなんてことはもちろん、どこから仕掛けてくるかもわからないリューベクの攻撃を避けることすら難しい。
「どうしたのよ。『黒狼』ってそんなもんだったの? 噂って当てにならないわね!」
「うるせー」
 ヤマトのむかつく言葉に何か返す余力も無く、オレはただリューベクを見つけようと目を凝らす。でも、ただ目が痛くなるだけだ。
〈まだ、一人でいけるか?〉
 シロガネが聞いてくる。オレは顔に微笑を浮べながら、素直に言った。
「わり……。そろそろ頼むわ」
〈わかった〉
 シロガネが答えて、約一秒。

 ウォオオーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーオオン……。

 狼の遠吠えのようなものが響いて、オレの体の中を冷たい電流のようなものが走っていく。
 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚……全てがシロガネのものとシンクロする。
 同調、完了。
 オレの腕に巻きついていた白い包帯が風に飛ばされ、左腕のあざがあらわになる。それはいつもより成長していて、首筋辺りまで伸びていた。
 少し解説すると、今のオレはシロガネと完全に一緒になってるってこと。つまり、いつもはオレの左腕にだけ憑いてるシロガネがオレの体全体に憑いた……って、言ったらいいのかな? さっきの遠吠えは実際は遠吠えじゃあなくって、シロガネの力がオレの体から溢れてしまった時のもの。ほら、やかんでお湯を沸かしてる時ふたをしてると、ピーって鳴るだろ? あれと同じ。オレが『黒狼』って呼ばれるのは、シロガネと同調した時のこの遠吠えからだ。そしてルーヴィスによれば、同調している時のオレの目の色はいつもの赤じゃなくって青がかった銀色なんだと。
「さて、さっきのお返ししてやろうか」
 自然と顔が笑っているのがわかる。だってしょうがない。さっきまでまったく見えなかったリューベクの動きが見えるんだから。
 シロガネのやつ、狼のくせして目が相当いいからな。
 そんなことはまったく知らないリューベクは、ようやくオレの周りを回るのを止めて突っ込んできた。
〈右斜め四五度〉
「言われなくてもわかってるって」
 そう言って、オレはリンガを左手で持つと右の拳をその場所に伸ばして後ろに振る。
「ふが……?」
 リューベクの妙な声とともに手に肉の感触が伝わってくる。一瞬重くなった手は、力を少し込めるとすぐに軽くなった。次の瞬間には、リューベクが何かにぶつかる音がする。
「ひゅー。なかなかやるね、『黒狼』さん」
 いつどこでオレが『黒狼』だっていうことを知ったのかは知らないが(まあ、さっきのを見ていればだいたい見当はつくだろうけど。精霊つきの奴なんて珍しいだろうし)、シュヴェリンが言う。自分の兄貴が吹っ飛ばされたっていうのに、こいつは何とも思わないのか?
「……リューベク」
 シュヴェリンとは違ってこっちは兄貴らしく、弟の心配をしている。……心配っていうか、どっちかっていうと驚いたみたいだ。こんなことになるとは想像も出来なかったらしい。
 そして最後に、ヤマト。
「へえ……。それが本当の『黒狼』ってわけ」
 期待を裏切らないでくれてありがとうとでも言いたげに、口元に微笑を浮べながら言う。
 そしてその中で、まったく面白く思っていない奴が一人。
「ふううう……」
 妙なうめき声を上げながら、リューベクが立ち上がる。そして、一気にオレの頭上にまで飛び込んできた。
「あああっ」
 叫びながら拳を振るが、残念。オレはすぐに一歩ほど後退して、それを避けた。すると、リューベクはまた上に跳び上がる。
「……ったく」
 ぼやきながら、オレも上に跳び上がった。こんな奴にリンガを使うまでもないし、シロガネもそんなことは望んじゃあいない。
 と、いうことで。
「……!?」
「遅いよ」
 オレが自分の上に跳んでいたことにようやく気づいてリューベクは体を回転させようとするが、もう遅い。だいたい、空中でそう簡単に姿勢を変えられるかって。
「おらっ」
 オレは小さくつぶやいて、右足を振り上げる。そしてそれを、思いっ切り振り下ろした。もちろんオレのかかとの激突予定地点には、リューベクの腹がある。
 ドゴ……ォン。
