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   二章 空を眺めて二人旅



「お前相変わらず部屋きれいにしてるのな」
 ルーヴィスが、家の中を眺めながら言う。
「そりゃあ、よく人が来るからな。きれいにしておかないとまずいだろ」
 オレは台所のほうに行きながら、適当に言葉を返しておく。……こういうことをルーヴィスが言うってことは、こいつの部屋は相当汚いってことか? 確か去年の夏に一度寄った時は、足の踏み場も無くて結局オレが片付ける羽目になったんだけど。ってことは、それからまた散らかしてそのままってことか。でも多分、そんなことを近所のおばちゃんたちに言ったところで信じてはくれないだろう。ルーヴィスは、おばちゃんたちにはけっこう評判が良い。
「で、仕事っていうのは?」
 オレはコーヒーをテーブルに置いて、イスに座りながら言った。四人掛けの、一人暮らしのオレには大きすぎるテーブルだ。もともと四人――オレと親父と母さんとじいちゃん――で住んでいたっていうのもあるけど、やっぱり(客はもちろんだけど)ルーンやエル、それにルーヴィスが来て、ちょうど四つのイスが埋まる時があるっていうのが一番大きい。
 ルーヴィスは上着を壁のフックに掛けるとさも当たり前のようにオレの向かいの席に腰を掛けて、コーヒーを片手に持つとフッといやな笑みを浮べた。……こいつ、また厄介な仕事を持ってきやがったな。まあこいつの持ってくる仕事で、厄介じゃないものなんてあるはずがないんだけど。それに、オレもそれを承知で仕事を持ってきてもらってるんだし。
 周りの人たちはオレたちのことを友達か何かだと思ってるだろうけど、実際はそんなものじゃない。少なくとも、オレはそう思っている。
 オレとルーヴィスは、仕事仲間。仲介人と請負人の関係ってところだ。まあ、ルーヴィスにきた仕事をオレが代わりにやってるって言ってもおかしくはないけど。
 コーヒーを一口飲んでから、ルーヴィスは口を開いた。
「今回の仕事は、ちょっと」
「やっほー、ダルムー!」
「……エルか」
 ちっと舌打ちをしながら言って、ルーヴィスが黙る。自分なりに格好をつけていたらしいが、それを途中で邪魔されて悔しかったらしい。
 オレは席を立って、ドアを開けた。
「やっ」
「何しに来たんだよ」
 右手をぴっと上げて挨拶するエルに、オレはうんざりして答える。ただエルが来ただけならそんなことはなかったが、さすがにその手が持っているものを見るとうんざりしてくる。
 エルの左手には一つの籠が握られていて、その中には何かがあった。その何かの上には布がかけられているから何が入っているのかわからないが……だいたいの想像はつく。その、匂いからも。
「あれ? ルーヴィス来てたんだ?」
 エルが、ひょこっと顔を覗かせて言う。するとルーヴィスは、コーヒーをテーブルに置いてこっちを向くと笑顔で言った。
「ようエル。元気してたか?」
 ……この野郎、さっきとはえらい違いだな。
「で? 何しに来たんだよ?」
 今はこんなことで時間を取ってられない。さっさとエルを家に帰して、ルーヴィスと仕事の話を進めないと。
「あ、そうだった」
 言って、エルは籠の中からその何かを取り出す。少し大きめの白い丸い皿に何かが乗っているが、その正体は布が覆い隠している。
 エルが、その布に手をかけた。
「ジャジャジャジャーン! アップルパイを焼いてみましたー!」
 ばっと勢いよくはぎ取った布の下に現れたのは、店の前に置いていてもおかしくはないようなアップルパイの姿。……そうそう、見た目だけはいいんだよ。見た目だけは。
「今回の自信の程は?」
「自信大有りでーす!」
 ……危険だな、これは。
 オレがしらっとした目でその見た目だけのアップルパイを眺めていると、エルはあははと笑いながら言った。
「大丈夫、大丈夫。今回のは本当に自信作だから」
 だからそれが心配なんだよ。危険なんだよ。お前の作ったものは自信があればあるほど危ないんだよ!
