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*第二話 残り二日の選択 〜Kou〜*
今から八年前――
「ようこそ。我々の世界へ」
その言葉が、始まりだった。
「ほんっとうに、悪い!」
ディアンが両の手をぱんっと合わせ、頭を下げた。どうやら、先ほどの件――あのお茶のことだろう? おそらく――の謝罪らしい。別に私に被害が及んだわけではないので、はっきり言ってそんな事はどうでもいい。
「そんなことより」
ディアンの謝罪をさらっと流す。ディアンには少し、申し訳ないが……。
「……そんなに女顔か? 私は」
こんなことこそ、ディアンにはどうでもいい質問であることはわかっている。それでも私は、聞けずにはおれなかった。
ディアンが頭を少しだけ上げ、上目遣いで言った。つぶやくように、小さな声で。
「……うん」
「そうか」
予測できなかった答えではない。いやむしろ、この答えしか存在しない。……そのことは、わかっていたはずだ。
私が黙っていると、ディアンが困った笑いを顔に浮かべて言った。
「まあ……なんてゆーかさ、気にすることじゃねえよ。うん」
「わかっている」
――とは言ったものの、やはり気になる。昔から、女だと思われることは少なからずあった。でもそれも、年が経てばどうにかなるだろうと思っていたのだが……。結果はその逆。年が経つにつれて、なぜだか女だと間違えられることが多くなった。二カ月ほど前の仕事の時だって、客人の少女――確か年は5、6歳――に女だと思われた。本当のことを言ってショックを与えてはいけないので、そのことは言わなかったのだが……。その時は髪を垂らしていたので仕方がないと半分あきらめていたが、今度はその反省を生かして髪を束ねてみた。
その結果が、これか。
どうやら私は、生涯どんな格好をしても女に間違えられる運命らしい。
そんなことはともかく、
「始めるか」
その言葉に、ディアンの目から無邪気な色が消えた。
ここに来て九日が過ぎた。
「こー、あそぼっ!」
まだあまり活舌の良くない声が、後ろから聞こえた。振り向くとそこには、この間六歳になったばかりの少年がいる。もう、見慣れた顔だった。どうやら私はこの少年に気に入られたらしく、ここに来たはじめの日からずっと私のあとをついて回っている。名前は、確かディアン。私の世話になっている家の子供だ。
「こー、きょーはなにしてあそぶ?」
「そうだな、何をしようか」
昨日は町の子供たちとかくれんぼをしたし、その前はみんなで鬼ごっこをした。他にも色々と遊びはあるが、さて、今日は何をしよう?
私が何をしようかと迷っていると、不意にディアンが言った。
「こーのかみ、きれいだ」
「え?」
「こーのかみ、おれはすきだ! なんかきらきらひかってて、すっげーきれー!」
ディアンが、眼を輝かせて言う。彼の言っているのは、この髪のことだろうか?
「……そんなに好きか?」
私は少し屈んで、ディアンに目線を合わせて言う。
「うん! こーのかみもすきだけど、めもすきだ! どーやったらそんなにきれいないろになるんだ?」
ディアンの眼は、嘘を言っている眼ではなかった。誰かに言わされて言っている眼ではなかった。本心で、私の髪と眼が好きだと言ってくれた。
嬉しかった。
理由は簡単なことだ。この髪と眼が、私の世界では――少なくとも私の住んでいた国では――嫌われていたから。――正確に言うと、私の世界では紫の色は欲望の象徴とされ、悪魔が宿ると言われているから。私の髪と眼はそこまで紫色ではないものの、確実にそれを含んでいる色だった。
この髪と眼の色のせいで、今まで幾度となくけなされた。それを今ディアンは、好きだと言ってくれた。本当に、嬉しい。
「こー、きょーはなにするの?」
「そうだな……」
……ずっと、ここに居たい。
「で、どーするよ?」
ディアンがテーブルに頬杖をついて言う。
「あと二日。アレスが今後も楽しく生きられる方法」
ディアンが私に意見を求めてくる。実際、案がないわけでもなかった。……しかしそれは、最後の最後に出すべきもので、今出すものではない。少なくとも私はそう思う。ディアンも、そう思っているはずだ。
「アレスは、今日一日楽しそうだった。明日も、今のままでいいんじゃないか?」
「……本当に、そう思ってる?」
ずい、とディアンが顔を覗き込んでくる。どうしたのだろう。いつもはこんなことはしないのに。
ディアンのいつもとは少し違う真剣な色を含んだ赤い眼と私の眼が合って、私はごくりとつばを飲み込んだ。どうやら私は、この眼に嘘はつけないようだ。