 小さな地響きとともに、リューベクが地面に激突した。その体は、半分ほどが埋まっている。
 リューベクは白目をむいて気絶していて、もう起きてきそうにはなかった。
 ふと気になって、ヤマトとフェルデンのほうに目をやる。
 ちょうどヤマトが、フェルデンの背後を取った時だった。
「な……!?」
「ほんっとうに嫌よねえ。私そういう服って大っ嫌いなのよ。スタイル丸わかりで。おまけに兄弟二人してペアルックなのが余計に気にいらないっ!」
 叫びつつ、フェルデンの背中に思いっ切り蹴りを入れる。
「私が『黒猫』って呼ばれてるの、忘れてもらっちゃあ困るわよ! ただ見た目だけでついた名前じゃあないんだから!」
「っ! 速……っ!」
 フェルデンが一瞬瞬きをした隙に、ヤマトはフェルデンの目の前に移動する。
「……私、足にはけっこう、自信があるのよね」
 笑いながら言って、思いっ切り回し蹴りをくらわした。フェルデンは、その場に崩れ落ちる。どうやら、まともにみぞおちにでもくらったみたいだ。
 これでとりあえず、三人のうち二人は片付いた。もうどう見たって戦闘不能だ。……これであきらめて、シュヴェリンの奴がこの二人を連れて帰ってくれればいいんだけど。
「あはは、凄い凄い。凄いよ君たち二人とも。まさかあの兄さんたちにこんなに簡単に勝つなんて」
 笑顔で、おまけに拍手なんかしながら言うシュヴェリン。その声や仕草からは、兄貴たちの有様についての怒りや憎しみなんて、まったく感じられない。
「ねえ、『黒狼』さん」
 シュヴェリンが、拍手を止めて言う。
「何だかとっても楽しそうだ……。オレが相手しても、いいかな?」
 そう言いつつシュヴェリンは腰のほうに手を回す。そこには、何か棒みたいなものがあった。
 ……って。
「ちょっと待て、何でオレなんだよ! オレなんかよりあっちのほうがいいんじゃねえのか!? だいたいあんたらの目的の『エリキシル』を持ってるのはあいつのほうだし!!」
 そう言って、びしっとヤマトを指差すオレ。自分で言うのもなんだけど、オレって何気に薄情者だよね。
 そして案の定ヤマトはオレを鋭い視線で見て、
「何私を売ろうとしてるのよあんたはっ!!」
 力の限り叫ぶ。……これだけ大騒ぎして、近所の人たちが起きてこなけりゃいいんだけど。
「ああ、そのことなら心配しなくていいよ」
 シュヴェリンが、そのにこやかな声に多少の暗さを含めて言う。
「オレは元々、こんな仕事に興味はなかったから。いっつも仕事を優先する兄さんたちはもう駄目になっちゃったし、ね? あとはオレの好き放題。オレはそっちのお姉さんより、君に興味があるんだよ。『黒狼』さん」
 ……いや、別にオレは心配なんてしてたわけじゃあないんですけど。
「じゃあ……行くよ」
 そう勝手にシュヴェリンは言って、腰の棒を引き抜いた。電灯の明かりに照らされて、その棒の正体が明かされる。
 棒だと思ったのはそれの柄と鞘の部分で、今は鞘の代りに、銀色の刃がその柄に付いている。長さとしては標準的なものだ。
 刀。
 ガキイイインッ。
 シュヴェリンの刀とオレのリンガとがぶつかって、金属同士(とは言ってもリンガは実際は金属じゃないけど)の物凄い音がする。
 シュヴェリンの顔は、刀を隔ててすぐ向こう側にあった。
 端正な顔……だと思う。少なくとも、あの兄貴たちに比べれば。その顔の上には、極道の跡取りにふさわしいと言わんばかりのつりあがった赤い目がある。そして額にした白いバンダナからは、肩ほどまである黒髪が姿を見せている。服装は、口の広い白のハイネックとジーンズ。その白のハイネックには、明らかに模様として付けられていたものとは違う赤黒いしみのようなものがある。
 そのしみについてはとりあえず触れないでいて、オレはシュヴェリンの赤い目を見ながら言った。
「あんたの目……血みたいな色だな」
「ありがと。そういうあんたの目は、氷炎みたいな色だねえ♪」
 皮肉で言ったつもりだったが、シュヴェリンは笑顔で返してきた。そう言われることに慣れているのか、それともそう言われることが本気で嬉しいのかオレにはわからないが、シュヴェリンを見ているとどうも後者なんじゃないかっていう気がしてくる。
 刹那。
 ひゅんっ。
「あぶねー」
「……」