「……まあ、しょうがねえから貰ってやるけど」
 言いながら、エルの手からその皿を受け取る。エルのやつ、ご丁寧にもワンホール丸ごと焼いてくれてやがる。まさかとは思うが、ルーヴィスが来ることを予想してたか? でないと丸々一個なんて普通くれないよなあ。
「それじゃ、あたし帰るから。ルーヴィスもたまにはうちのパン買ってよねー」
「はいはい、わかったよ。いつかな」
 ひらひらと手を振りながらエルに答えるルーヴィス。こいつ、買う気ないな。ルーヴィスのいつかは当てにならない。
 ぱたんとドアを閉じて、オレは席に戻る。そしてテーブルの中央にアップルパイの皿を置いた。
「これ、どうするの?」
 ルーヴィスが上目遣いでオレを見ながら言う。これやっぱり危ないんだろ? ――そう言いたげな目だ。
「そりゃあ食べて死にたくないからな。捨てるしかないだろ?」
「……でも、それはさすがになあ。エルの気持ちってもんがさあ」
 そんなこと言われてもなあ。だったらお前が食べるか? ルーヴィス。
「にゃー」
「お、猫じゃねえか。お前飼ってたっけ?」
「いや。飼ってないけど」
 見ると、オレの足下にいつの間にか一匹の猫がいた。茶色い虎模様の、まだ生まれて一年経っていないような子猫だ。最近、よくオレのところに来る。昔オレはどちらかっていうと動物には嫌われるタイプだったけど、シロガネがオレに憑いてからは動物は今までとは逆に寄ってくるようになった。ルーヴィス曰く、オレは動物の匂いがするらしい。……どうなんだろうな、これって。
「多分、さっきドアを開けてた時に入ってきたんじゃないか?」
 言って、じっとその子猫を見る。
「お、そうだ」
 ひらめいた。このアップルパイを処分する方法。
 オレはアップルパイを皿ごと持つと、ドアを開けて外に出た。子猫は餌でもくれると思っているのか、オレの後をついてくる。
 オレはしゃがみこむと、それを地面に置いた。
「ほーら、餌だぞ。食べていいぞ」
「にゃー」
「お前、それはひどいと思うぞ」
 ルーヴィスがドアの淵に手を掛けて上からこっちを覗き込んでくる。
「捨てるよりはいいだろ? 残飯しか食べてないような野良猫にはこんなアップルパイでもご馳走だよ」
「オレは、残飯のほうがいいと思うがな」
 こんなことを言っちゃあなんだが、オレもそれには同意見だ。実は、オレ以外のやつがエルの料理を食べてどうなるのかが見たいっていう好奇心も微妙に含まれていたりもする。
 しかし、まだこんな子猫に世界の恐ろしさを教えたことは酷だったか。
「じゃあ恐怖も去ったことだし、話の続きでも」
「きゃああああっ!!」
 ……何だ? 今の悲鳴は。
「エル……だよな、今の」
 ルーヴィスが、額から汗をたらしながら言う。
「エルしかいないだろう。隣から聞こえてきたし」
 言いながら、恐る恐る隣の家を見るオレ。何だかバタバタと物凄い音がして、何人かのお客さんはその光景を見て固まっている。
 約一秒後、エルが家から飛び出してきた。
「ごめんダルムーっ!」
 顔色を真っ青とは少し違う妙な色に変えたエルがオレの目の前まで走ってきて思いっきり叫ぶ。……よくそこまで意識を保てるな、お前。オレだったらすぐに気絶してるだろうに。
「ごめんごめんほんっとうにごめん! あたしまた間違えたー!」
 オレはエルの頭をぽんぽんと軽く叩きながら言う。
「で? 今回は何を間違えたんだ?」
「あのねあのね、小麦粉と発泡スチロールを間違えたのー」
 ……どうやったら間違えることができるんだ、それは。っていうか、それで何でこんなにきれいに焼き上がってるんだ?
「もしかして、もう食べちゃった?」
 エルが泣きそうな目をして言ってくる。お前、これを食べてオレが正常でいられるとでも思ってるのか?
「えーっと……オレは食べてないんだけど、こいつが」
 言って、オレは下――つまりは子猫を指差す。
「こいつって、誰?」
 エルがその指のさす先を見て言う。見ると、そこには空になった皿だけがあった。あの猫、全部食べたのか?