本当は、このままでいいなんて思っていない。
「本当はどう思ってんのさ」
ディアンが聞いてくる。……見当はついているだろうに。
私は数秒して、口を開いた。
「このままでいいとは、思っていない」
ディアンが、そう言うと思ったとでも言いたげに微笑んで、体の位置を元に戻した。
「じゃあ、これからどうしたいんだ?」
「その前に、一つ聞きたい」
私はディアンの問いかけを完全無視――とは少し違う気もするが――して言った。私の考えを言う前に、ディアンに聞いておかなければならないことがある。……私の考えは、重すぎる。
「お前は、後二日、どうすべきだと思う?」
「俺か? 俺は、明日もこの調子でいいと思ってる。……で、コウはどうなんだよ。このままじゃいけないって思ってるんだろ?」
私は数秒間眼を閉じた。この言葉を言うには、それなりに覚悟が必要だ。
私はゆっくりと眼を開くと、言った。
「私は、このままでいいとは思っていない。……あそこに行く」
「……っちょ、待てよ! あそこは危険すぎる!」
バンッとテーブルをたたいて、ディアンが立ち上がる。その振動で、テーブルの上にあるコーヒーのカップが揺れた。……良かった、こぼれていない。コーヒーは後始末が面倒だ。服に付くと、しみになって取れない。
「……なんだよ、予想通りみたいな顔しやがって」
「予想通りだからな」
確かにディアンの反応は予想通りのものだったのだが、それを顔に出した覚えはない。何故かディアンには、私の考えていることが――全てではないらしいが――わかるらしい。ディアン曰く、眼を見ればわかる。
「……で、何であそこに行く必要があるんだ? 俺は、何もそこまでする必要はないと思う」
先ほどので熱が冷めたのか、イスに座りなおし、ディアンが息を吐きながらゆっくりと言った。
私は、テーブルに両肘をつき、その手を口の前で組み合わせた。
「アレスは、自分は昔から病弱で、この前医者に治る見込みは無いと言われ、それから母親の過保護が以前より酷くなり、家から一歩も外に出してもらえない――ほぼ監禁状態になった、と言っていたな。だったら、ここでその過保護によるストレスを解消したところで、あちらに帰っても同じことの繰り返しなんじゃないか? ……アレスの病気が、完全に治るわけではない」
「そりゃあそうだけど、今さら何言ってんの?」
ディアンが、鋭い口調で言う。
「今までだってそうだっただろ? この前の子だって、ここじゃあ元気にしてたけど、むこうじゃあ何も変わってない。きっと今も永遠に還ってこない自分の本当の足のことを嘆いているし、そのことをまた自分ひとりで抱え込んでるんだ。アレスだけを特別扱いするわけにはいかないだろう? 第一、いくら俺たちが頑張ったところで俺たちは魂に干渉することはできても体には干渉できない。病気を治すなんて、無理なんだ」
ディアンの言うことはわかる。アレスだけを特別扱いするわけにはいかない。それに私たちは、言ってみれば心の医者だ。体に干渉はできない。……そんなことは、わかっている。
それでも、
「私は、アレスに同じ思いをさせたくない」
「……おまっ」
ぽろりと口からこぼれた言葉に、ディアンが反応する。……しまった。今のは言うべきではなかった。
私は、先ほどの言葉を覆い隠すように言った。
「アレスの病気は体の病気ではない」
「? それ、どういうことだよ?」
「勝手な推測だ」
「いいから」
「……アレスは昔から病弱で、その頃から母親は過保護だったのだろう? だったらその頃のストレスが少しずつ積もっていって、病気のような形で現れたのではないか? それなら、アレスが病弱ということは変えられないが、その病気を治すことは可能なんじゃないか?」
言い終わってから、今の言葉がディアンに問いかける形になってしまっていたことに気がついた。今の推測にはそれなりに自信があったはずなのに、我ながら情けない。
「まあ、そう言われてみればそうかもしれないが……だからと言って、あそこへ行くのは危険すぎる」
「でも、あそこに行かなければアレスの病気は治らない。……強制はしないさ。行く行かないを決めるのは、アレス自身だ」
「……わかった。ま、アレスが元気になるのを手助けするのが俺たちの仕事だしな」
ディアンの顔に笑みが浮かぶ。それにつられて、私の顔も少しほころんだ。
「それじゃ、今日の会議はここまで。おやすみ」
「ああ」
夜ふと目が覚めて廊下を歩いていたら、不意に声が聞こえてきた。
ディアンのものだ。……しかし、こんな時間に何を?