 何かが急にオレとシュヴェリンの間に飛んできて、オレたちはほぼ同時に後ろへ飛んだ。
 オレたちがさっきいた場所には、一本の投擲用ナイフが刺さっている。
 ナイフの持ち主は、すぐにわかった。
「ヤマト……オレまで殺す気か?」
 半ばうんざりして言うオレに、ヤマトは微笑しながら言った。
「あら。何だか大変そうだったから少し手を貸してあげたんじゃない。感謝しなさい?」
 ……なんかムカつくなあ。こういう姉貴面したやつ。
 シュヴェリンもオレと同じ意見だったのか、あるいはもっと別のところで怒っているのか、さっきまでの場の雰囲気に似合わない笑みを消し、無表情でヤマトをじっと見ている。……いつも笑っているこいつも怖かったが、今のもそれなりに怖い。
「お姉さん、オレと『黒狼』さんとの戦いに、水ささないでね」
 ぶわ……と、シュヴェリンから冷たい空気が広がるのを感じる。フェルデンを怯えさせたあの時に似ているけど、少し違う。あの時のは、もっと凄かった。
 ヤマトもこれを感じたのか、微笑むのを止めてじっとシュヴェリンを見ている。
「これは一回目。……忠告」
 そう言ってシュヴェリンは、視線をオレに戻す。瞬間、冷たい空気も消えた。
「さて『黒狼』さん、続きを始めようか?」
 再び顔に笑みを宿して、シュヴェリンが言う。
 言い終わるのとほぼ同時、シュヴェリンは駆け出した。
 ガキイイインッ。
 再び、刃と刃が交差する。しかし今度は押し合いにはならずに、シュヴェリンはすぐに身を引くとまた駆け出して今度は違う方向から攻撃を仕掛けてきた。
 とりあえず今のシュヴェリンの動きは、目で追えている。
 オレもただこの場所でシュヴェリンが仕掛けてくるのを待つのは癪なので、シュヴェリンに向かって行く方向で駆け出す。
 ガキイイインッ。
 刃のぶつかり合う音が、何度も響く。
「いい刀持ってるよね? 百錬鉄?」
「ちょっと違うけど……似たようなもの!」
 そう言って後ろに飛んで距離をとると、再び走り出す。実際リンガの刃はシロガネの牙だから、似ているも何もまったく違うものなんだけど……まあ、この際そんなことはどうでもいい。
 いつの間にかシュヴェリンはオレの隣に来ていて、走りながら喋りだした。
「オレの刀は百錬鉄。ボスが恭国に行った土産で持ってきてくれたんだよ。それにしてもあれだよね。恭国が鎖国を止めてからここ最近までずっと恭国ブームだよ。まあ確かに、向こうの文化はこっちとはかなり違ってて珍しいんだろうけど」
「まあ、そうだなあ」
 オレはぼんやりとシュヴェリンに同意する。
 確かに最近、何でもかんでも恭国の文化を取り入れてるのがここ――エルツの現状だ。他の国はどうなのか知らないけど。オレやヤマトの通り名に漢字っていう恭国特有の文字が使われているのだって、その表れ。オレはじいちゃんが恭国の調査隊の一員だったから漢字の読み方や意味も少しならわかるけど、まったくそういうのを知らないやつが『黒狼』だの『黒猫』だのそういう文字を見ても、多分わけがわからないと思う。
 そんなことより、今は戦闘中だ。余計なことを考えている余裕なんてない。
 オレはリンガを逆手に持ち替えると、体をシュヴェリンのほうに回転させて後ろに飛びのきざま、リンガを右から左に振りぬいた。
 刃の擦れ合うような音は、しない。
 肉を深く裂いたような手ごたえも、ない。
 ……失敗したか? やっぱり、走っている相手に違う方向から傷をつけるのは……。
「……あれ?」
 小さくつぶやいて、シュヴェリンが止まった。刀を持っていないほう――左手で、右の頬をゆっくりと触る。
 しばらくその手を見つめて、
「……血?」
 ぽつりと、シュヴェリン自身しか聞こえないような小さな声で言う。シロガネと聴覚を共有している今のオレには、ばっちり聞こえるけど。
「オレが……血?」
 シュヴェリンを、異様な雰囲気が取り巻く。
「オレに、傷をつけた? あいつが。……面白い」
 にいっと、シュヴェリンの口元が裂けるようにつりあがる。ゆらりとシュヴェリンはオレのほうに向き直ると、その殺人狂としか言いようのないような笑みを浮べたまま突っ込んできた。
 ガキイイイイイインッ。
 さっきまでより、激しい音が響く。
 ……こいつ、急に攻撃が重くなりやがった!