「最近オレのところに来てた猫にやったんだけど……」
「それって、あいつだよなあ」
 後ろからルーヴィスが言って、指を差す。その先には、あの子猫がいた。その子猫は、何事もなかったかのように歩いている。
 オレたちの視線は全て、その子猫に注がれていた。
 ……ぱたん。
 あ、倒れた。
「イィヤアアアァァァッ!!」
 エルが叫んで、その一声で全ての気力を失ったかのようにふらふらと家に帰っていく。
「……大丈夫か? あの猫」
「……あのまま寝かせておこう。下手にあたって大変なことになられても困るし」
「……そうだな」
 それだけ言って、静かにドアを閉じる。多分、あの猫は大丈夫……と思う。腹は、微かだけど動いてたし。
 食べなくて、よかった。




 冷たいコンクリートの塊の中に、ぽっかり開いた三畳ほどの空間。しかしその小さな空間も、半分以上が棚で埋まっているために実質一畳ほどしかない。そこを薄ぼんやりと照らしているのは、一つの小さなランプだけだ。そのランプのオレンジ色の炎がゆらゆらと揺れて、コンクリートの壁に妙な影を二つ、つくり出す。
「それで……なんだっけ? 今回の仕事」
 オレは、扉で閉じられていて何が入っているのかわからない棚に背を預けて、ルーヴィスに言った。ルーヴィスは、オレの向かいの階段に腰を下ろす。
「そういえば、それを言おうとしてエルが来たんだったな。……あの野郎」
 ギリ……と親指を噛むような仕草をして、ルーヴィスは言う。片目が傷で閉じられていてその上こんな仕草をしていたら、外では間違いなく危ない人だと思われる。ただでさえネクタイなしのシャツにズボンと上着、おまけにピアスなんかしてるから(まあ、オレもピアスはしてるんだけど)遊び人と思われても仕方ないような感じなのに。でもまあ、ルーヴィスは外じゃあ猫かぶってておばちゃんたちに人気だから、とりあえず大丈夫なんだけど。
 ルーヴィスが頬杖をついて、オレをじっと見る。
「今回の仕事は、ちょっと厄介だぜ?」
「お前の持ってくる仕事に厄介じゃないものなんて、今まであったか?」
「ないね」
 そう言って、ルーヴィスは立ち上がった。階段の三段ほど上に立っているために、ただでさえでかい背が余計に大きく見える。ランプが、ルーヴィスの向こうの壁に巨大な影をつくり出した。
「今回わたくしが持って参りましたものはあるものをある場所まで運ぶというもの。……引き受けて、いただけますか?」
 芝居がかったような口調で、ルーヴィスが言う。
「『黒狼』」
「もちろん」
 答えて、それから自分の顔が少し笑っていることに気がついた。確か前回の仕事は半年くらい前だったから、早く次の仕事が来ないかうずうずしていたのかもしれない。多分それはオレだけじゃなくって、シロガネも一緒だ。今左腕が、なんとなく熱い。
「で、内容は?」
 オレが言うと、ルーヴィスは階段から下りてきて横の壁に体重を預けるようにして立った。ただでさえこの部屋――オレのひいじいちゃんの代からあった目的のよくわからない地下の隠し部屋――は狭いのに、そこでこんな体制になったらかなり怪しい。多分オレが追いつめられてるとか、そんな風に見える。
「あるものをオーデルまで持っていく。ただそれだけの、単純な仕事だよ」
「その、あるものって何だよ?」
 肝心なところをはぐらかされたような気がして、オレはルーヴィスに聞いた。するとルーヴィスは、なぜだか眉をひそめる。
 そして言った。
「そういう面倒くさいことは、オレじゃなくて直接クライアントに言ってくれ」
 おい。オレが直接クライアントに会ってどうする。オレは今のこのただの一人の少年ダルム・シュタートとしての人生を歩みたいからお前に仲介を頼んでるんだろうが。下手にオレが『黒狼』ですなんて言ったら、妙なやつに狙われたりして普通の生活が壊れて、大変なことになるぞ。
 オレの考えていることでもわかったのか、ルーヴィスが顔に笑みを浮べて言う。
「心配するな。会うはずのないクライアントと会えなんてオレは言ってないよ」
「……じゃあ」
「その通り。今回の仕事にはクライアントが自ら参加することになってる」
 クライアント自らって……何を考えてるんだよそいつは!? こっちの世界の仕事――って言うより、自分の依頼した仕事がどれだけ危険かわかってるのか? はっきり言って、足手まといになるだけだろう!?