私は気になって、その声のする部屋の前で立ち止まった。無用心にも、ドアが少し開いている。おそらくディアンはここに呼ばれて、その時きちんとドアを閉めなかったのだろう。……まったく。開けたらちゃんと閉めるように、いつも言っているのに。
私はその部屋から聞こえてくる会話に、耳を傾けた。
「いーいディアン。お母さんたちは意地悪を言っているんじゃないの。これはコウのためよ」
「でも……でもぉ」
「ディアン、お父さんたちの仕事はコウを元気にすることだ。ディアンのおかげもあって、コウはもうとっても元気じゃないか。だから、な?」
「でも、やだぁ」
「ディアン、これはしょうがないことなの」
「ディアン一人のわがままでどうにかできるようなことじゃないんだ」
「でも……こーがいなくなるの、やだぁっ!」
「ディアン、待ちなさい!」
ディアンの泣き声のようなものが聞こえて、次にはディアンの母親の声が部屋に響く。
「あ……」
「こー……」
次の瞬間には、部屋を飛び出してきたディアンと私の目が合った。ディアンはドアノブに手をかけたまま、その形で固まっている。
私がここにいて今の話を聞いていたことは、誰も予想していなかったようだ。ディアンの両親も、その場で私に視線を向けたまま固まっている。
「……コウ」
「何の話をしていたんですか?」
どうにかして絞り出したようなディアンの父親の言葉に覆いかぶせるように、私は言った。その言葉に、二人は顔を曇らせる。ディアンが急に、こらえていたものが噴き出したかのように泣き出した。
「こー、こーっ! やだよ、いなくならないでー!」
ディアンが、私にしがみついてきた。その手の力は凄まじく、体は小刻みに震えている。
……いなくなる?
ふとディアンの言葉が、頭に引っかかった。
私がディアンの頭に手を置いたまま、じっとその言葉の意味を考えていると、それに気がついたのか、ディアンの父親が言ってきた。
「コウ、言わなければならないことがある。……本当はもっと早くに言っておくべきだった。君は、もう帰らなければならない」
「え……?」
帰る。どこに? あそこに? ……自分が本当に生きているのかさえわからなくなるような、あの世界に?
……嫌だ。
それが屁理屈だということはわかっている。でも、嫌だ。あそこには帰りたくない。帰ったら、またあの日々が戻ってくる。この世界で起こったことが、全て夢になってしまう……。
――ディアンが、いなくなる……。
「どうしても、帰らなければいけないのですか?」
「ああ。いくらここの居心地が良くとも、君が本当に生きるべきはあちらの世界だ」
「でも、」
「君は、少々ここに長居しすぎたな。こちらが君を連れてきていてなんだが、君には早急に帰ってもらわなければならない」
「…………」
返す言葉が無かった。ディアンの父親の言っていることは、正しい。どんなにあがこうとも、私はこの世界の人間にはなれない。ディアンもどんなことをしようが、この夢の世界からは出られない。
すぐに別れが来ることは、わかっていたはずだった。
だったら、どうして私はディアンとこんなにも親しくしてしまったのだろう? どうせなら、ずっとアカの他人のままでよかった。そうすれば、こんなに苦しい思いを互いがせずにすんだ。……しかし現実には、ディアンは私のすぐ傍にいる。今も、私に帰らないでくれともはや聞き取れないような声で言いながら泣いている。その現実を、変えることはできない。私がすぐに帰らなければならないという事実も、変えることはできない。
……でもこんな別れは、あまりにも突然すぎる……!
