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   *第三話 俺たちの仕事やるべきこと 〜Dean〜*




「きゃっ!」
「んなっ!?」
 急に何かが飛んできて、俺とアレスは声を上げた。そりゃあここは敵地のど真ん中なんだからあんまり大きな声を出せないのはわかってるけど、でも今のはしょうがないだろ!? だって何か飛んできたんだぜ、顔のすぐ横に! あれ絶対あたったらやばかったって、ほんと。ひゅおってもの凄い音したもん。狙いが正確だったか俺が少しでも動いてたら、俺かアレス、絶対どっちか死んでたって!
 俺たちがその場で動きを止めたのを確認してか、目の前の茂みからたくさんの人影が姿を現した。その形は人間に似ていて、でも人間ではない。とがった耳が、何よりの証拠だ。……でも、ドリーマーでもない。やつらは、バクだ。……そりゃあ一応はあいつらも夢に住んでるんだからドリーマーに分類してもいいかもしれないけど、俺たちとあいつらとは根本的なものが違う。俺たちドリーマーはきれいな夢を夢石って形――そんなこと言ってもさすがに『ホープ・フラワー』には劣るけど――で存在させて、その力のおかげでこの世界に生きていられる。けれどあいつらは、人間たちの汚い夢の塊なんだ。欲とか、怨念とか……そういうものの。だからきれいな夢を求めている。それであいつらは、俺たちを――正確には俺たちの命の源である夢石をほしがってる。きれいな夢の塊だからな。……きれいな夢の塊っていえば、『ホープ・フラワー』もそうだ。だからあいつらはこの森を根城にしている。『ホープ・フラワー』は貴重なものだけど、あれを花びら一枚でも食べれば数ヵ月は生きられるから。
「ちっ」
 あまりにも分が悪い。反射的に舌打ちしたけど、だからってこの状況を変えられるわけじゃないんだ。ちゃんとした数もわからないくらいめちゃくちゃ大勢対たった三人。しかも一人は戦力外……っていうか、はっきり言って足手まとい。勝手にアレスを足手まといにして悪いけど、きっとそうに決まっている。だって、剣すら見たことがなかったんだ。アレスは平和ボケしてるよ。まあ、悪いことじゃないんだけど。
 俺たちがじっとやつらの動きを窺っていると、やつらの中から一人が前に進み出てきた。やつらのグループの長か? 確かバクは、数十人単位でいくつかのグループに分かれて行動してるって聞いたことがある。
「おやおや、これは珍しいお客様ですね。ドリーマーの子供に美しいお嬢さん、それと……おや、これまた珍しい。人間のお嬢さんですか」
「子供言うな子供!」
「私は女ではない」
「…………」
 口々に文句を言うと(あれ、アレス何にも言ってないじゃん)、俺は背中の剣に手を伸ばした。コウも、手に力を集中させているみたいだ。ドリーマーは基本的にみんな魔力を持っていて、コウはそれを弓矢の形で扱う。そういう魔力を利用した武器は、いつでもどこでも使えるから便利がいいんだけれども、魔力が尽きるっていうことや体調や精神状態に大きく左右されるから、俺はあんまり得意じゃない。まあ、精神制御の上手い――って言えば聞こえはいいよなあ――コウには向いている力かもしれない。
 バクの長は、にっこりと人のよさそうな笑みを浮かべたまま言った。
「おや、そうでしたか。それは失礼いたしました。……ところで、この森には何の用で?」
「花を採りに」
「コウっ」
「本当のことだ。隠すことはない」
「それはそうだけれど……」
 俺はもごもごと口ごもる。まあ、俺たちの目的なんて知っていようが知っていまいがそんなことには全く関係なくこいつらは動くんだろうけれどさ。
 バクの長はその笑顔を絶やさないまま言う。……この笑顔、はっきり言って気味悪い。もともとこういう顔なのか、故意にしていることなのかわからないけれど。
「そう、花を採りに来たんですか。花……『ホープ・フラワー』ですか? それなら、ここをまっすぐ二キロほど先に行ったところに咲いていますよ」