「知っているかい? 恭国の昔の偉い人でね、こんなことを言った人がいるんだ」
「?」
「『これを知る者は、これを好む者に如かず。これを好む者は、これを楽しむ者に如かず』……つまり、ただ知っている者より好んでいる者。ただ好きでいる者より楽しんでいる者のほうが優れているってことさ」
「だから、それが何だって……」
「わからない? 殺しを知っているだけの君は、殺しを楽しんでるオレには勝てないってことだよ」
 それだけ言って、シュヴェリンがぺろりと舌で唇を嘗める。
「だから、せいぜい楽しませてくれよ。君がオレに負けるまで」
 言って、シュヴェリンが後ろに飛ぶ。
 ……で、誰が勝てないって? やってもいない間から決めつけるなよな。そういうこと。
 でも今の状況、もしかしなくてもオレはピンチなのかもしれない。シュヴェリンのやつ、さっきよりも確実に動きがよくなってやがるし、ヤマトは手を貸してはくれないだろうし。……結局オレ一人で、何とかしないといけないわけだ。
 今のシュヴェリンの動きが、見えないわけじゃあない。
 オレが今のシュヴェリンの動きに、ついていけないわけじゃあない……と思う。
 少し卑怯な気もするけど、オレが勝つにはあれしかない。
「どうしたの『黒狼』さん? もっとオレを楽しませてよ」
 シュヴェリンが誘ってくる。オレは、シュヴェリンめがけて駆け出した。
 ガキイイイイイインッ。
 刃と刃が触れ合い、オレは三歩ほど後ろに下がった。そしてリンガを左から右に振りぬくが、それはあっさりとかわされる。
 空中でくるりと一回転して、シュヴェリンは静かに地面に降りた。そしてまたすぐに、突っ込んでくる。オレの真正面から。
 ……そういえばさっきも、真正面から突っ込んできたような……。
「ふふ……あははははっ!」
 ついに完全に壊れたのか、シュヴェリンが笑いだす。
 シュヴェリンは斜めに斬り込んできて、オレはそれを上に跳んでかわす。そのついでに、オレはシュヴェリンの背後をとった。シュヴェリンが一瞬遅れて振り向く。
 オレはその機を狙って、ベルトにくくりつけていた小型のナイフをシュヴェリンに向かって投げつけた。
 ぱんっ。
 シュヴェリンは、それを左手で軽く払いのけた。シュヴェリンの赤い目は、そのナイフを忌々しげに眺めている。
 刹那。
 パキィンッ。
「な……っ!?」
 シュヴェリンの顔が、驚愕に引きつる。そのはるか後方に、何か銀色のものが突き刺さった。
 シュヴェリンは、自分の手の中を見る。そこにあるのは刀の黒い柄と、五センチほどの不格好な切っ先の短い刃だ。
「オレの刀が……折れた?」
 シュヴェリンは、呆然とつぶやく。確かに、百錬鉄――鍛えに鍛えられた刀が折られたのには、ショックを覚えるかもしれない。特にシュヴェリンみたいな妙に自分に自信を持っているやつなんかは。
 オレはリンガを鞘(ちょうどその辺に落ちてた)に納めると、それで肩を叩きながら言った。
「いくら鍛えられた刀でもなあ、絶対に折れないものなんてないんだよ。角度と力加減さえ間違えなけりゃ、そんなもん簡単に折れる」
「……そういうものなのか?」
「そういうものなんだよ。まあそれには、こっちにもそれなりの強度が必要だけどな。それにお前、急に動きがよくなったと思ったら攻撃がかなり単調になってたぞ。周りが全然見えてない。だからあんなナイフ一本で気をそらされるんだ」
 とりあえず、簡単に解説しておく。いきなりナイフを使ったのには悪いと思ってはいるけど、シュヴェリンがそのことについて何も行ってこないので謝るのはやめた。……こういうことを言うっていうことは、シュヴェリンの奴、負けたことないな。
「あー。なんかつまんねえ」
 シュヴェリンが、手を頭の後ろで組んで言った。さっきまでシュヴェリンの周りにまとわりついていた異様な雰囲気はいつの間にかなくなっている。
「ねえ、どうせなら殺してくれない? こう、すぱーっとさ。オレ、自分より強いやつのいる世界なんか興味ないし」
 ……お前、そういうことを普通笑顔で言うか?
