← 七章   九章 →



   八章 現在いま -solkf- T


 そこは薄暗く、そして広い。
 明かりは自分のすぐ傍――だが、足を伸ばしても届きそうにない――のコンテナの上に、小さなランプが一つあるだけである。油の焦げる匂いが、微かに鼻をつく。
 そこは、倉庫のようだった。薬で眠らされて連れて来られたので、場所はわからない。だが、まさかあの――自分がソルフと何者かの戦闘を盗み見ていた、あの――倉庫群の中のどれか、などということはないだろう。あそこの倉庫はまだ使われている。自分はここに三日……少なくとも二日はいるが、新たに人がやって来る気配はなかった。外での作業の音もない。
(廃倉庫……ってことは、多分イーグレーンからは出てないわね。薬でそう何日も眠り続けるなんてことないもの。……まあ、何度も嗅がされてなければ、だけれど)
 胸中でぼやき、ふと上を見上げる。
 もうすでにわかっていたことだが、やはり天井近くにある多くの明かり取りの窓は全て板で塞がれている。そうまで徹底的に塞ぐ必要があるのかと訝るほどに、そこから光は一筋も漏れてこない。
 故に、時間は全くわからない。
「……はあ」
 全く、と胸中で付け足し、彼女は嘆息した。
 手は後ろ手に縛られ、体はイスに縛り付けられている。体を縛るロープがそれほどきつくないのは、不幸中の幸いか、それとも縛った相手のせめてもの情けか。だがだからと言って、簡単に抜けられるようなものではない。そういうところは、やはりプロということか。
(大体、何で私がこんな目に遭わなくちゃいけないのよ!)
 何度目になるかもわからない――初めは暇つぶしのつもりで数えていたが、飽きたので止めた――叫びを、傍のランプを睨みつけて怨念ともとれるようなものと共に降りかける。
 だがやはりと言うか、ランプが答えるはずもない。……まあ、だからこそ愚痴を吐くにはちょうどいいのだろうが。
(全部あいつのせいよ、あいつの! だってこいつら皆あいつを狙って来たんでしょう? なのに何で私が巻き込まれなきゃいけないの!?)
 おそらく、今の自分は物凄い――例えば子供がこれを見た瞬間に大声を上げて泣いて逃げて行くような――形相をしているだろう……等という事を考える余裕もないのか、あるいはそんなことは承知の上か、ランプよ割れろとでも言うように、彼女はただ睨み続ける。
 不意に、
「?」
 ぽん、と頭に手が乗った。それはまるで泣きそうな子供をあやすように、軽く頭を叩くように撫でてくる。
「まあまあ。そんな怖い顔しないで」
「…………」
 彼女――リオ・ガリシアは、自分の後ろにいるその手の主を、ランプに替わって睨みつけた。
 リオにしてみれば、とうに見慣れた顔である。
 背は一九〇弱の長身。だがだからと言って痩せているわけではなく、体つきはかなりしっかりしている。年齢は、二十代半ばと言ったところか。
 黒の短髪に黒瞳――それを除けば、リオの知っているある男とかなりシルエットの重なる……そんな感じの男である。
 名は確か、トレドといったか。
 彼はリオの頭から手を離すと、リオの正面に回り座り込んだ。リオの顔を斜め下から見上げながら、その酒気でも帯びているかのような陽気な声で――だが目だけは鋭い光を放ち――、言う。
「吐く気になった?」
「何を?」
 リオは高ぶっていた気持ちを静め、言う。その顔つきは、普段のリオとは少々違っていた。
 余分な感情を排除した、だが無表情とまではいかない表情。
 この顔を知っているのは、そう多くはないはずだった。先日の喫茶店のマスターも、それに含まれる。
 ……だが今は、そんなことは関係ない。
 トレドはリオの突き刺すような視線を受けながらも、調子を変えることなく続けた。
「今更何言ってんの。アカツキのことに決まってるでしょ?」
 その視線の鋭さに気づかないような鈍感な男には見えない。故にそれには気づいているはずなのだが、トレドの言葉には全く歪みがなかった。
 それどころか、親しみやすい笑みまで浮かべてくる。
 リオはその笑みに、ぴくりと頬を引きつらせた。……心の中で。
「知らないわよ。彼に関しては、何も」
 はっきりとした口調で、もう何度も口にしている言葉を再び口にする。
「…………」
 トレドは何も言ってこない。ただ変わらずに、リオを見ている。
 リオが気づいてから二十回近く行われているこの詰問にもいい加減に飽きてきたところではあったのだが、だがだからと言って、リオは繰り返さずにはいられなかった。
 再び、
「何度も言わせないで。知らないものは知らないの」
「リオ・ガリシア」
「……!?」
 再び同じ言葉を口にし、また振り出しに戻るのかと思えば、今度はそうはならなかった。
 トレドの言葉にリオが言葉を詰まらせ、その顔に困惑の色を浮かべる。
(こいつは確かに、初め私に名乗ったけど……私は、名乗った覚えなんてないわよ?)
