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七章 偽りの大罪 -the innocence- X
いつかこうなる日が来るかもしれない。
そういう考えは、確かに頭の中にはあった。
故郷で内乱が始まり、両親が目の前で吹き飛ばされた時にそれを知った。
ライラットに拾われ、『ノルン』を手にした時にそれを思った。
傭兵として実際に活動するようになって、それは常に隣にあった。
だからかはわからない。が……、
「…………」
アカツキは目の前にあるものを、ただ無表情で見つめていた。
涙は出ない。
ただ自分の中が空虚になり、急激に冷めていくのだけを感じる。
そこにいるのは、ティレニアだった。
全身を血と土で汚し、決して目覚めることのない眠りについた相棒が、そこにいる。
おそらく、自分を追おうとしていたのだろう。彼が倒れていたその後ろには、引きずったような跡があった。
アカツキは軽く、彼の頬に触れる。乾いた血と土が、ぼろりと剥がれ落ちた。
木を背にして座り、眠っている彼の体は、夜の冷気よりも冷たい。
「…………」
アカツキは視線を、ティレニアの胸部へと移した。そこは何か――傷口の大きさや背中を貫通していることからみて、刀や剣の類であることは間違いない――に正面から刺されたかのように、服が裂け、ばっくりとその奥が口を開いている。今はもう血が固まって、傷口は塞がれているのだが。
アカツキは小さく嘆息し、視線をティレニアの顔へと戻した。他の者が見ればどう思うかは知らないが、アカツキにはそれが、どうにも「安らかな死に顔」というものには見えなかった。
ライラットの死に顔は、果たしてどのようなものだったのか……。ティレニアに似たものを勝手に想像するが、それは所詮想像だ。アカツキはそれを頭の中から振り払った。
「……間に合わなかったよ。ライラット公は」
アカツキは抑揚のない言葉で、呟くように言う。
わかってはいたことだが、やはりティレニアがそれに反応することはない。
アカツキは続けた。
「全てヴァレンスの思い通りだ。……気に食わないことだが」
そこまで言うと、アカツキは視線をティレニアの膝の上にある右手へと落とした。
その手には、しっかりと短刀――双刀の内の一本――が握られている。
アカツキはそれをしばらく見つめた後、ティレニアの手の中からそれを抜き取った。
わかっていなかったことではないが、やはりティレニアがそれに反応することはない。
「……貰うぞ」
ティレニアに告げるように、囁く。
刹那。
ガキイィィィンッ。
「…………悪いな、ティレニア」
言って、アカツキは視線だけを背後へと移した。
アカツキを縦に二つに分断しようと振り下ろされたらしい一本の剣は、アカツキの左手に握られた『ノルン』の柄によってその動きを止められている。どうやら、先の音はそれらしい。
「どうやら、まともに弔ってやる時間はなさそうだ」
アカツキが、自らの背後にある男の姿をみとめ――だがティレニアに向かい、言う。
背後の男は、今の不意の一撃が受け止められたことに多少驚きを感じてはいたようだったが、それをあからさまに表に出すようなことはしなかった。予想の範囲内、ということなのだろう。
何せ今目の前にいるアカツキという名の男は、自分と同じか、もしくはそれ以上の実力を持った傭兵なのだから。
顔の下半分を黒い布で覆い隠した、以前見た時とはあまり変わっていない――あえて違いを挙げるならば、以前よりも染み付いた血の臭いが増していた――格好のウルミエは、こちらを見るいつもよりもさらに感情の色が欠如したように思えるアカツキの赤い瞳をただ見ながら、そして言った。
「……やはり、気づいたか」
「…………」
ウルミエの言葉に、アカツキは答えない。ただ無言で『ノルン』を振るい、剣と共にウルミエを後退させ、立ち上がる。
アカツキはティレニアの短刀の片割れを、腰のベルトに差し込んだ。
ウルミエはその黒い瞳に微かに歓喜の色を混ぜながら、アカツキに言う。
「ライラット公の最期はどうだった? アカツキ」
「…………」
今は亡きギルド長ライラット・フォン・スルーズは、〈スルーズ〉に所属する傭兵の全てから尊敬され、彼に対する思いに関して言えばアカツキもウルミエも大差ないものであったはずなのだが、それでも今ウルミエがこうして笑みを浮かべているのは、やはりヴァレンスの影響か。いまやウルミエは、完全にヴァレンスに陶酔しきっている。アカツキにはウルミエが何故ヴァレンスを支持するのか等は、知りたくもないことではあるのだが。
ともかくアカツキは、そこから一歩も動くことなく、ただじっとウルミエを見ていた。
全く反応を示さないアカツキが面白くなかったのか、ウルミエは興が醒めたとでも言うように、小さく舌打ちする。
「…………お前が殺したのか?」
「……ん?」
ぼそりと、ようやく口を開いたアカツキの言葉に、ウルミエは眉をしかめた。
「何だ?」
「……ティレニアもお前が殺したのか? ナセルと、同じように」
その言葉に、一瞬ウルミエは返す言葉をなくした。が、
「……はっ。何を言ってるんだ? お前ほどの奴なら、傷口を見ただけでそれが何によってなされたものかぐらいわかるだろう? ティレニアの力を考えれば、その辺の雑魚傭兵ではなくオレが殺ったことぐらい察しはつくはず。……まさか、相棒の死を目の前に目が曇ったか?」
ウルミエはそこまで一気に言うと、嘲るような視線はそのままに、アカツキに言い聞かせるように言葉をゆっくりと吐きながら言った。
「そうだ、オレだ。ティレニアを殺したのは」
「……そうか」
だがアカツキは明らかに挑発と取れるその言葉に動じることもなく、小さくただそれだけを呟いた。
顔を伏せ、『ノルン』を腰の辺りで地面と平行に持ち、腰を落とし体勢を低くして、言う。
「誤解しているようだがら言っておく。おそらくあんたが殺ったんだろうという予測は、傷口を見た時にすぐについた。ただ……」
そこまで言うと、アカツキは、伏せていた顔を上げた。
「ただ、確認したかっただけだ」
「っ!!」
ウルミエが、今までに一度も見たことのないアカツキの表情に――その目の色に、一瞬体を震わせる。
いつもと違った。
ナセルを殺した時とも違った。
いつもとはどこか違うと感じていた先ほどまでとも、また違った。
感情の、何一つ無い色。
抑えつけているのではなく、もともと「無」であったかのような、そんな色。
だがその中に、激しい炎を燃え上がらせている色。
氷の炎を――
「ちっ!」
ウルミエは全身から冷や汗が吹き出るのを感じつつも、それを制することが出来ずに、ただ本能に任せて大きく十歩分ほど後ろに跳んだ。
(……くそっ。何なんだ!?)
