← 三章 五章 →
四章 偽りの大罪 -the innocence- U
フェンサリルは、大陸中央に位置するフォルド公国北西端の、深い森に囲まれた町である。
円の形にその住宅街は広がり、その中心部には巨大な建物が居を据えている。
『多国籍傭兵ギルド〈スルーズ〉』。それがその建物の名である。
〈スルーズ〉がフェンサリルに居を据える理由はここがその設立者であるライラット・フォン・スルーズの故郷だからと言う噂もないわけではないのだが、現在の最も有力な噂はフェンサリルが『女神の館』という意味であるから、と言うものである。
だが所詮は噂であり、それが必ずしも真実と言うわけではない。
ただ、そこに住まう者――得に〈スルーズ〉に所属する傭兵ではなく彼らを相手にして商売を行っている一般人――としてはそう信じたいのだろう。ここは女神に守られている、と。
(女神なんてものよりは、死神だと思うけどな……)
ぼそりとアカツキは、胸中でぼやく。彼の言う死神とは、おそらく自分たち傭兵のことなのであろうが。
フェンサリルの中心街からそれほど離れてはいない場所にある安アパートの一室で、アカツキはぼんやりと、それほど大きくはないたった一つの窓から空を眺めていた。
ベッドと小さなテーブルが一つあるだけの、簡素な部屋である。お世辞にも綺麗とは言い難い色をした壁に背中を預け床に座り込んだ体勢で、小汚い天井を見つめるよりは外を眺めたほうが幾分良いだろうという、そのような理由だけで首を窓の方に傾ける。
時刻は昼を少し過ぎた頃だった。
空が青い。
そこに漂う雲は、人工的に作られた絵の具の色よりもはるかに白く感じられる。
……まるで穢れを、知らないように。
コツン。
「…………」
アカツキが一瞬、眉をしかめる。
いっそこのまま眠ってしまおうかと思い始めた頃である。仕方があるまい。
アカツキはそのまま無視を決め込もうとも思ったのだが、彼の気分を害した当の本人は、それを許してくれる様子は微塵もないようだった。
コツン。
再び何か――おそらく小石かその類であるとは思うのだが――が窓に当たり、薄い窓ガラスを小さく振動させる。
「…………」
アカツキは無言のまま立ち上がり、窓の方に近づく。それは自分の安眠のためと言うよりは、次の攻撃で確実にあの世逝きになりそうな哀れな窓ガラスのためである。
「おい、お前」
窓を開けて下――ここは二階である――を見ると、アカツキの言葉はそこで途切れた。
正直、予想出来なかったことではない。
と言うよりは、確実に予想は出来ていた。
アカツキの家の窓に小石を投げつけるなど、悪趣味な罰ゲームでもない限り、まずする奴はいないだろう。
別にそのような悪戯をしたら、アカツキがその犯人を血祭りにあげる、などと言うものではない。だがアカツキは、ほんの数人を除く全てのアカツキを知る人間にそのように思われているのも事実である。
窓の下の通りには、一人の男がいた。美しいプラチナのような髪を腰の辺りまで伸ばした、笑顔の似合う二十代半ばの男である。
彼の手には、――さっき窓に投げつけたものであろう――小石が数個、握られていた。アカツキが出てこなければまだ投げるつもりだったのか、彼は少々残念そうな笑顔を浮かべて、小石をその手の中で弄んでいる。
「ちょっと、話さないか?」
彼はこちらの機嫌が悪いのにもかかわらず――あるいはそれはすでに察しているがただ気にしていないだけなのか――、こちらが文句を言うよりも早くその用件を笑顔を曇らせることなく口にした。
アカツキは一つ小さく長くため息をつくと、明らかにうんざりとした口調でその名前を口にした。
「……ティレニア」
ティレニア。
身長百八十七センチ、体重七十五キロ。
髪はプラチナのような銀髪で、何を思ったか知らないが、腰の辺りまで伸ばしている。だがその理由は、自分とは明らかに違うはずだった。自分も肩の辺りまで髪を伸ばしてはいるが、それはただ単に切るのが面倒くさいだけであり、それ以外の何ものでもない。彼の場合は、どちらかと言うと、女を引っ掛けるためである。悪く言うならば。
満月のような金色の瞳は多少切れ長ではあるのだが、どこか柔らかい光を放っていた。それがまた、女にモテる理由の一つなのだろうが。
今アカツキの隣を歩いているその男は、アカツキのたった一人のパートナーであった。
ちなみに年はアカツキと同じで二十六。姓がないのは、彼もアカツキと同じ戦争孤児だからである。ただしティレニアは、アカツキよりももっと昔にその両親を亡くしている。
その腰には、刃渡りおよそ三十センチの短刀が二本、吊るされていた。彼の武器である。
そしてアカツキの手にはいつものように、刃の部分を布で覆い隠された巨大な赤い槍――『ノルン』が握られている。
ティレニアの金の目が、『ノルン』を捉える。
「……なあ、アカツキ。いつも思うんだが」
「…………」
「散歩の時ぐらい、『ノルン』を置いてきたらどうだ?」
「何故だ?」
きっと、アカツキはその赤い瞳だけをティレニアに向けた。普通の人間ならば、それだけで恐怖に身を縮ませ、動けなくなるような視線である。
だがティレニアはその刺すような視線を全く気にすることなく、相変わらず温和な笑みを浮かべ、そして言った。
「この町は安全だぞ。多分」