「あと一日……」
「なんだ?」
「あと一日だけ、時間を下さい。……ディアンとは、納得のいく別れ方をしたい」
ややあって、ディアンの父親が口を開いた。
「……わかった」
「あなた!」
突然、先ほどまでディアンの父親の後ろからじっとこのやり取りを見ていたディアンの母親が、言葉を発した。ディアンの父親はそちらをちらりと見ると、小さく「わかっている」とつぶやいた。
こちらに顔を戻して、言う。
「コウ、あと一日だけ時間をやる。但し、それ以上の延長は認めない。一秒でも、だ。その間に、ディアンとけりをつけろ」
「ありがとうございます!」
私はそうなかば叫んだように言うと、腰を落としてディアンと目線を合わせた。
「ディアン、もう泣かないでいい」
「ひっく……こー?」
ディアンが泣くのを止めて、こちらを見た。私は、笑って言う。できるだけ、笑顔で。ディアンにこれ以上、心配をかけないように。
「私は、ここにいる」
別れが『今』から『明日』になったことは、明日言えばいい。そう、思っていた。
「おはよう、ディアン、コウ」
朝起きて、アレスの私たちに言った第一声がそれだった。
アレスの様子は、昨日とは少し違った。声が少し高くなり、昨日は多少ぎこちなかった笑顔が自然な笑顔へと変わっている。どうやらもうこの世界にも馴染んだようで、表に多少出つつあった疲れは今は一つも見えない。
よかった……。そう思うと、何故か顔がほころぶ。ディアンも確か言っていた。今日のお前は笑いすぎる、と。正直、私もそう思う。でも、なぜそうなってしまうのかはよくわからない。
ディアンが、朝食を食べているアレスに話しかけた。
「なあ、アレス。話があるんだけど、聞いてくれる?」
「はなひ?」
「……いや、その……無理に話そうとしなくていいから。アレスは、今から俺の言う事よく聞いて」
フォークを銜えたまま答えてきたアレスに、ディアンが困る。何と言ったらいいのかわからずにあたふたと辺りを見回しながらようやく出したディアンの言葉に、アレスは黙ってうなずいた。……このままだと、時間がかかりそうだ。やはり、まだ同じ年頃の少女の扱いに慣れていないディアンにこの役目は不向きだったか。それでも、仕方がない。私の説明では、どうもアレスはわからないらしい。ここはディアンに任せるしかない。ディアン、これも勉強だ。
「あのな、アレスは後二日――今日と明日しかここにいられないことはわかってるよな?」
ディアンがそう言うと、アレスはパンをかじりながらこくんとうなずく。それと同時、パン屑が床に落ちた。……ああ、頼むからパン屑を床にこぼさないでくれ。アレを気づかずに踏むと大変なんだ。
私はすぐにあそこに箒を持って行きたい衝動を必死に抑え、ディアンとアルジェと私の三人分の食器(アレスが起きるのが遅かったので私たちは先に食べた。これでもいつもの朝食の時間よりも二時間遅らせたのだ。ついでに言ってしまうと、アレスが起きてきたのはそれからさらに1時間後だ)を洗いながら二人の様子を見守る。アルジェはいない。彼女は、今日はデートだからと言って今は部屋でその準備をしている。あれから約一時間……女は仕度――特に化粧――が長いというのは本当らしい。
ディアンが、例の話を始めた。
「アレス。俺はややっこしいコウみたいな説明ははっきり言ってできないから、面倒くさいようなことは全部省いて、単刀直入に言うぞ。いいな?」
アレスがうなずく。……そうか、やはり私の説明はややっこしくてわかりにくいのか。ディアン、まさかお前までそう思っているとは思わなかったよ。
「アレス、お前の病気は治らない」
ディアン、いくらなんでもいきなりそれは刺激が強すぎではないか?