 胸中で問う。
 リオがその答えを出そうとするその間にも、トレドは台詞でも喋るようにさらさらと言葉を続ける。
「イーグレーン在住の二十二歳、女性、独身。身長一六四センチ、体重とスリーサイズは」
「ちょっとあんた何言ってんのよ、待ちなさいよ!」
 ガタン、とイスが揺れ、リオはそのまま倒れそうになるが、重心をずらしてどうにか踏み止まる。
 興奮で真っ赤になった顔で半ば息を切らしながらトレドを見ると、彼は片手を差し出したままこちらを見て硬直していた。
 その手は倒れてしまった時のリオを受け止めるためのものだったのか、トレドはニヤリと小さく笑うと、その手を引っ込めた。
 おそらくその笑みは、リオの形相に対してか。
 それを察したリオの顔が、さらに赤くなる。
(こいつ……私の反応、予測してた?)
 トレドの術中にはまった自分に腹が立ち、さらには彼に助けられそうになった――それはどうにか回避したが――自分に腹が立つ。
(ああ、もうっ!)
 胸中で叫び、後ろ手に縛られたロープを掻き切ろうと手が動くが、そんなことでこの身が自由になろうものならば、自分はとっくにここにはいない。誰が好き好んで、こんな薄暗い場所に縛られたまま座っているものか。
 イスをガタガタと揺らしながら、赤面したまま必死に無意味な行動をしているリオをじっと見ながら、トレドは呟いた。
「……じゃ、続き」
 リオには聞こえていない。気づいた様子はない。それほどに小さい呟き。
 トレドの声から、酒気が消える。
「あんたは『情報提供ギルド〈エルルーン〉』所属の情報屋だ」
 それは、先ほどの呟きとはそれほど声量の違いはなかったのだが、
「え……?」
 リオが動きを止め、トレドの顔をじっと見つめる。
 再び繰り返す必要はなかった。
 先の言葉は、リオの耳にはちゃんと届いていたのだろう。トレドの沈黙を肯定と捉え、リオの顔色が一変して青ざめていく。
「何で、それを……?」
 咽喉の奥からどうにか、その言葉だけを絞り出す。
 刹那。
「調べさせてもらったわ。この三日で」
「……!?」
 リオの背中が、一瞬びくりと強張る。
 声がしたのはすぐ後ろからだった。女の声。
(……いつ、近づいてきたの? ……気づかなかった……)
 鼓動が速くなる。
 冷や汗が出る。
 ……動けない。
 リオはギリ……、と歯を食いしばった。
 いつの間にか忘れていたのかもしれない。
 彼らは傭兵だ。それもプロの。そう聞かされてはいなかったが、そんなもの、出で立ちを見ればすぐにわかる。
 トレドが、視線をリオの奥へと移して、言った。
「そう言えばまだだっけな。そいつはアルヴィカ……まあ、今のオレのパートナーってとこか」
「……今?」
 リオが眉をしかめ、ぽつりと呟く。
 するとトレドは、それといった感情は特に浮かべず、ただ事務処理をしているような口調で言った。
「あんた確か見てただろ? アカツキとあいつが戦ってたの。……死んだんだよ。まあ、当然と言えば当然の結果だろうさ」
 その言葉に、
「彼は、アカツキじゃないわ」
 リオは、凛とした声で言った。
 彼らに対する恐怖が完全になくなったわけではない。だが、それほど怖いわけでもない。
 よくよく考えてみれば、彼らは―― 一部の奴等を除けば――仕事でもない限り殺しはしない。その仕事に関わってしまった不幸な一般人を殺すこともないわけではないが、自分は仮にも『情報提供ギルド』に所属している身である。『多国籍傭兵ギルド』との関係を考えてみれば、そう簡単に殺されるはずはない。