「へえ、やけに親切じゃない」
 俺の額を、冷や汗がつたう。剣の柄を握る手に、力がこもった。
「道に迷って困っている方々を見過ごすほど、我々は薄情ではありませんよ? ……まあ、あなた方がそこへたどり着けるかどうかは別ですがね」
 俺たちの前から、長が消えた。刹那。
「うおおおおおおっ!!」
 長の後ろに控えていたバクたちが、いっせいに雄叫びを上げる。これから始まる久々の狩に対する、喜びの雄叫びだ。
「まったく、厄介なことになったなあ」
「お前はこういう状況を望んでいたのではないのか?」
「う……まあ、そうだけど」
 そう言いながら、辺りをざっと見回す。確かにこれは、俺の望んでいた状況だったかもしれない。でも、それが現実となった今では別だ。俺は何もかもを甘く見すぎていた。こんな状況望むバカなんてどこにいるんだよ!? どこをどう見回したって、突破口すら見あたらない。
「これ、どーする?」
「どうにかしないと、先には進めそうにないぞ?」
「わかってるよ、そんなこと」
 ぶつくさと文句を言いつつ、俺は空いている左手でぐいっとアレスを俺の後ろに引き寄せた。
「アレス、俺の後ろから離れるなよ」
「え、何? もしかして戦い始まるの?」
 今頃何言ってんの、このお嬢さんは。何かいまだに状況呑み込めてないみたいだ。……っていうかそれ以前に、あいつらがバクであって俺たち――実際には俺とコウだからアレスは関係ないかもしれないけど――を喰おうとしてることわかってんの?
 俺は何だかこんなアレスにいちいち丁寧に答えるのが面倒くさくなって、半分投げやりな形で答えた。
「そーだよ、戦い始まるの。だから俺の後ろを離れんな」
「わ、わかった」
 ぎゅっ。
 おい、ぎゅってなんだ、ぎゅって。
「しがみつくな! 動けねえだろ!」
「だって……」
「だってじゃねえよ!」
 あーもう、これだからこのお嬢さんは! そんな背中にびたっと張り付いて、おまけに服を思いっ切りぎゅっなんてつかまれたらこっちが動けないことぐらいわかれっての!
「ディアン、来たぞ」
 コウの凛とした声が響く。バクたちが動き出した。
 俺は口元に薄く笑みを浮かべて言う。
「へっ。くるならさっさと来いよ。こっちは時間が無いんだ」
 その言葉に答えたのかどうかは知らないが、バクが十人ぐらい、一気にこっちに向かってきた。その手には、剣が握られていたりナイフが握られたりする。中には数名ほど、何も持っていないやつがいた。……あいつらの使うのは魔法か?
 バクがこちらに近づいてくる。……結構速い。でも、まだだ。
 あと、もう少し……。
「アレス、頭下げろ!」
「はいっ」
 ひゅおっ。
 そういう風でも通ったような音がして、次の瞬間には俺の間合いに入ったバク――それでも全員じゃない――が腹から上下に真っ二つになって倒れる。
 俺の手には、抜剣した剣が握られていた。それは木々の間からわずかに入り込んでくる日の光を反射して、まぶしいくらいに輝いている。
 俺がやったのは居合い……みたいなものだ。はっきり言ってしまうと、全然違う。だいたい居合いは刀でやるもので、剣でやるものじゃない。それに普通、鞘は腰に提げとくもんだ。そういう俺は背中に鞘を提げている。そんなで居合いは無理だろって感じだけど、何でかなあ、俺できちゃうんだよね。コウが言うには、俺は無意識のうちに魔力を剣に込めてて、剣を振った時にその魔力が刃みたいになって外に出るんだそうだ。俺としては、自覚はまったくない。そこんとこ、よくコウに怒られたりもするんだけど。そういうわけだから、コウはこれをかまいたちって呼ぶけど俺は居合いのほうが気に入ってる。だって、そっちの方が何かかっこいいし。
「あ、あれ……」
 後ろから、アレスの声が聞こえた。抜剣する時に邪魔だったから頭を下げさせていたけど、今はもう上げている。……っておい! だから服つかむなって!