ディアンのその言葉を聞いてアレスはしばらく固まっていたが、手に持っていたパンを皿に置くと、少し寂しげな笑みを浮かべてディアンを見た。
「やっぱり、そうなんだ」
「……え?」
「だから……やっぱり、いくらなんでも病気は治らないよなあってこと」
「わかってたんだ」
「うん。昨日寝る前にね、ふと思ったの。いくらここで心が元気になるって言っても、所詮私の問題は体の問題。むこうに帰ったら、ディアンやコウと会ったこととか、昨日カレーを作ってディアンがおいしいって言ってくれたこととか、全部消えちゃう……ただの夢になっちゃうんだろうなって。いくらここで起こったことが、現実だとしてもさ」
アレスは、気づいていた。勘の鋭い者ならばすぐに気づくであろう、このことに。そして気づかなければ、辛い思いを増やさずに済んだこのことに。そして私が最後の最後にようやく気づいた、このことに。
でもアレスは、このことに気づき絶望した者たちとは違う。
道が、ある。
「まだ早いよ」
「……何が? だって、」
「まだ、あきらめるのは、早いよ」
「……でもぉ」
「治るから」
ディアンが、ゆっくりとアレスの目を見つめながら言う。アレスの目は、今にも溢れそうな涙でいっぱいだった。
「アレスの病気は、治るから」
「……え? だってさっき、治らないって……」
「あれは、このまま後二日、何もしないで過ごしたらってこと」
「本当に、治るの?」
「治るよ。……まあ、詳しいことは後で説明するけど」
ディアンのその言葉を聞いて、アレスの顔がくしゃっとゆがんだ。目から、枯れることを知らないような勢いで涙が流れ出す。アレスは、顔を両手で覆ったまま震えた声で言った。
「……ばか。ばかばかばか、ばかぁ! 私ってば、昨日そのことが気になってなかなか寝られなかったんだからぁ! そういうことは、早めに言ってよね!」
「……悪かったな。なんか、すんごく心配させちまったみたいで」
「ううん、いいよ。ありがとう」
言いながら、アレスは袖で涙をぬぐった。
「で、どうすればいいわけ?」
「へ?」
一刹那前に大泣きをしていた者とは思えないようなきっぱりとした口調で、アレスが言った。頬には、もう涙の跡も無い。泣いていた証拠となりそうなものは、少々充血した目とぬぐった涙で濡れているその袖ぐらいだ。ディアンが妙な声を上げて固まってしまうのも、無理はない。
アレスはホットミルクの入ったカップを手に取ると、それを口に運びながら言った。先ほどまでの様子は微塵も無い。
「だから、じゃあこれからどうするの? ってこと。このまま何もしないんじゃあ、私の病気は治らないんでしょう?」
「え? ああ、まあ、そう……だな」
ディアンがアレスのあまりの変わりように気を取られて、ちゃんと言葉を喋っていない。……これでは話にならないではないか。時間があまり無いというのに。
しょうがない。
「アレス、後は私が説明する。わからないところがあれば、あとでディアンに聞いてくれ。あまり時間が無い。君の病気は、長い間の母親の過保護によるストレスからきたものだ。だから君がもともと病弱ということは変えられないが、後から上乗せされた分は取り除くことができる。ただ、それは普通のやり方ではかなり時間がかかるんだ。そうだな、早くても三ヵ月はかかる。しかしそんなにはここにいることは出来ないだろう? それでだ。ここの東にある森に、『ホープ・フラワー』という花がある。その花はあちらの世界から子供たちのきれいな夢が降ってきてできた結晶なんだ。その花を煎じて飲めば、どんな重い心の病も治ると言われている」
「じゃあ、その花を採りに行くのね!?」
アレスが、両手をぱんっと合わせてうれしそうに言った。
「そうだ。その花を採りに行く。但し」
「但し?」
「そこはとても危険だ。なんせ、天敵の本拠地だからな」
そこまで私が言うと、ディアンが再び話しに入ってきた。ようやく、アレスの変貌にも慣れたようだ。
「強制はしないさ。行く行かないを決めるのはアレス、お前自身だからな。……でも、もうそんなに時間が無い。できれば、一、二時間以内で決めてくれないか?」
「あ、うん。わかった」
今度はアレスがディアンの気迫に圧されて、しどろもどろになった。