「もう何度も言ってるでしょう?」
 付け加える。
 リオのその言葉に、トレドは表情も変えずに言ってきた。
「何処にそう言い切れる根拠がある?」
 もう、先程までのように甘やかすつもりは無いのだろう。言葉は冷たく、無駄に広い倉庫の中に響く。
(……それが傭兵としての顔ってわけ)
 ふうん、とリオは胸中でニヤリと笑みを浮かべ言葉を漏らす。
 ソルフの――あの夜の顔と、そう似ていなくもない。彼がアカツキという名の傭兵であったことは、あながち嘘ではないのかもしれない。
 だが、それでも。
「そちらこそ、何処に彼をアカツキとする根拠があるって言うの?」
 リオは問い返す。
 トレドは、それほど間を置くこともなくそれに答えた。
「『ノルン』を……あの槍を持っていた」
「そんなもの、他にも持っている人がいるかもしれない」
「あれを持っているのは奴だけだ」
「じゃあ、どこかで拾ったのかもしれない。……どちらにしろ、彼をアカツキだとする決定打にはならないわ」
 その返答に、
「……っ!」
 トレドが一瞬息を呑み、そして立ち上がった。
 リオを見下ろす形で、語調を荒げて言う。
「だが、あの顔はアカツキだった!」
「双子かもしれない」
「あいつは五歳の時に内乱で一度全てを失っている! 奴に肉親などいない!」
「それ以前に生き別れたと言う可能性もあるわ」
「〜〜〜〜〜っ!!」
 飽くまでソルフはアカツキではないと言い張るリオに、今度はトレドが赤面する。これはリオのものとは違って、明らかに怒気であるのだが。
 不意に、
「まあ落ち着きなさいよ。トレド」
 ぽんっとリオの肩に手を置き、そう言ってきたのはアルヴィカだった。
「彼女が彼はアカツキでないとここまで言い張るのには、それなりの理由があるからでしょう?」
 そう言って、肩に手を置いたままリオの正面に回り込んでくる。
「ね? 情報屋さん」
「……そうね」
 リオが、声を落として呟く。
 声は微かに笑っているが、アルヴィカの目は全く笑ってはいなかった。睨みつけるように、リオをじっと見ている。
 アルヴィカはくすりと小さく笑うと肩から手を離し、二歩ほど後退してトレドの隣に立った。
 胸の前で腕を組み、アルヴィカは言った。
「〈スルーズ〉からすでに連絡はいっている筈よ。アカツキについての情報が入り次第、こちらにそれを渡すように、と。なのにあなたはアカツキと接触していながら、〈エルルーン〉にすら情報を提示していないそうね? ……これは、明らかな契約違反じゃない?」
「契約違反なんかじゃないわ」
 リオは二人を見上げて、微かに口元に笑みを浮かべて言った。
「私は彼がアカツキだという事を確認していないもの」
「……それは、どういうこと?」
 アルヴィカが問う。その声に、すでに笑みは含まれていない。
 リオは言った。
「不確かな情報は、決して流すな」
「……?」
「情報屋の中で言われていることよ。信用に繋がることだから」
「だから、〈スルーズ〉にはまだ何の情報も渡していないって?」
「そういうことになるわね」
「…………」
 その答えで納得したのかはわからないが、アルヴィカはリオから顔を背けた。ただ腕を握る手に力がこもり、爪が腕を覆う黒い布を引き裂こうとしている。
 トレドは――どうにか落ち着いたのか――静かにこちらを見つめている。
 少しして、呟くように口を開いた。
「……本当に、何も知らないのか? 奴からは、何も聞いていないのか?」