 オレは何も言わないまま、シュヴェリンに近づく。そこまで距離は開いてなかったから、すぐに距離は縮まった。
「てやっ」
「痛っ」
 シュヴェリンが短く叫んで、額を両手で押さえる。オレはただデコピンをしただけなのに、相当痛かったみたいだ。……それほど力を入れた覚えはないんだけど。
「何するんだよっ。殺せって言っただろ?」
 駄々をこねる子どもみたいな目をして、シュヴェリンが言う。オレは今度は、リンガの鞘でシュヴェリンの頭を叩いた。がつんっていう予想していたよりも重たい音がしてオレ自身もちょっとビックリするが、この際そのことは気にしないでおく。
「バーカ。普通逆だろ? 自分よりも強い奴がいるから面白いんだろうが。……まあ、この世界じゃあそんな甘いこと言ってられないかもしれないけど」
「……そういう、ものか?」
「おう、そういうものだ」
 オレがそう言うと、シュヴェリンはふへへと力なく笑った。
「そっか。そういうものかあ」




「さーて。帰りましょうか」
 ヤマトが言って、オレはうなずきながらも周りを見渡す。
 オレのすぐ目の前にはシュヴェリンがぶっ倒れてて(こいつは疲れて寝てるだけだけど)、その少し向こう側にはリューベクが半分地面に埋まった状態で気絶している。フェルデンは、ヤマトの後ろで座り込んでいた。見たところ、もう戦意は喪失しているらしい。シュヴェリンが勝てなかった相手に自分が勝てるはずがない……とか、どうせそういうところだろう。
「あいつら、あのままでいいのか?」
 かと言ってあのままはよくないとしてもじゃあどうするんだって話だが、とりあえずヤマトに聞いてみる。
「んー? ああ、あのままでいいんじゃない?」
「そうか」
 ヤマトの返事を聞いて、どこか突っかかっていたものが取れてすっきりする。
「それじゃあ、帰って寝るかあ」
「そうねえ。今日はゆっくり寝られそうだし」
「え?」
 どうしてゆっくり寝られるんだ? また誰かが襲ってこないとも限らないのに。
 オレのその疑問を察したのか、ヤマトが笑顔で言ってきた。
「大丈夫、今日はきっとゆっくり寝られるわ。だって『ミッテル三兄弟』っていったらかなり名が知れ渡ってるわよ。特にその三男坊のシュヴェリンなんて、お兄さんたちを差し置いて『白虎』の異名まで持ってるんだから。それがこの有様じゃあ、この後はこいつらよりも自分を強いと思ってる奴しか襲ってこないわよ。見せしめってやつ?」
 見せしめ、ねえ。まあ、今日ゆっくり寝られるなら、いいか。




 宿に帰ると、窓の穴はすでに木の板でふさがれていて、窓は新しいガラスに取り替えられていた。こういうことは日常茶飯事なのか、手が早い。おまけに親父さんも何も言っては来なかった。
「あー。やっと寝られるよオレのベッドー」
 自分でも言葉が変になっているのを自覚しつつ、オレはベッドに倒れこんだ。布団やシーツも取り替えていてくれたのか、新しい匂いがした。
「ちょっとダルム、こっち向きなさい」
「んー……」
 さっさと寝かせてくれよとか思いつつ、オレは起き上がるのが面倒なのでベッドの上で寝返りをうってヤマトのほうに顔を向ける。
「は?」
 ヤマトの顔は、寝返りをうっただけで見えた。見えたって言うか、目の前にあった。だから、つまり……、
「はあああっ!?」
「うるさいっ! 叫ぶんじゃないわよ。今何時だと思ってんの?」
 確か三時くらいだけど……じゃなくて!!
「何でお前がオレの上に馬乗りになってんだよ!?」
「細かいことは気にしない! ほらシャツ脱ぐ!」
「わっ! ちょっと待て!」
 オレの抵抗もむなしく、ヤマトはオレのシャツを強引に脱がせる。だから止めろって!! あーっ。なんか顔が熱い……何赤面してるんだよオレはっ!!
「……やっぱり」
「は?」
「あんた、物凄い怪我よ。あのでっかいのとやってる時かシュヴェリンとやってる時かはわからないけど」
 そう言いながら、オレのシャツをベッドの上に放り投げてヤマトは自分のベッドのほうに行った。ベッドの隣に置いていた自分のバッグの中身をあさって、そこから何かを取り出す。
「ほら」
 そう短く言って、ヤマトはそれを放り投げる。
「この軟膏、よく効くから塗っときなさい」
「あ、ああ……」
 受け取ると、それは確かに軟膏だった。安心したって言うか、ちょっと残念って言うか……。
 気がつくと、ヤマトがオレを見て笑っていた。それも、何だか嫌な感じの笑みだ。
「何よ。期待した?」
「ばっ……! んなわけ……」
「赤くなっちゃって。かわいー♪」
「うるせー!」
 汽車の発車時刻は今日の十時。これだけ動いて六時間くらいしか寝られないと思うと、ちょっと辛い……。
 オレはヤマトに貰った軟膏を塗ると、すぐにベッドに潜った。


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Photo by Natuyumeiro