「そいつに今すぐ言ってくれ! お前なんかが来るところじゃないって!」
「まあまあ落ち着け」
 ルーヴィスがオレの肩をぽんっと叩いて言う。
「クライアントによっちゃあ、足手まといなんかじゃないだろ?」
 ……どういう意味だよ、それ。
「今回のクライアント、あの『黒猫』さんだよ」
「『黒猫』!?」
 思わず大声を出すと、その声が部屋の中に響いた。くっそー、耳が痛い。
「そう、『黒猫』。お前も名前ぐらい聞いたことあるだろ?」
 そりゃあ聞いたことぐらいあるよ。この世界の仕事をしてればな。確か黒髪で金色の目の、運び屋の女だったような……。仕事に失敗したなんていううわさは、聞いたことがない。つまり、かなり腕が立つ。
「でも、どうしてそんなやつが依頼を?」
 オレは一番聞きたかったことを聞く。そんなやつなら、わざわざオレなんかに仕事を依頼しなくても一人でどうにかできるはずだ。
 ルーヴィスが少しうなってから、ようやく思い出したのか喋りだした。
「『黒猫』にはじめ仕事を依頼していたクライアントがその‘あるもの’を狙ってるやつに殺されてな、『黒猫』としてもプライドってものがあるだろうから、クライアントが亡くなっても依頼は果たそうと思ったらしいんだが、これがけっこう大変みたいでな。助力がほしいんだと」
 なるほどねえ。そしてその助力に『黒狼(オレ)』を選んだわけだ。まあ、人選間違ってはいないな。
「でもその『黒猫』が大変って……敵さん強いの?」
「強い……と言うより、数だろうな。大元のクライアントは全然売れてない貧乏画家だったんだが、裏でいろいろなところから資金援助やらなんやらをしてもらって研究をしていたらしいから。あんまり噂のよくない貴族たちから裏で名を轟かせてるマフィアまで……色とりどりそろってるぜ?」
「マジ?」
 ……これ本当、厄介なことになりそうだ。いつものことといえば、いつものことなんだけど。
「数多いからなあ。ナイフとか少しくらいなくしてもいいように予備とか持っとけよ。……ところで、お前」
 ルーヴィスが、ずいと顔を近づけてくる。ああっ、この狭いのに余計近づくなって!
「最近、ちゃんと手入れしてるか?」
 オレの頬を、冷や汗がつたう。もしかして、最近少し手入れさぼってたのがバレた? さりげなくこの棚の扉を押さえてること、バレた?
「えっと、それは……」
 よし、こうなったらごまかそう。曖昧な返事でごまかして、さっさとルーヴィスを帰そう。それがいい。……それしかない!
「まあ、聞かれちゃまずいような話も終わったし、そろそろ上に戻らないか? エルがまた来て、オレたちがいないなんてことになったら大変だろ?」
〈手入れか。……そういえばここ最近、しているところを見たことがないな〉
 うあ、シロガネ。こんな時に。……ちょっと待て、霊体のお前に目なんかあるのか? まさか、オレに断りも無く勝手に視覚に入り込んで……。そういえば、今日もルーンが誘拐されるところ見てたし。ああもうっ。
 しかし、そんなことよりも。
「手入れ……さぼってるだあああっ!?」
 ルーヴィスが大声を上げる(どうやらさっきのシロガネの言葉は、ルーヴィスにも聞こえていたみたいだ)。あああっ! この少しでも物音立てると響くような空間で大声上げるなあああっ! 耳痛い!
 そんなオレの心境を知ってか知らずか、ルーヴィスはオレの胸倉をぐいとつかむと、今にも引っ付きそうなぐらいに顔を近づけてきた。そしてさらに、大声で言う。
「てめえコラ手入れさぼってたってどういうことだよ。ああん? 武器たち(あいつら)はオレたちの大切な商売道具なんだぞ。手入れさぼって、仕事に失敗して、信用失ったらどうするんだよ!? わかってんのかお前。この世界では信用第一なんだよ! これで一回でも仕事に失敗してみろ! オレはもうお前に仕事なんて持ってきてやらねえぞ! そんなだったらオレがやったほうがまだましだ! 片目ぐらい見えなくてもまだ何とかなる!」
 それだけ言って、ルーヴィスは肩で息をしながらオレから手を離す。
 はあっとため息を一つついて、
「……まさか、狼牙(リンガ)の手入れまでさぼってるわけじゃあないだろうな?」
 オレを半眼で睨みつけながら、言う。
 オレは再び棚に背を預けると、頭をかきながら一度息を吐いて言った。
「まさか。そんなことあるはずがないだろう? もしそんなことしてたら、オレは今頃シロガネに取り殺されてるよ」
 いくら霊体とはいえ、精霊にそんなことができるのか知らないけど。
〈無論、我がいる限りリンガの手入れをさぼることなどありはしないし、我が許さない〉