 その黒い瞳が、微かに曇っていたことにリオが気が付いたのかはわからないが……、
 リオは語調を少し緩めて言った。
「残念ね。……こちらから何か聞き出そうにも、出来ないのよ」
「……?」
「……彼、記憶喪失なのよ。多分、嘘じゃないわ」
「…………」
 しばし、沈黙を含んでから、
「……そうか」
 トレドは諦めたように、ため息とともに言葉を吐いた。
 刹那。
 ガゴオオオンッ。
「「な……!?」」
 声を上げたのは、無論リオ……と、トレドである。アルヴィカは、ただ無言でその音のした方を見ている。
 床に落ちていた埃などが舞い上がったためか、そこは白い煙幕に包まれていた。何も見えない。外の光が差し込んでくることも期待してはいたのだが、それがないということは、今は夜なのだろう。
 次第に煙幕は薄れ、その向こうに人影らしきものが見え始める。
 長身の、何か細長い棒のようなものを持ったシルエット……。
「ごほっごほっ」
 埃でも吸い込んだのか――その人影が、ほんの少しだけ小さくなる。
 煙幕が晴れると、そこにいたのはやはり彼だった。
 埃のためか、心なしか涙目になっているような気もするが。
 夜の闇に紛れるようなあの日と変わらない黒装束で――だがその手に握られた赤い棒だけはそれを拒むように――彼は、そこに立っている。
 声を上げたのは、リオの方が先だった。
「遅いわよ、ソルフ!」
 ガタンとイスを揺らし、出来る限り身を乗り出すようにして……怒っているような、だがどこか喜んでいるような、そんな声で叫ぶ。
「ソルフ?」
 トレドとの先の会話は聞いていたとは思うのだが――アルヴィカが、訝しげにそう聞いてくる。
 だがリオは、それはあえて無視した。またあんな不毛な問答をするのは、正直嫌だ。
「よお」
 ソルフの方はというと、それほど感動はないらしい。いや、リオの方も、それほど感動があるとは言えないのだろうが。
 ソルフは片手を上げて合図し、抑揚のない声で答える。
「久しぶり」
 その返答が癇にでも触ったのか、リオがピクリと眉を動かす。
「久しぶりじゃないわよ! あれから一体何日経ったと思ってんの!? 気づいてたんでしょう? 私がいなくなったこと!」
 ソルフは、しばらくあてもなく虚空を見上げていたが、
「あー……、三日?」
「聞いてるのはこっちよ! 大体、何ですぐ助けに来ないのよ!」
 役立たず、とでも言いたげに声を荒げるリオに、ソルフは後ろ頭を掻きながら嘆息した。
 口を開くのすら面倒くさいというような調子で、言葉を吐く。
「そんな簡単に言うなよ。ここ見つけるのに、どれだけかかったと思ってんだ」
 ガィン……と音がしたのは、蹴り倒した扉をソルフが踏んだからだろう。
 トレドとアルヴィカが傍にいるにもかかわらず、ソルフは躊躇することなくこちらへと近づいてくる。
「……アル」
 アルヴィカに対してか。トレドが、小さく呟く。但しその瞳はリオでもなくアルヴィカでもなく、ソルフだけを見つめている。
「放してやれ」
「……いいの?」
 腰のベルトに吊るしたナイフの柄に手を掛け、半ば戦闘準備の状態だったアルヴィカは、トレドの予想外の言葉に声を上げる。
 トレドはやはり、こちらを振り返ることもなく言葉を返す。
「ああ。嬢ちゃんはもう必要ない」
「…………」
 その沈黙は肯定の意か。
 アルヴィカはリオの後ろに回ると、鞘から抜いたナイフでリオを縛り付けていたロープを切った。ぱさりとロープの床に落ちる音がし、手首その他の圧迫感が消える。
(逃げてもいい、ってこと?)