「……ディアン」
「? どうしたの、こー? はなしがあるんでしょ?」
ディアンが私の目をじっと見つめて言う。
……言えなかった。今日、私が帰らなければならないということを、だ。ディアンはおそらく私のしようとしている話の内容がわかっているのだろうが、私に心配をさせないためなのか、いつもの無邪気な色の瞳で私を見つめている。この目を見ていると、言おうと思っていたのに言葉がのどでつまって出てこなくなる。ついつい目をそらしてしまうが、それでも言葉は出てこない。
「こー?」
「ディアン、その……」
「……こー!」
「え?」
急にディアンの声の調子が変わって、私はディアンの顔が青ざめていることに気がついた。ディアンの目は、私の目を見てはいなかった。私の――その少し上、私の頭上を見ている。
私はディアンにつられて、自分の頭上を見た。
「あ……ああ……」
ディアンの漏れたような声がわずかに耳に入る。私には、それの意味がわからなかった。
私の頭上には、一つの赤い宝石のような物が浮かんでいる。丸い、ピンポン玉ほどの大きさのものだ。それはゆっくりと私のもとに降りてきて、私の手の中にぽとりと落ちた。
それが、赤い光を放った。
「ああ、あああ……ああああああっ!」
ディアンが、顔を引きつらせて叫んだ。ここは町の外れの丘なので、辺りに人はいない。
「ディアン? どうし」
「あああああああっ!」
私が話しかけると、ディアンは顔を引きつらせたまま私に背を向けて走り出した。
「ディアン!?」
言っても、ディアンは振り向かない。ただ、叫びながら町の方へと走って行くだけだ。
最後に聞こえたのは、この言葉だった。
「おとーさん、おかーさん……こーがっ!!」
一時間がたって、アレスは部屋から出てきた。
「それじゃ、行こうか」
笑顔でそう言ってくる。……彼女は、危険ということの意味が本当にわかっているのだろうか? 全く見当がつかない。まさか笑顔でそんなに軽々しく言ってくるものだとは思っていなかった。
「本当に、いいのか?」
念のために確認する。もしここで一秒でも迷うような素振りを見せるものならば、やめたほうが良い。
「うん。だって、行かなきゃ何も変わらないじゃない」
即答。……なかなか、肝の据わったお嬢さんだ。
アレスのその言葉を聞いて、ディアンが自分の部屋から巨大な剣を持ち出してきた。アレスがそれを見て、目を丸くする。
「え、剣?」
「あれ、見たことない? 向こうの世界じゃ使わないの?」
「昔は使ってたみたいだけれど、今はもうほとんど使わないわよ。……え、そんなに物騒なの?」
「だから危険だって言ったじゃない。それとも、行くのやめる?」
ディアンが笑いを含んだ調子でアレスに言う。アレスはその言葉を聞いているのかいないのか、ディアンの剣をまじまじと見ていた。本当に、はじめて見るらしい。黄色い柄に、銀色の刃。その全長は……はっきり言って大きすぎる。ディアンの身長がだいたい一六〇センチだとすれば、剣の全長は一五〇センチほどもある。身長とほぼ同じ長さの長剣……抜刀しにくいうえに、扱いずらい。でもディアンは、これをいとも簡単に操ってしまう。これを使っているディアンをあまり見ることはないが、たまに見たときは恐ろしくなる時がほとんどだ。
アレスが先ほどのディアンの言葉にようやく気がついたのか、ふと顔を上げた。
「え? ああ、やめないわよもちろん。だって、危なくなったら護ってくれるでしょう?」
「んあ、まあ、な」
ディアンは曖昧につぶやく。
私は壁に掛けてある時計を見上げた。……もう、昼近くをまわっている。森までは飛んでいけば三〇分ほどだとしても、問題はそれからだ。あいつらのことも気にかかるが、それより何より花のある場所がはっきりとわからない。いつも夢(ひかり)が降っているのはだいたい森の中心辺りだが、森は広い。中心辺りと一言で言ってどうにかなるものではない。
「もう出るぞ。時間が無い」
「え、もうそんな時間? アレス、行くぞ」
私が始めに家を出て、その後をアレスの手を引いたディアンが出てくる。剣は、いつの間に用意していたのか皮製の鞘に納めて肩から提げていた。