 ああ、やっぱり取り殺す気だったんだ。こいつ。
〈……そういえば、貴様は一度だけ手入れをさぼったことがあったな。あの時は夜の間に我が貴様の体を借りて代わりに手入れしてやったが、次そんなことがあっては許さんぞ〉
 え、そんなことあったの? 悪いけどオレ、覚えてないや。まあ、オレは寝てたんだから当たり前だ。
〈本来ならあの時、あのまま体を乗っ取ってもよかったのだ〉
 いつもあまり感情を含ませないシロガネの声に、微妙に感情がこもる。本気でそのことを惜しんでるような、そんな感じの。
 まあ怖い♥
「……まあ、そうだな。シロガネがいる限り、リンガのほうは大丈夫か。これならとりあえず、心配はいりそうにないな」
 ルーヴィスが安堵の息を吐く。そのままくるりと背を向けて、階段を上りはじめた。
「それじゃあ、仕事のほうは頼んだぞ。明日の朝十一時発のオーデル行きだ。多分駅に行ったら、『黒猫』が噴水のところで待ってるから」
「わかった」
 それだけ会話を交わして、おれたちは地下室から出た。
 まさかとは思うけど、あの時大声を上げていたの……外に聞こえてないだろうな? 何か、不安だ。




 いい天気だ。
 青い空には白い雲が優々と浮かんでいて、でも曇ってはいない。日本晴れ――とまではいかないけれど、快晴だ。
 でもそんな気持ちのよさそうな天気なのに、オレの格好はどうなんだろうなあ。いや別に、格別何がおかしいとかそういうわけじゃあないんだけど。
 今オレが着てるのは、昨日と同じ茶色い上着とジーンズ……じゃない。黒い革のジャケットと、これまた黒い革のパンツ。おまけにブーツときたもんだ。とりあえずジャケットは前を開けたままにしてるからそこから白いシャツが顔を出して少しは涼しく見えるけど、それでもやっぱりここまで黒尽くめっていうのは暑苦しい。
 これは、オレの仕事着。見た感じ普通のジャケットやパンツだけど、実はその革の内側には薄くて強靭な一枚の布が張り合わせられていて、それはルーヴィス特製の品だ。何であいつがそんなものって思うかもしれないけど、あいつ裏では何やってるかわからない(っていうか、表でも何やってるんだ? あいつは)からな。多分独自で発掘とかしてるんだろうけどさ。『文明の遺産(テクノロジー)』の。
 そしてオレが今いるのは、この町の中心部である駅のすぐ前。噴水のところで待ってるっていう『黒猫』と合流するためだ。……そう言えばオレ、ルーヴィスに『黒猫』の容姿聞くの忘れてたけど、大丈夫なのか?
 駅周辺はさすがに昼前とあってか、かなり人でごった返している。すぐ近くにはフリウデパートの姿も見えて、あのラーメン屋の行列の最後尾がここまで延びてきている。……みんなよく食べるよなあ、あんな謎のラーメン。
「しかし、本当に人が多いな」
 そう半ばうんざりとつぶやくオレの声も、人の波に飲まれて消えていく。別に、誰かに答えてほしかったわけじゃないからいいんだけど。
「本当、人が多いわねえ」
 誰かが、オレのつぶやきに答えた。
「……?」
「遅い」
「いてっ」
 振り向きざまに、デコピンをくらうオレ。
 オレの額のど真ん中に、少しも躊躇することなくその指を叩き込んだのは、女だった。黒い髪をポニーテールにしている、金色の目の……、
「お前っ」
「ああ、あなた昨日の」
 女も気づいた様子で、ぽんっと手を胸の前で打ち合わせる。
 昨日の――ルーンがデパートで誘拐された時にナイフを借りた、あの女だった。服装は、昨日と格別変わったところはない。少し違っているところといえば、コートの内側にちらりと見えるナイフの数が増えていることぐらいか。
 まさか、こいつが……?
「まったく。いくら人が多いからって見つけなさいよ。いつまで経っても来ないから、私があんたを探しに来たんじゃない」
 そう言って、女はふっと笑みを浮べた。
「『黒狼』さん」
 オレもそいつに習って、笑みを浮べる。
「じゃあ、あんたが『黒猫』さんなわけだ?」
 そう言うと女――『黒猫』はその笑みを崩さないままくるりと後ろを向いて、駅のほうに歩き出した。
「もうすぐ汽車が来るわ。行きましょう」




「でもまさか、『黒狼(あんた)』が来るとはねえ」
「それ、どういう意味だよ」
 『黒猫』の言葉に少しカチンときて、半眼で聞く。……多分今のオレ、めちゃくちゃ人相悪いな。
 今オレたちは、汽車の中にいる。オーデル行きネッカー経由の五両列車だ。十一時に出発して、五時に燃料補給のためネッカーに一時停車。次の日の十時くらいにネッカーを出発して、その日の六時くらいにはオーデルに着く。その汽車の第三――一般車両の座席に、オレたちは向かい合って座っていた。ぱっと見カップルか何かにも見えるかもしれないが、こんな睨み合ってるようなカップルはそうそういない。