 ちらりとトレドを見るが、やはり彼はこちらを見ない。おそらく自分が逃げようとどうしようと、彼は止めないだろう。今の彼の瞳には、ソルフしか映っていない。……いや、あるいは――
 ともかくリオは立ち上がり、ソルフの方へ駆け出した。トレドのすぐ隣を通ったが、思ったとおり彼は何もしてはこない。アルヴィカも、リオにはこれ以上利用価値がないと踏んだのか、他の考えがあるのか、手を出してはこなかった。
「ん」
 リオが近くまで来たところで足を止め、ソルフはポケットから何かを取り出した。こちらに差し出してくる。
「……何?」
 リオは意味がわからずに聞き、受け取るために手を差し出す。
 ソルフはその手の上に、自分の手を被せるようにしてそれを置いた。
 リオの手に、小さな石と金属の感触が伝わってくる。
 ソルフが手をのけたそこにあるのは、紫水晶のイヤリングだった。リオが三日前のあの夜、自分の身に何かがあったことを知らせるために落としたものである。
 リオはしばらくそれを見つめ……、
「何でここ、微妙に欠けてたりするの?」
 八面体に綺麗にカットされた小さな紫水晶の、その一部を指で指し示す。
 確かにそこは――その角は、欠けていた。だがそうは言っても、注意して見なければわからないほどの小さな欠落である。
 ソルフは、それほど悪びれる様子もなく言った。
「いや、ちょっと踏んで」
「踏んだぁ!?」
 リオが信じられないと言うような面持ちで声を上げる。既にトレドとアルヴィカは眼中にない。
「何で踏むのよ馬鹿じゃないの?」
「……いや、でもお蔭で気づいたっていうか」
「あれくらいすぐ見つけられるでしょう?」
「あの灯りのないところでどうやって見つけろって言うんだ。あんたは」
「それ、あそこで物凄い戦いしてた人の言うことじゃないわよ」
「来るなって言ったのに来たのかあんた」
「今更何言ってるのよ。だからあそこにこれがあったんでしょう?」
「まあそうだが。でも」
「あー……」
 突然、リオでもソルフでもない声が会話に割り込んだ。
 男の声。
 ソルフは視線を上げ、リオはそちらを振り返る。
 声の主は言わずもがな、トレドである。
 トレドが――二人の会話に割り込むタイミングを見計らっていたのだろうが――少々ばつが悪そうに後ろ頭を掻きながら言う。
「邪魔して悪いんだが……。久しぶりだな、アカツキ」
「オレはアカツキじゃな」
「わかってる。ソルフ、だろ?」
 まるで条件反射のように瞬時に否定したソルフに、トレドは言葉を被せるように言った。
「お前がアカツキじゃないっていうのはよくわかった」
 多少落胆にも似たものを含んだような口調で、トレドが付け足す。
「トレド!?」
 まさか相棒から聞くとは思っていなかった言葉に、アルヴィカが驚きと疑問の入り混じった声を上げる。
 身を乗り出しかけていたアルヴィカに、トレドは片手を上げてそこに留まるように示す。
 トレドは手を下ろすと、伏し目がちに言ってきた。
「……アカツキじゃねえんだ。あいつは。アカツキである筈がねえ」
 トレドは、リオとソルフとを交互に見ながら言う。
「あいつが……アカツキが、そんなに楽しそうに、会話出来る筈がねえんだよ」
 その言葉に、リオとソルフは互いに顔を見合わせる。
「「……楽しそうだった?」」
 当人たちにそんな自覚は全くなかったのだろう。わけがわからないと言うような顔で、同時に疑問の声を発する。
 それに答えるように言ったのは、やはりトレドだった。
「ああ。オレの知ってるあいつじゃあ、考えられないくらいにな。ったくあいつは……オレはともかく、ティレニアと話してる時ですら、能面みたいな顔しやがって」
 後半は愚痴だろう。気に留めるほどのことではない。
 が。
(ティレニア……)
 三日前、あの男が言った名前。
 そして今、トレドが言った名前。
 トレドの話したことの内容は、正直どうでも良い。ただその名前だけが、妙に気にかかる。