私はドアに鍵を掛けると、その鍵をポストの中に入れた。こうでもしておかないと、アルジェが帰ってきた時彼女が家に入れなくなる。そうなれば、愚痴を散々言われるのは私だ。ディアンはいくら言っても何も聞かないから、その矛先は自然と私に向かってくる。ポストの中には少し仕掛けがあって、ちょうどぱっと見ではわからない角度でもう一つの扉がついている。簡単に言ってしまえば隠し扉がついているというわけだ。
「行くぞ、コウ」
「ああ」
「え? 何? 何?」
私とディアンが急にアレスの手を握ったので、アレスが慌てる。とりあえず誤解を招かないために言っておくが、これは決してセクハラではない。
「うひゃあっ!」
「何だよ?」
アレスが急に驚いたのに、ディアンが半眼で言い返した。まあ、ディアンが半眼で返したくなるのもわからなくはない。……アレスはあからさまに、私たちを見て怖がっていた。まあ、しょうがないものかもしれない。
「だ、だって、羽……」
「羽があって悪いか? 俺たちは妖精だぞ」
「でも、いつもは……」
「いつも羽出しててたまるかよ。思いっ切り日常生活に邪魔だぞ!?」
「まあ、そうなんだけれど……」
アレスがどこを見ていいのかわからず、下を向く。あちらには妖精という生き物がいないのだから、仕方のないことだ。
「ほら、行くぞ」
「え……うきゃあっ!」
「何だよもー。いちいちうるさいやつだな」
「だ、だって……」
アレスが瞬間つむった目を開き、下を見る。
足が地面に、ついていなかった。
「飛んでる……」
「当たり前だろー? 羽があるのに飛べなかったら意味ねえじゃんかー」
いい加減疲れてきたのか、ディアンが投げやりに答える。
私たちは、空を飛んでいた。
別にこれと言って驚くようなことではない。第一、ディアンの言う通り羽があるのに飛べなかったらそれはただの飾りにしかならない。しかも日常生活では邪魔になるだけで他に使いようがない。そうなってしまっては最悪だ。
私とディアンとでアレスをはさむ形で、私たちは東に向かって飛んだ。
そして二〇分ほどしてか、地平線上に深い森が見えてきた。
あの森だ。
「見えたぜ」
ディアンがつぶやく。その顔は、ほんの少しだが引きつっていた。それはこれから起こるであろうことへの恐怖からなのか、それともはじめて行くあの森への好奇心からなのかはっきり私にはわからないが、おそらく後者だと思う。ディアンは昔から、あの森に行ってみたいと言っては大人たちに止められていた。……それほど危険なのだ。あそこは。大の大人が踏み込んでも、運が悪いと一人として戻ってこないことがある。だから滅多なことでもない限り、あそこには誰も近づかない。
私たちは今、そこに向かっている。
「あそこは、別名『バクの森』っていうんだ」
いつもより少し弾んだ声でディアンが言う。……やはり、少々興奮している。
「バク……って、あの夢を食べる?」
アレスが言うと、ディアンは笑った顔のままうなずいた。
「そ。ちなみにあいつらの大好物は俺たちドリーマー」
「……ええっ!?」
アレスが驚きの声を上げる。……まあ、無理もないことかもしれないが。
「ちょっ、それってかなりやばくない?」
「だから、コウが『天敵の本拠地』って言ってただろ?」
「あれ、そういう意味だったの……?」
「じゃあ何だと思ってたんだよ?」
「……単なる冗談かと」
「私は冗談は言わない」
「…………」
アレスが黙った。ディアンが、アレスの顔を覗き込むように体を斜めに傾ける。……コラ、そんなことをしたらバランスをとるのが大変なんだぞ。
「何だよ。怖気づいた?」
「ふっ。そんなはずないでしょう? 私は行くと決めたら行く人なのよ! だいたい、あなたたちもこうなること覚悟で私にこの話をふったんでしょう?」
「まあ、そうだけど……。俺、だんだんあんたのキャラが崩れてきた。はじめはあんなにおとなしかったのに」
「しょうがないじゃない。はじめは人とどういう風に接していいかわからなかったんだもの。……それとも、これじゃ駄目なの?」
そのアレスの返答に、ディアンがふっと笑いをふき出した。
「いいや。いいよそれでも。……ほら、そろそろ下に降りるぞ」
わけがわからなかった。一体、何が起こったんだ? ディアンは、なぜあんなに怯えていたんだ?