 『黒猫』がふふっと笑って言った。
「別に、来たのがあなただったから残念と思ってるわけじゃあないわよ。私としては『金の鷲(イーグル)』にこの仕事を頼んだつもりだったんだけれど、彼の代わりにあなたが来たから驚いてるの。『イーグル』にこの話を持っていった時オレの代わりにいい奴を紹介するよって言われた時少しがっかりしたのは本当だけれど。まあ確かに、片目が使えないのは痛いわよね。それでどんな奴が来るのかと思ったら噂に名高い『黒狼』じゃない。『イーグル』の紹介だから腕のほうは確かなんでしょうけど……普通狼って群れないものなんじゃないの?」
「まあ、確かに単独行動のほうが好きではあるけど、仕事だし」
 オレの普通すぎる回答を聞いて、『黒猫』が少しばかり顔をしかめた。……お前、オレの答えに一体何を求めてたんだ? 悪いがオレはギャグを求められても困るぞ。
「ああ、そうだ。私はあなたを何て呼べばいいわけ?」
「え、何?」
「だから呼び方よ。まさかこれからずっと通り名で呼ぶつもり? 怪しまれるわよ」
 まあ、言われてみれば確かに……。
「じゃあ、オレはダルムでいいよ」
「そう、ダルムね。私はヤマトよ」
 言ってから、オレは重大なことに気づく。とっても重大で、でも今まで忘れていたこと。
「……今回運ぶ物って、何?」
 オレが言うと、ヤマトは目を点にしてただただオレを見つめる。
 数秒経って、
「聞いてないの? 『イーグル』に」
 ただそれだけを言った。
 やっぱりそういう反応するよなあ、普通。どこに仕事の内容もちゃんと把握してない奴が仕事しようとするんだ、って。
 オレは何だかそのことを言うのも面倒くさくなったが、言わなければヤマトにはわからない。オレは右手で頭を掻きながら半ばため息混じりに言った。
「ルー……『イーグル』が、そういう面倒くさいことはあんたに聞けってさ」
 何それ、とヤマトが苦笑混じりで言う。多分これだけいい加減な仲介は、世界広しと言えどルーヴィスしかいないだろうな。
「しょうがないわね。いい? 一度しか言わないからよく聞いて。今回運ぶ物は『エリキシル』……不死の薬よ。ほら、このビンの中に入ってる」
 そう言ってヤマトは、胸元から一つの鎖を引きずり出した。その先には、一つの小さな小瓶がつるされている。小指ほどの、小さな縦長の瓶だ。その中には、赤い色をした水のようなものが入っている。
「その水が、『エリキシル』?」
「そう。私のクライアントはマフィアなんかの手を借りながらこの研究をしてたのよ。そして気がついた。不死の薬なんてものを、人間は手に入れてはいけないってね。そして今回の仕事が、それを確実に処分してくれるクライアントの昔の友人のところに届けること。……まあ大雑把だけど、こんなものかしら?」
「ありがと。だいたいわかった」
 つまりは妙な研究をしていたがそれを自分の判断だけで止めたためにいろいろ援助をしてもらっていたマフィアなんかの怒りを買って殺されたわけだ、そのクライアントは。マフィアとしては自分たちが金を出してたんだからそんな勝手なことされたらたまらないよなあ。
「ねえ、気になってることがあるんだけど、聞いてもいい?」
 ヤマトが急に、ずいっと顔を近づけてきて言う。
「そのジャケット……ただの革じゃあないわよね? どうしたの?」
 ぐ……。こいつ、気づいてたのか。けっこう観察力鋭いな。ちょっと見ただけじゃあただの革のジャケットなのに。
「ねえ、教えてくれない? それ、どこで手に入れたの?」
 ヤマトの金色の目が、きらきら輝いてる。……だから、それ以上近づくなって。
 オレは心持ち体を後ろへ引いて(座席が邪魔なんだよ)言った。なんとなく、額を冷や汗がつたっているような気がする。
「イ……『イーグル』だよ。これはあいつの特製品」
「いいなあ……。私も頼んだらつくってもらえるかな? ほしかったのよ、この超合金製特殊合成繊維。ちょっとした刃物くらいなら貫通させることなく受け止めちゃうんだから。……裏じゃあ出回ってないこともないんだけど、恐ろしく高いのよねえ」
 これ、超合金製特殊合成繊維って言うんだ。はじめて知ったよ。……って言うかお前、何か精神年齢下がってないか? もしかして武具マニアだったりします?
「今度頼んでつくってもらおうかなあ」
「あ、それ止めたほうがいい」
「何で?」
 ヤマトが潤んだ瞳でオレを見上げてくる。何で泣いてるんだよお前。もしかして、オレがこの繊維独占しようとしてるとか思ってる?