 アレスの震える指のさす先には、俺の斬ったバクが倒れている。だんだんと姿を薄くしながら。
「消えてる……?」
「そうだけど、どうかした?」
「どうかした? って……だって、何で消えてるのよ?」
「そりゃあ、あいつらは夢の塊だからな」
 アレスの俺の服をつかむ手に力がこもる。だからそれやめろ。服つかむなって、動けないから。
「言ってる意味がわかんないいい」
「だからあいつらはただの夢の塊なの! ついでに言っておくと俺とコウもそう! 残るような肉体がないから死ぬと消えるんだよ!」
「……肉体が、ない?」
「そう。この世界に存在していられるのは魂と夢だけ。だからアレスも今は魂だけの存在だろ? ……だから、いい加減その手を離せっ! 動けない!」
「ああっごめんなさいっ」
 すっかり狼狽した様子でアレスが言いながら手を離す。……まったく。こんなことやってたら本当に日が暮れちまう。それで花にありついた頃にはもうアレスがいなかったなんてことになったらどうするんだよ。期間無制限だった昔と違って、今は三日間っていうリミットがあるんだから。
 俺とアレスが世間話――みたいなものだろ? 少なくとも、こんな時にやるものじゃないよ――をしていた間、襲ってきたバクは全てコウが打ち落としてくれていた。
「悪いな」
「いや。それより、このままではキリがないぞ」
「だよなあ……どうする?」
「……突破口をつくる。そこを一人が護って、一人がアレスを連れて奥へ行く。あのバクの話が本当なら、ここをまっすぐ行ったところにあるはずだからな」
 突破口か。護る方も奥へ行く方もかなり大変だけど、多分もうこれしかない。二人でここにいるバクを全部倒すっていうのもいいけど、それじゃあキリがないしなにより時間がない。最悪の事態は、このバクたちの誰かが他のグループへ連絡して敵が増えること。……まあ、そうなると後での処理が色々と大変だろうしバクにだってそれなりにプライドってものがあるんだろうから確率的には低いけれど、絶対にないとは言い切れない。
「それしかないか。で、どっちが奥へ行く?」
「お前がここで、延々とこいつらを相手にしていてくれるか?」
「こいつらと延々か……こいつら数は多いけど、攻撃パターンが単調だもんな。まあ、さっきの長っぽかったやつは凄そうだったけど」
「で?」
「俺はここでこいつらの相手はごめんだ」
「だろうな。わかった、私がここに残ろう」
 飽きることなく向かってくるバクに矢を放ちながら、コウが言う。コウには悪いけど、俺はやっぱりこんなやつら相手にずっと戦ってるのはいやだ。
 俺はバクを剣でなぎ払いながら、アレスに言った。
「今の、ちゃんと聞いてたか? 聞いてたよな? それじゃ、あの辺のバクを倒して道ができたらすぐに走れ。もしまだ消えきってないやつがいても気にするなよ。俺は、あんたの後をすぐに追うから」
「コウは?」
「私はこちらが片付いたらすぐに行く」
「心配すんなって。こんなやつらにやられるほど、コウは弱くないよ」
 こんなこと口では言ってるけど、本当は俺だって心配だ。コウが強いのはわかってる。力では俺のほうが上かもしれないけど、冷静な判断を見失わないところでは、コウのほうがはっきり言って上だ。だからそういう点では心配なんてしていない。ただ俺が心配なのは、長期戦になりはしないかってことだ。魔力は使えば使うほど減っていく。長く持たせようとして下手に魔力の消費を少なくすると、今度は逆にダメージが少なすぎて余計に長引かせてしまうことがある。コウはそんなへまはしないだろうけど、これだけの数だ、何か秘策でもない限り長期戦になることは目に見えている。……でも俺は、心配するだけで他には何もできない。
 俺はちらりとコウを見上げた。たまたまコウもこちらを向いたので、俺と目が合う。……綺麗な、赤紫色の瞳だ。俺は昔から、この目が好きだった。
「行くぞ、ディアン」
「おう」
 互いに声を掛け合って、駆け出す。
 びゅおうっ。
「ぐああああああっ!」
 まずはコウの放った矢が俺たちの目の前にいたやつを貫いて、そのまま一直線にバクたちを貫いていく。
 細い、一本の道ができた。
「おらああああああっ!」
 俺は叫びながら(こうするといつも以上に力が出るんだよ)そろそろ汗ばんできて滑りそうになってきた右手でしっかり握った剣を左から右に思い切り振り抜いた。