その答えは、すぐに出た。
あの後私は一人になって、どうしていいかわからずにその場に立ち尽くしていたが、すぐにディアンの後を追って町へ向かった。だいたいの見当はつく。ディアンはああ言っていた。きっと向かったのは家だ。
私は一人、そんなに急ぐこともなく町へ下りた。……なんだろう? 町の人たちの私を見る目が、何だかいつもと違う。その視線は冷たい……いや、違う。これは、哀れみ? なぜそんな目で私を見る? わからない……。
私はそのまま、家へ向かった。……向こうから、走ってくる人影がある。あれは、ディアンの両親? それにその後ろに、ディアンもいる。
三人は私の姿を見ると、その場で足を止めた。私は、三人に近づいていく。そして三人の顔がはっきりと見える距離まで来て、私は気がついた。
――泣いていた。
ディアンの母親は片手で口を押さえ嗚咽をこらえるように泣いていて、ディアンの父親は歯を食いしばって泣いている。その肩は、小刻みに震えていた。そしてディアンは、二人の後ろで黙って私を見つめたまま泣いていた。もう、恐れに似たあの表情はどこにもない。
なぜあの人たちは、泣いているんだ?
三人の傍まで行ってなぜ泣いているのかと聞くと、ディアンの父親ががしっと私の肩をつかんできて、ただ「すまない」と言った。……それを、連呼した。
家に戻って、詳しく話を聞いた。ディアンの母親は泣くばかりで何も喋れなくなっていたので、ディアンの父親に話しを聞いた。
私は、死んだらしい。
死んで、天にも昇れなくなって、ドリーマーになったらしい。
ここに長く、居すぎたのだそうだ。
……しょうがないことだなと思った。昨日帰っていれば、こんなことにはならなかったのだから。
私が悪い。……なのにこの人たちは、私のことを泣いてくれている。余計なお世話だという思いと、少し嬉しい思いとが入り混じって、複雑な気持ちだった。
でも私は、何だか全てがふっ切れていた。
だって、もう何も考えなくていい。むこうの世界のことなんて、忘れてしまってかまわない。
これからはずっと、ここに居られる。
ディアンとずっと、一緒に居られる。
森に少し入ったところで、私たちは地面に降りた。あまり長く森の上空を飛んでいたりすると、バクたちに感づかれる。……まあ、ここから花のあるところまで歩いていかなければならないので、あまり関係ないような気もするが。
時刻はまだ昼を過ぎて間もないというのに、この森は生い茂る木々が日光をさえぎるせいで、妙に暗い。今でさえこんな状態なのだから、おそらく夕方にはもう光は一つも差すまい。
「ディアン、早めに切り上げるぞ」
「わかってる」
ディアンが小声でうなずく。少なからず、先ほどとは違う理由で緊張してきているようだった。少しずつ、好奇心と恐怖のバロメーターの大きさが入れ替わってくる。
「きゃっ!」
「んなっ!?」
ディアンとアレスが、ほぼ同時に声を上げる。二人の間――顔のすぐ横――を、何かが通り抜けていったのだ。何がかはわからないが、事態が悪化したことに変わりはない。
目の前の茂みから、人影が姿を現した。……二人や三人などという、可愛らしいものではない。十、二十……どれほどいるのか、見当もつかない。
「ちっ」
ディアンが舌打ちした。まさかこんなに早くやって来るものだとは思わなかった。しかも、こんな数で……。
バクの大群が、私たちの目の前に現れた。
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Photo by Natuyumeiro