「あいつに頼むと……多分、裏の倍以上の値段でふっかけられるからな。うん。止めとけ」
「……それ本当?」
「本当」
「……残念」
 ため息をつきながら、ヤマトはようやく体を元の位置に戻した。ぼけっと窓から流れていく景色を見ながらつぶやく。
「そういえばあんたって、どうしてこんな仕事してるわけ?」
「どうしてって……資金稼ぎ」
 何でいきなりそういう質問になるんだよ、お前は。まあ確かに、こんな年の少年が裏社会の一番危険なとこで仕事してたら、普通は訳ありとかだろうけど。
「資金? 何の」
「……旅の」
 オレ、何でこんな今さっき出会ったばっかりの奴に自分のこと話してるんだ?
「旅なんて、今だってできるじゃない」
 オレが頑張って資金集めしてるのに、何をいきなり言うかなあこのお姉さん(とりあえずオレより二つほど年上らしい)は。
「だって、旅なんてその時その時で必要なお金を稼げばいいじゃない。まとまった大金なんて持ってると、それこそ危ないわよ。あんたほどの腕なら仕事もすぐに見つかるだろうし」
 まあ確かに、そういうのもありっていうのはわかってるけどさ、オレは。でも第一オレの目指すその場所がどこにあるのかすらわからないし、やっぱりエルやルーンのことも気にかかるし。……もしかしてオレがイザールを離れられない理由ってそれか? あいつら、とことん足を引っ張ってくれるよなあ。
「アドバイスありがと。とりあえず、礼は言っておくよ」
「どーも」
 ヤマトは窓の外を眺めたまま、ひらひらと手を振って答えた。




「空はいいなあ……」
「はあ? 何よ、いきなり」
 ヤマトが言うが、オレにはほとんど聞こえていない。だいたい、さっきのだってヤマトに言ったんじゃなくて単なる独り言だったんだ。
「オレは生まれ変わったら空になりたいな。って言うか雲だ。うん。雲になりたい。わがまま言うと、雨雲は嫌だな。カエルとかくらいにしか好かれないし」
「……はあ」
「雲はいいぞお。あの青い空の下をふわふわ漂っていればいいんだから」
「……まあ、確かにそうね」
 ヤマトの困ったような顔が、視界の隅に入る。……こんなオレの独り言、聞き流してていいのに。しょうがないから、話でも振ってやろうかな。
 オレは窓の外をゆっくりと流れていく空からヤマトのほうへ視線だけを動かして言った。
「お前、どんな空が好きだ?」
「え?」
「オレはやっぱり、晴れてる空が好きだ。透き通るように青くって……あ、でも雲がないのは駄目だな。ただ青いだけじゃあ駄目なんだ。青いなかに、綿菓子でも千切ったような雲が浮かんでいるのがいい。……お前は?」
「私は……」
 つぶやいて、ヤマトが窓の外に目をやる。
「夕方の空、かな」
 くすりと一度笑って、ヤマトが空を眺めたまま言う。
「空が全部……雲もさ、赤く染まってきれいじゃない。でも炎みたいに怖い赤じゃなくて、なんとなく温かみのある赤。……私は、好きだな」
 ヤマトはそのまま、じっと空を眺めている。空はもう、赤く染まり始めていた。雲の影が、いつもの水色じゃなくてオレンジ色に変わっている。
「お前……もしかして、オレと話し合う?」
「そう?」
 ヤマトが首をかしげる。
「オレさ、今日の朝ずっと空を見てたらバカって言われた」
「何それ」
 ぷっとヤマトが笑って、そのままオレに聞いてきた。
「誰にそんなこと言われたの?」
「……幼なじみ」
 同時に、あの時のエルの顔が脳裏に浮かぶ。完全に人をバカにしたような、むかつく笑みを浮べた顔だ。あの顔に、一度拳を叩き込んでみたい。……蹴りでもいい。
「幼なじみ……女の子?」
「まあ、な」
「なるほどねえー」
 そう言って、今度は肩を震わせて小声で笑い出すヤマト。……何なんだよ、一体。女の考えてることは、わけわかんねえ。
『乗客の皆様にお知らせします。当汽車はまもなくネッカーに到着致します。オーデル行きのお客様も、燃料補給のため一度下車していただくこととなります。そのことにつきましては、ご理解の程、よろしくお願い致します。それでは、お忘れ物の無いよう……』
 約六時間汽車に揺られて、オレたちはようやくネッカーに到着する。




 駅を出てから少し歩いて中心街を出て、そこからさらに裏通りに入ったところに、その宿はあった。
 他の建物と同様白い石壁で、でもそれももうところどころ黄ばんでいたり黒ずんでいたりする、ぼろい宿。
 どうやらここは、ヤマトの行きつけの宿らしい。彼女曰く、仕事でネッカーに滞在するなら、ここが一番いいとか。
「いらっしゃい」
 ドアを開けたとたん、どんと目の前に立っていた(腕組んで仁王立ち)男が言った。軽く二メートルはありそうな巨体に、あちこちにナイフなんかの刃物傷が残っている。……確かに、こんな人が経営してる宿なら他のところよりは安心かも。でも、この人自身がすっげー怖い。
「お久しぶり、親父さん。今日は二人部屋借りるよ。夜は少し騒がしいかもしれないけど、いつものことだから」
「あいよ」
 そう言って、ここの主人は道をあけると(完全にドアを塞いでたんだよこいつ!)ヤマトに鍵を投げ渡す。ヤマトはそれを片手でキャッチすると、何の迷いもなく階段のほうへと歩いて行く。
 オレが呆然とその場――ドアの前に立ち尽くしていると、ヤマトが振り返って言った。
「何してるの? 早く!」
「お、おう」
 答えて、ヤマトのほうに駆け寄る。……それには当然、親父さんの前を通るわけで、
「……」
 無言でオレをじっと見てくる親父さんの視線が、オレに突き刺さる。そりゃまあ、裏世界で話題になってる『黒狼』だけど、その正体を知ってるのはごくごく限られた人間だけだから、『黒猫』のヤマトに何でこんなガキが引っ付いてるんだとか思うかもしれないけど。
 ……それにしても、怖い。この人やっぱり、昔は(もしかしたら今でも)この世界で仕事をしていた人なんじゃあないだろうか?