 ごうおっ。
「うわ、ちょっとやり過ぎた」
 思っていたよりも凄いのが出て、思わず頬を冷や汗がつたう。本当は今の一撃でコウのつくってくれた道を少し広げるだけにするつもりだったけど、はじめの幅一メートルほどだった道が今は一〇メートル弱ぐらいまで広がっている。……俺って、意外と凄いんだ。
「ほらアレス、行くぞ!」
「あ、はいっ!」
 今の俺の一撃の凄さに目を点にしていたアレス(しょうがないよなあ、俺だってビックリだし)の背をぽんっと押す。アレスははっとして我に返ると、言った通りすぐに走り出した。俺もすぐに、その後を追う。
「行ってくる!」
 俺は振り返らずにコウに言った。
「ああ」
 後ろから、コウの答える声がした。……優しい、声だった。



 むこうでコウが頑張ってくれているのか、俺たちを追ってきたのは五人ぐらいだった。それでもやっぱりあそこにいたやつらとレベルは同じくらいで、相手にならない。
 俺は後ろから襲ってきた最後の一人に、振り向きざまに一撃を食らわせた。相手はそれで地に沈み、消えていく。
 ……いくら死体が残らないからといって、殺しはやっぱり気分のいいものじゃない。確かにこれは自分たちの身を護るための正当防衛なんだけど、よく考えたらあいつらも快楽のために俺たちを倒そうとしているんじゃなくて、ただ単に生きるためなんだ。俺たちはあいつ等バクにとって、ただの食物に過ぎないんだから。……でもだからと言って、俺だって素直に食われてやるわけにはいかない。俺には、仕事(やるべきこと)があるから。
 俺たちのやるべきことは、アレスを――アレスのために最善を尽くすこと。それをやり終えない限りは、死んでも死にきれない。
 俺とアレスはそのまままっすぐに森の中を走っていくと、急に開けた場所に出た。
「ふあ……明るい」
 アレスが声を上げる。アレスは、まぶしそうに右手でその光をさえぎって、上を見上げていた。俺も同じようにして、上を見る。
「すげえ……」
 思わず声が漏れる。
 今までいたところがほとんど日の光が差さなかったからかもしれないけど、ここは本当に明るい。ちょっとした広場くらいの広さがあって、その端のほうには湖があった。
 ……もしかしたらここが、あの長の言っていた『ホープ・フラワー』のある場所なのかもしれない。
 どうやらアレスも同じことを思ったようだ。
「ディアン」
「おう、探すぞ」
 アレスが俺から離れて行って、少ししてはたと立ち止まって振り向いた。
「その花……『ホープ・フラワー』って、どんなやつ?」
「えーっと……」
 俺は剣を鞘に納めると、人差し指をこめかみに当ててうなった。そういえば忘れていた。俺もコウも、『ホープ・フラワー』の存在は知っていたものの、それがどんな花なのか見たことはなかった。それに、アレスが知っているはずもない。
「あああ、しまったあああああっ!」
「え、うそ! 知らないの!?」
「だってしょうがねえじゃんか! 最近は誰もこの森に近づかないから実物を見たことなんてないし、古い文献なんてうちの家にはなかったし!」
「だからってどれが『ホープ・フラワー』かわかりませんでした〜で済まされるものじゃないのよおおおっ!」
 アレスが力の限り叫んでくる。そりゃあそうだけど、仕方ないだろうが。知らないんだから。
「お探し物はこれかしら?」
「!?」
 急にどこからか声が聞こえてきた。……この森にいるんだ、バクに決まってる。俺はすぐにアレスの近くにより、剣の柄に手を掛けた。ぐるりと辺りを見回すが、どこにもそれらしき影はない。
「どこを探しているのかしら? わたくしはここよ?」
 上の方から声がして、俺はそっちに目をやった。広場の周りを囲うようにして立っている木のその一つの太い枝の上に一人の女がいる。……いやな雰囲気のする女だ。紺色の長い髪にはウェーブがかかっていて、それが顔の半分を隠している。すらっとした感じの黒いドレスを着ていて、その左側に開いたスリットからは白く細い足が伸びている。コウとあまり変わらないくらいのかなりの長身で、黒いハイヒールを履いているからか余計に背が高く見える。そしてその金色の目は、獲物を狙う獣の目のように静かだがらんらんと輝いていた。
「誰だよオバサン」
 俺のその言葉に、木の上のオバサンの顔がぴくりと動いた。……俺、何か失礼なこと言った?