 おそらくは彼らの言うアカツキと、近しい関係の人物なのだろうが……。
 トレドはかまわずに、話を続ける。
「だからお前は、アカツキじゃねえんだ。……少なくとも、オレたち〈スルーズ〉の人間が知ってるアカツキじゃあ、な」
 その言葉の意味するものは何か。
 はっきりとは断定できないまでも、ソルフの赤い棒――今はその先端には薄汚れた布が巻かれている――を握る手に、無意識に力がこもる。
「お前が記憶喪失だっていうのは認める。だがな」
 そこに挟まれた沈黙は、何故かやたらと長く感じた。実際には、ほんの数秒のことなのだろうが。
 トレドの眼光が、鋭くなる。
「お前はアカツキだ。正確に言えば、昔はアカツキだった。……オレが、見間違える筈がねえんだよ」
「でも」
「嬢ちゃん言ったよなあ? 双子かもしれないって」
 リオが言葉を挟むが、トレドはその意をすぐに読み取ったのか、動揺した様子もなくリオに言い返した。
「確かにそうかもな。アカツキには双子の兄弟がいるかも知れねえ。でもな、双子だからって全部が一緒じゃねえんだよ。見る奴が見れば、双子だって見分けはつく」
 トレドの視線が、リオからソルフへと移る。
「お前は、アカツキだ」
「…………」
 ソルフは否定しない。いや、出来ないのか。
 今までの傭兵たちは出会い頭から自分をアカツキだと決め付け、そのまま死んでいった。だがトレドは違う。彼は自分が記憶喪失だということを認めた上で、アカツキだと言っている。
 あながち、嘘ではないのかもしれない。
 自分はアカツキなのかもしれない。
 何にしろ、自分はそれを否定は出来ない。
 今はアカツキではないが、以前はアカツキだったのかもしれない。
 ……どれが本当なのかは、確かめる術などありはしないが。
 ソルフの沈黙に、反論の意がないと見てか、トレドが言う。
「ソルフ。オレはお前が何と言おうと、お前をアカツキとして〈スルーズ〉に連れて帰るぞ。……正直言うと、〈スルーズ〉(オレたち)がお前を連れて帰るのに、理由はそれだけで十分なんだよ」
 トレドの言う理由とは、ソルフが以前――記憶を失う前は、アカツキだったということか。
 ソルフは手で押し退けるようにリオを自分の後ろに下がらせると、棒の先の布を外しながら、トレドに言った。
「悪いな。オレはまだ、死にたくはないんでね」
「…………」
 その言葉に、何故かトレドは呆けたような顔でしばしソルフを見つめ、
「……何か、勘違いしてないか?」
 苦笑いを含めたような調子で、言う。後ろ頭を掻きながら。
「オレたちはお前を連れて帰れって言われてるんだ。殺せとは言われてない。確かに、生死は問わないとは言われたが」
 トレドは一度そこで言葉を切り、ちらりとソルフを見る。
 ソルフの足元には先程までその先端を覆い隠していた布があり、その手には、ようやくその正体を現した赤い長大な槍がある。確か銘は『ノルン』といったか。……トレドはそう言ったが、ソルフはそんなことは知るまい。
 トレドは小さく、嘆息した。
「大人しく連れて帰られてくれる気はない、か。しょうがない」
 そう言い、トレドの目が細まる。
(結局、こうなるか……)
 胸中で呟き、ソルフは構えた。
 こうしていると、自分がだんだんと醒めてくるのを感じる。
 戦闘という興奮状態の中で、何故かとてつもなく冷静でいられる自分がいる。
 血に歓喜するでも、恐怖するでもない、ただ自分の障害となるものを確実に消していこうとする、自分がいる。
(……あんたが、アカツキか……?)
 問うが、答える者がいる筈もない。誰に聞かれるでもなく、その言葉は消えていく。
「アル」
 トレドが言った。
 刹那。
 ガコン。
「……?」
 自分の足元から聞こえてきた妙な音と突然の浮遊感に、ソルフの意識の中から醒めたものが一瞬で消えた。


← 七章   九章 →