「何ぼけーっとしてたのよ」
「いや、その……」
 オレが口ごもりながら言うと、ヤマトはああとうなずいて言った。
「親父さんのこと? あの人、今は仕事辞めちゃったけど、当時は名の知れた奪還屋だったのよ。腕は、今でも落ちてはいないと思うけど」
「……やっぱり、そうだったのか」
 そうでなけりゃ何なんだって感じだけどな、あの親父さん。
 階段を上って三階まで来ると、ヤマトは三つあるうちの真ん中のドアの前で止まった。さっき貰った鍵を鍵穴に差し込んで、回す。
 ガチャリ。
「……何かこの鍵、普通のより音が重くないか? だってほら、普通鍵ってカチャ、とかさ」
「そりゃあ、並みの鍵師じゃあ開けられないようになってるし、ここはこの宿の二人部屋で一番良い部屋だもの。これくらいじゃなきゃ困るわよ」
 ヤマトがちらりとこっちを見て、薄く笑みを浮べて言う。
「堂々とドアから侵入されてあれを奪われた、何てことになったら評判がた落ちだもの」
 まあ、それは確かに。窓から入ってこられるのも嫌だけど、真正面からこられるのはもっと嫌だ。
「さて、これでとりあえず、今日は休めるわねえ」
 言って、ドアを開ける。
「へえ……」
 余計なものがなくて、確かにオレたちみたいな奴にはいい部屋かもしれない。向かい側には少し小さめ――つまり外から入って来れない(オレぐらいなら入れるけど、もっと体つきがよくなるとかなりきつい)ような大きさの窓が二つ。その横に少し間を開けてベッドが一つづつある。これなら窓から入ってこられた時すぐに殺られることもないだろう。多分、この窓を通るので精一杯のはずで、部屋に入った時は相当体制が崩れてるはずだ。……まあその代わり、オレたちもここから出にくいっていう欠点もあるけど。だってここ三階だし。
 ヤマトは向かって右側のベッドの脇に荷物――小さいボストンバックで、たぶんいろいろナイフなんかが入ってる――を置くと、オレの隣をすり抜けて廊下に出た。
「私は今から下で食べてくるけど、あなたはどうする?」
「オレはいいや。もう寝る」
 オレが言うと、ヤマトはそうと短く言って歩き出した。別に毒なんて盛らないのに……何ていうつぶやきがふと耳に入る。盛られてたまるかっ。
「あ、そうそう」
 ちょうど階段にさしかかったところで、ヤマトが足を止めた。ちらりとこちらを見て言った。
「寝る時は、靴は履いたままのほうがいいわよ。じゃ」




「……」
 ふと、目が覚めた。でも、目は開けない。オレの赤い瞳が夜の闇の中で目立つわけじゃあないが、それでも感づかれる恐れがある。
 あくまで、寝たふりをする。
 オレは言われたとおり靴を履いたまま寝ていて、ついでに言うとリンガを抱えている。多分リンガはシーツに隠れて見えないだろうから、ぱっと見抱き枕でも抱えているように見える。
 時間は、多分……一時くらいだと思う。
 どうやら今日は、これ以上寝られないらしい。寝かせてくれる気は、相手にはないみたいだ。……こりゃ明日は寝不足かな。特にヤマトは。
 瞬間、闇討ちに似合わない派手な音をたてながら、二つの窓のガラスが外側から割れた。


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