「お姉さんよ、お・ね・え・さ・ん!」
 肩を怒らせて言うオバサンの姿には迫力があるけど、俺にはやっぱりどう見てもオバサンにしか見えない。
「なあアレス、お前にはどう見える?」
「そりゃあ……年増のオバサン」
 アレスが小声で言う。やっぱりそうだよなあ、オバサンだよなあ。
 オバサンは、俺たちの会話を聞きながら頬をぴくぴくさせて、その引きつった顔のまま片手で髪をかきあげながら言った。
「……まあいいわ、坊やたち。わたくしの名はネルファー。ここいら一帯を縄張りにしているバクの長よ。さっきはわたくしの同士たちをどうも」
 オバサン――ネルファーが、薄気味悪い笑みを浮べて言った。
 ……同士? 長? ってことは、さっきのやつは長じゃなくてこいつが本当の長だってことか?
「じゃあさっき、俺たちが長だと思ってたのは……?」
「あれは私の弟のモートよ。……坊やたちにこの場所を教えたのはあの子かしら? ふふ、あの子らしいわね。あの子ったら怖いくらいに親切だから」
 ああそーかい。俺はあんたら二人のその笑顔が怖いね。嫌なくらいに似てるよ、その薄気味悪さがさ。さすが姉弟っつーか、なんてゆーか。
「……それで、あんたの言うお探し物っていうのは、何?」
「ああそうそう。そうだったわね」
 言って、ネルファーは背中の後ろに隠していた右手を俺たちの前に出した。その手には、一輪の花が握られている。けっこう小ぶりな花で、その花弁は日の光に反射してきらきらと輝いている。
「?」
「これ、坊やたちの探している『ホープ・フラワー』。どう? 綺麗でしょう? 花びらがクリスタルみたいに透明なのよ。……ほしい?」
「「もちろん!」」
 俺とアレスの声が、見事に重なる。ネルファーはそれを見て、ふふんと鼻で笑った。そして、
「ああっ!」
 アレスが声を上げる。俺も、その場で動けずに固まっていた。
 ネルファーが、唇をぺろりと舌でなめる。
「御馳走様。……残念だけれど、もう『ホープ・フラワー』は無いわよ。まあ見ればわかることだけれどね」
「あ……ああ……」
 のどから声が漏れるだけで、言葉が出ない。あの女、『ホープ・フラワー』を食っちまった! しかも、最後の1本だと!? ……確かに、辺りを見回してもどこにもそれらしき花はひとつもない。
 ネルファーが、ぱんぱんっと手を叩く。
「さて、これで坊やたちの目的は永遠に達成することができなくなったわけね。……明日まで待とうったって無駄よ? 『ホープ・フラワー』は一回の流夢だけで咲くようなものじゃないもの。……これでやらなければならないことも無くなったんだから、おとなしく食べられてはくれないかしら?」
「ぜーったいにヤだね」
 誰があんたみたいなオバサンに食べられてやるもんか。そんなだったら、自分で死んだほうがまし。ぜってーまし!
 俺が思い切り敵意を燃やしていると、ネルファーはあごに人差し指を当てて少し考えるようにして言った。
「じゃあ、力ずくしかないのね……」
 ……嫌な予感がする。
「しょうがないわね、お子様はっ!」
「アレスどけっ!」
「うにゃっ!?」
 ネルファーが立っていた枝を蹴って、こっちに向かって飛んできた。って言うか、落ちてきた。俺はとっさにアレスを横に突き飛ばして、剣を鞘から抜いた。
 ガキイイイッ。
 剣と、何か硬いものがぶつかった音がする。
「う……くっ!」
 思わずうめく。剣を両手で握っていたからよかったものの、下手に片手で握っていたら剣が弾き飛ばされてしまったかもしれない。
 どさっと重たい音がしてネルファーのさっきまで立っていた木の枝が蹴った反動で折れた(けっこう太い枝だったはずなんだけど……)のと、俺の後ろでネルファーが器用にもくるりと回って(これまたかなり低空だったと思うんだけど……)地面に静かに着地したのは、ほぼ同時だった。
 ネルファーは立ち上がると、調子を確かめるように手を握ったり開いたりしていた。その手には、ご丁寧にも斑なく赤いマニキュアの塗られた鋭い爪がある。……あれが、俺の剣とぶつかったやつか? だとしたら、かなり……って言うか、恐ろしいほどの強度じゃないか!