胸中で毒づく。心臓の高鳴りは、しばらく治まりそうになかった。
今まで自分の立っていた場所を貫くように、アカツキが『ノルン』を構えてそこにいる。
「…………」
ただ無言で、変わらぬ瞳で、アカツキがこちらを見る。
(殺らねば……)
ウルミエは、本能的にそう思った。
もともとこの戦闘は、アカツキが勝とうとウルミエが勝とうと……どちらが生き残ろうと、計画に支障をきたすようなものではない。アカツキが生き残ることは今までの計画通りであるし、ウルミエが生き残ったとしても、先の戦闘で奇跡的に生き残り、その上罪人を捕らえたということで――たとえこれについて疑う者がいたとしても裏にはヴァレンスがいるのである――勲章ものである。
ウルミエはヴァレンスにそう聞かされていた。
そして、確かにその通りだと思った。
……あの時は。
ウルミエは汗で湿った手を外套の下の服で拭くと、改めて剣を握る。
(殺らねば……殺られる!!)
手にいつもより力が入り、柄が掌に食い込むが、ウルミエはそんなことには気づいていない。
いくら自らの尊敬する人物に「お前は死んでもかまわない。むしろ死んでくれたほうが助かる」などと言われ、その時自分がその言葉を受け入れたとしても、実際に死と隣り合わせの状況になれば、やはり一つの生命体として、最優先されるのは自己の命を守ることである。
それはただの一般市民であっても、腕の立つ傭兵であっても、変わることはない。
ウルミエは、アカツキの右側に回り込むように駆けた。
(槍は巨大だ。突きならば速いが、斬りならばオレの剣の方が速い!)
予想通りというか、アカツキは腰を上げ、突きではなく斬りの体勢に入る。
刹那。ウルミエの剣とアカツキの『ノルン』が交差する。
ガキイィィィンッ!!
重い金属音が響き、後にはギリ……という擦れ合う音が続く。
互いにそれほど体力の差が無いのか、二人の間で交わった剣と『ノルン』はその一点から動く様子もない。
「……っ!」
ウルミエは歯軋りした。
いつまで、この状態を続けるか。隙を見せれば、こちらが殺られるのは目に見えている。機をうかがわねば。
(オレは、生きる……!!)
火事場の馬鹿力というやつか。ほんの少し、ウルミエの剣が『ノルン』を押し返した。
刹那。
「!?」
急に、後ろに引いたアカツキの左足がずるりと滑る。ここ三、四日間雨は降っていない。だが足元の土は明らかに多量の水分を含んでいた。おそらく、血である。
アカツキは倒れないように重心を変えてどうにか踏みとどまった。が、
ごぎっ。
「……!」
何か硬いものが折れるような嫌な音が響き、アカツキが痛みに一瞬目を見開く。
見ると、『ノルン』を持った両の手のうち右の手首が、妙な方向に曲がっていた。滑った時に体勢を崩してしまったのがいけなかったらしい。
「!」
勝機とばかりに、ウルミエがアカツキの懐に踏み込んでくる。
勝負は、これで決まる。
刹那。
ズブ……。
金属同士のぶつかる音はしない。あるのはただ手応えと、新しい血の臭いと、鈍い音だけ。
「…………がっ!」
「…………」
咳き込むように血を吐いたのは、ウルミエの方だった。見るとその背からは、一本の銀の刃が突き出している。
『ノルン』ではない。『ノルン』はアカツキの右手に、かろうじて掴まれている――決して握っているのではない――ような状態である。
その手に握られているのは、腰に差していた、ティレニアの短刀だった。
「これはオレじゃない。……ティレニアだ」
アカツキが、低い声音で呟く。
ずるりと短刀を引き抜くと、ウルミエは剣と共に、そのまま地面に倒れた。
アカツキは短刀を軽く振って刀身に付いた血を飛ばすと、またそれを腰に戻した。
「……!」
顔をしかめ、右腕をぎゅっと握る。ウルミエの剣を完全にはかわすことが出来なかったのか、さらに一つ増えた外套の裂け目からは、じわりと血が染み出してきているのがわかる。
アカツキは視線を、ウルミエへと戻した。
まだ微かに息はあるようではある。だがもう少しすれば死ぬだろう。
そんな者に何を言っても、無駄であるとは思ったのだが。
アカツキは、口を開いた。
「生きてやるよ」
呟くように、だが、はっきりと。
「お望み通り、何処までも……な」
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Photo by Natuyumeiro