 ネルファーがこちらを向いた。俺はその顔に浮かんでいる笑顔に、悪寒を覚える。
 ネルファーが舌なめずりして言った。
「……そう。坊やの夢石はそこにあるのね」
 ネルファーの目には、俺の剣の柄と刃の間に付いている赤く丸い石――夢石をじっと見ている。
「次は、外さないわよ」
 ネルファーの金色の瞳が、ギラリと輝いた。
 こいつはヤバイ。ヤバ過ぎる……! そう、俺の全身が言ってる。でもだからって、恐怖に負けて何もできなかったら本当にそこで終わりなんだっ!
「ふふふふふふふふふ」
 気味の悪い笑い声を上げながら、ネルファーがこっちに向かってくる。俺はネルファーに向かって、剣を横に振り抜いた。
 びゅおうっ。
 さっき道をつくった時よりも威力は弱いものの、魔力の刃がネルファーに向かい空を斬って飛んでいった。
「甘い」
 ぽつりとつぶやくように言うと、ネルファーは高く上に飛んで刃をかわす。……しまった。まぶしくて、ネルファーの姿がまともに見えない。
 俺は剣を盾代わりにするように、頭上にかざした。
 ガキイイインッ。
 剣と爪がぶつかる。ネルファーの力は、かなり強かった。……いや、こいつが見ため以上に重いだけか?
「ふふふ……かわいい坊やね。剣でガードをするなんて、自分の急所をわざと相手にぶつけているようなものじゃない?」
「うるさいっ!」
 頭にカチンときて、剣を思いっ切り横に振った。この剣は、親父が夢療人(レイバラ)を引退した時に俺にくれた、大切なものなんだ。
 ネルファーが右に吹き飛んで、派手に背中から地面に激突した。
 俺は、肩で息をする。何か、かなり力を使ったみたいだ。
「……この、ガキがぁ……」
 うめくような声がして、俺はそっちに目をやった。ネルファーが、ゆらりと立ち上がる。その金色の目には、怒りと、恨みと……そんな色んなものが渦巻いている。……さっきより凄い悪寒――と言うよりは殺気――が、ネルファーの全身から溢れるように出ていた。
「ずたずたに切り裂いて……それからゆっくり食ってやるわ……」
 ゆらりと、ネルファーが動く。でもその動きは、どこか少しおかしかった。さっき地面にぶつかった衝撃で、どこか悪くしたのか……?
 ネルファーの動きが、びくんと止まった。
「この……小娘があああっ!」
「ディアンンンっ!」
 見ると、アレスがネルファーの足にしがみついてネルファーの動きを止めていた。ネルファーは足を振ってアレスを引きはがそうとしているが、アレスが両足にしがみついているのでなかなか離れない。地面に衝突した時に腰でも悪くしたのか腰が回らないらしく、地面にはいつくばったままのアレスには手が届かない。
「アレス、頭上げるなよっ!」
 そう言って俺は、剣を左に持ち上げた。……実を言うと、今はこのくそ重い剣を持っているだけできつい。
 そして俺は、その剣を右に振り抜いた。
「だらああああああっ!!」
 ごうおおおっ。
 剣から放たれた魔力の刃が、風となってネルファーに迫る。
 ネルファーの顔が、恐怖に引きつれた。



「……どうしよう」
 アレスがさっきから何度も連発している言葉をまたつぶやく。……これで何回目だっけ? 七回目までは数えたけど、後は面倒くさくなって止めた。いつまで続くかわからなかったし。
「どうしようって……探すしかないだろ」
 俺は、広場の隅辺りの茂みをかき分けて『ホープ・フラワー』を探す。……でも、それらしい花も何も、そこには花一つ咲いていない。だいたい、本当にここなのか? 姉弟二人で俺たちを騙してる、とか。
「でもぉ」
 でもぉじゃないんだよでもぉじゃ。どうしようを連発したいのは俺のほうなんだから。こんな腰屈めてちっさい花を探してるより、そっちの方が絶対楽なんだ。
「……どうしよう」
 ああもううるさいっ!
「アレス! お前いつまでもグチグチ言ってんなよ! こっちのやる気が削がれるだろうが!」
 俺が思いっ切り怒鳴ると、アレスはキッとこっちを向いた。その目は、心なしか潤んでいるようにも見える。……もしかして、俺が泣かせたの?
「だってだってしょうがないじゃない愚痴りたくもなるわよ! いきなりわけわかんないままこんな世界に連れてこられて……そりゃあ少しは楽しかったけど……いきなりあんたは死んでるとか言われて! なんとなく状況はわかったけどまだそれでもよくわかんないし! 私の病気が治せるって言うからこんな危ない森にまで来て……ディアンもコウも、私に心配ばっかりかけさせて! おまけに最後の花はあのかなりやばいオバサンに食べられちゃったし!」
 そこまでほぼ一息で言って、肩ではあはあと息をする。それでもアレスは下を向くでもなく、じっと俺の方を見ていた。……その眼光から、睨まれてるように感じるのは俺だけか?
 俺は何だか腰が本格的に痛くなってきて、その場に腰を下ろした。
「……あのさ、言いたいことはわかるんだけども、愚痴ってもどうにもならないだろ? 今は」
「…………」
 アレスが俺を見たまま黙る。……あー、やっぱり睨んでるわ、これ。
「だいたいさあ、あれが最後のだとは限らないだろ? 俺たちに花をあきらめさせるためにあのオバサンが言った嘘かもしれないし」
「……嘘?」
「可能性がないわけじゃないだろ?」
「嘘……」
 アレスがぶつぶつとつぶやきだした。おいおい、今度はなんなんだよ。
「ああっ!」
 アレスが急に大きな声――さっきとは違う高い声――を出して、手をぱんっと打ち合わせた。俺はいきなりのことに目が点になる。
「そうだ思い出した!」
「……何を?」
 とりあえず、聞いてみる。
「あのオバサンの持ってた花、何だか少し濡れてた!」
 ……は?
「だから濡れてたのよ、どことなく!」
「……それ、あのオバサンの汗とかよだれだったりしない?」
「そーゆーマイナス思考は止めましょう!」
 おい、さっきまで思いっ切りマイナス思考だったのはどこの誰だよ。
 濡れてた……濡れてたねえ。……濡れてた?
「なあアレス、それ本当か?」
「まあ、絶対そうかって聞かれるとはっきりはいとは言えないけど……」
「ありえないわけじゃないんだな?」
 俺はそこで会話を打ち切って、広場を見渡した。そこには緑の芝生と一つの少し大きめな湖があるだけだ。……湖?
「アレス、あれだ!」
 俺はびっと人差指で俺たちの左手にある湖を指した。
「あれ?」
 アレスもそっちを向く。しばらくそのまま黙っていて、そして口を開いた。
「無理じゃない?」
「……なんで」
「だって、湖の中に花なんて……」
 そりゃまあ、普通無いことかもしれないけど……。
「行ってみる価値は、あるだろ?」
 俺はそう言って、腰を上げる。ああ、何か腰がぐきぐき言ってるよ。
 俺は腰をさすりながら湖の方に歩いていくと、アレスがその後ろを歩きながら言った。
「じじ臭いわよ」
「ほっとけ」
 適当に言葉を返す。
 俺たちのいたところから湖までは思っていたよりも距離はなく、すぐにたどり着いた。俺たちは湖の縁に座り込む。はたから見ると、柄の悪いニーチャンとネーチャンに見える。……こんなとこコウに見られたら、怒られるだろうな。
 アレスが湖の中を覗き込むようにして見る。……何だか落ちそうで――と言うより俺が突き落としそうで――怖い。
「……何にも見えないけど?」
「そんなに浅い湖ってわけじゃなさそうだもんな」
 俺はそう言いながら立ち上がると、肩をぐるぐる回した。
「何してるの?」
「準備体操」
「準……潜るの!?」
「だって中に入ってみなきゃわかんねえじゃん。何があるか」
「そりゃあそうなんだけど……」
「じゃ、行ってくるわ」
 右手を上げてアレスに軽く挨拶して、俺は湖の中に飛び込もうとした。
「待って!」
「何だよ!?」
 急にストップをかけられて、俺は本気で湖に落ちそうになる。ったく、なんてことをするんだよお前は!
「私も行く」
「だーめ。お前は残ってろ」
「何でよ!?」
 ……こいつ、意味わかって言ってんのか?
「潜るんだぞ。お前潜れるの? その前に泳げるの?」
「う……」
 アレスが動きを止める。ほら見ろ、だから無理なんだって。
「で、でも!」
 何でだか、アレスが両手をぐっと握って――つまりはガッツポーズをして――言う。だから、いくらそんなことしたって泳げないんじゃどうにもならないんだって。
「ま、まだ一度も泳いだことないけど、もしかしたら泳げるかも!」
 ……そういうことかよ。泳げないんじゃなくて、泳いだことなかったんだ。そう言えば、あんまり外に出たことないって言ってたっけ。
「あーもー、しょうがねえなあ」
 俺は、頭を掻きながら言う。
「何か今日はやけに力使ったから、これで本当に最後だぞ。帰りは歩きになるからな」
 それだけ言って、俺は目を閉じて精神を集中させた。……まだ体の奥に、少しだけ魔力が残っているのがわかる。
 これを体の外に、出す!
「うひゃ?」
「どうしたんだよ?」
 アレスが変な声を出して、周りを見ている。俺とアレスは、丸い透明な玉――簡単に言うとでっかいシャボン玉――の中にいた。
「何? これ」
「魔法」
「そりゃあそうだろうなってことはわかるけど……」
「これなら泳がなくても水の中に入れるから。……行くぞ」
 ふわりと浮いて、俺とアレスは水の中に入っていく。
「うわあ」
 アレスが感嘆の声を上げた。湖の中は、考えていたよりずっと澄んでいてきれいだった。小さな魚も、何匹かいる。俺はその湖の底に、何か光るものを見た。
「アレス、下まで降りるぞ」
「え? ひゃっ!」
 アレスが小さな悲鳴を上げた。まあ、急に落下速度を上げたんだから驚くなって言う方が無理かもしれないけど。
「……あれ」
 アレスがぽつりとつぶやいた。
 足元に広がるのは、『ホープ・フラワー』の群れだった。それの花びらが、わずかに差し込む日光を反射して湖底を明るく照らしている。
「あったな、『ホープ・フラワー』!」



 『ホープ・フラワー』を一輪だけ採って地上に戻ると、そこにはコウが待っていた。
 コウのほうはやっぱり長期戦になってしまったらしく、コウはあのネルファーの弟――モートとかいうのにやられて、夢石が少しかけていた。でも別にたいしたことはないみたいで、俺と同じで魔力を使い切ってしまって帰りに飛ぶほどの力は残っていないらしかった。
 そんなわけで、俺たちはこの森から町まで三時間かけて歩いて帰ったわけだ。まあ、本来なら二時間もあれば帰り着くんだろうけどさ。……しょうがねえだろう? 俺もコウも疲れてるんだから。だから、俺たちが町に帰りついたのはもう夕方になってからだった。家に帰ると姉貴が待ってて、急に抱きしめられた。何かよくわかんねえけど、凄く心配かけたんだなって思ったよ。
 アレスはその夜『ホープ・フラワー』を煎じて飲んだ。何か凄かったぞ、あれ。煮出した汁が光を反射して光ってた。……飲むのって勇気いるよなあ。
 その日はもうそれだけで、俺もコウも……それにアレスも疲れていたからすぐに寝た。夢にあのオバサンが出てこないか、少しひやひやしたけどさ。
 次の日は、起きたら昼だった。俺もコウもアレスもほとんど同じ時間に起きて、三人で一緒に姉貴に怒鳴られた。それから三人で遅すぎる朝食――もとい昼食をとった。そしてアレスは帰っていった。その時のコウの顔が優しく微笑んでいたことを俺は覚えている。多分、嬉しかったんだ。アレスが本当に元気になって帰っていったから。……あいつはさ、重ねてたんだよ。アレスと昔の自分を。
 そして俺たちの日常は、アレスの来る前の――三日前に戻った。


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