「だがお前もいつも、その短刀を持っている」
「えーと……」
ティレニアがその笑みを、困ったものに変えた。
二人は無言で、町を進む。
数秒して、ティレニアは意を決した。つまり、彼が言いたかったのは、
「そうじゃなくてだな。オレが言いたかったのは、『ノルン』は大きくて邪魔にならないかってこ」
ヒュッ。
「…………」
アカツキは無言で、ティレニアを睨みつける。今度ははっきりとティレニアの方に顔を向けて。
先ほどまでと何が変わったというわけでもない。
ただ『ノルン』の布を巻かれた先端が、ティレニアの咽喉元にある、というだけだ。
ただ、それだけ。
「ああ……悪かった」
ティレニアがため息混じりにそう言い、軽く両手を挙げる。するとアカツキは、すぐに『ノルン』を彼の咽喉元から離した。右手に、初め持っていたのと同じように握り直す。
一瞬止まった歩みを、二人はすぐに再開した。だが、
(……空気が、重い……)
あんなことを言うべきではなかったと今更な後悔をしながら、ティレニアはそう思う。後悔とは、いつも手遅れなものだ。
ティレニアはさらに、胸中で毒づく。
(だいたい、アカツキのあの反応は初めからわかってたことじゃないか。こいつは『ノルン』を一番大事にしている。……なのにオレは、一体何をしてるんだ? 確かに前々から気になって、一度は言ってみたいと思っていたことだが……)
「ティレニア」
「……ん?」
名前を呼ばれて、ティレニアは顔を上げた。いつの間にか俯いてしまっていたらしい。
彼の名前を呼んだ当の本人はというと、先ほどのことをティレニアが思っていたほどには気にしていないのか、それとも表情に出さないだけか……。ともかく、いつもの無表情でそこにいる。
「話がある、と言っていたな」
「…………」
その言葉を聞いて、ティレニアの顔からふっと笑みが消える。今までそのこと――アカツキをわざわざ家から連れ出したことの趣旨を忘れていた、という風ではない。
今までどうにか誤魔化して、どうせなら趣旨そのものを忘れようとしていた――そういう風に見える。
「……ティレニア?」
流石にその様子を不審に思ったのか、アカツキが眉を寄せる。どんなことがあろうともいつもうっすらと笑みを浮かべていた相棒の、こういう顔を見たことは今まで一度もなかった。
「……アカツキ。ちょっと、そこで待ってろ」
「…………」
言って、ティレニアは通りの端に並べられている簡易テントの群れ――市場である――の方に歩いて行く。ティレニアの姿は、すぐに人の群れの中に消えていった。
アカツキは一人、通りの真ん中で立ち尽くす。
(……ティレニアは、何を話そうとしている?)
考えようとしたが、止めた。聞けば、すぐにわかることである。彼が自分に話さないということは、おそらくない。彼もそれなりに覚悟を決めて、自分を外に連れ出したのだろうから。
少しして、ティレニアは人の群れから出てくる。片手に一つ、紙袋を抱えて。
「またね、ティレニアさん」
「ああ。また今度」
そう言ってティレニアは共に人の群れから顔を出した女――おそらく商人の娘だろう。そんな感じの格好をしている。年はおそらく十八前後――に手を振って、それからこちらを向いた。不意に目が合う。
「……女か」
帰ってきたティレニアに、アカツキは醒めた目でティレニアを見ながら言った。心なしか、言葉もいつもより刺を含んでいる。
「いや、彼女とはさっきそこで会ったんだ。初めて」
勢いでそこまで言って、ティレニアは言葉を詰まらせた。どうやらアカツキのいつもとは微妙に違う視線の意に、気がついていなかったらしい。
冷や汗のようなものを額にいくつか浮かべると、ティレニアは半ば上ずったような声でアカツキに言った。紙袋の中から、りんごを一つ取り出す。
「……食うか?」
「貰う」
アカツキはただ一言そう言って、ティレニアの手からりんごを受け取った。飽くまでも冷ややかな視線のままで。
ティレニアは引きつるような笑みを浮かべながら、袋から自分の分のりんごを取り出す。
二人のどこへ行くでもないあてのない歩みは再開し、アカツキがりんごを一口齧った時、ティレニアはようやく口を開いた。
「アカツキ」
「このりんごは美味いな。どこ産だ?」
「…………」
ぴくりと、ティレニアの頬の辺りが引きつる。
ここは町中だ。派手な喧嘩は出来ない。そう自分に言い聞かせて、ティレニアはアカツキに言った。小刻みに震える拳を隠すようなことはしなかったが。
「知らん。さっきの店の店主に聞け。……お前、オレがようやく心の整理がついて話し始めようっていう時に、よくそういうことが出来るな。空気を読め」
「何だ。まだ決心は着いてなかったのか」
そう言ってアカツキは、りんごを一口齧る。
「おま……」
「緊張は解れたか?」
「…………」
怒鳴り散らしてやろうという思いとは別に、いつの間にか振り上げていた拳を、ティレニアは止める。
アカツキがこちらを向いた。相変わらず、表情のない顔で。
「真剣な顔ならいいが、辛気臭い顔で話をするのはやめろ。オレが困る」
ティレニアにはいまいち、彼の言う真剣な顔と辛気臭い顔の区別がつかなかったのだが、
「……そうだな」
拳を下ろし、ティレニアがため息と共に困ったような笑みを浮かべた。
「妙な噂?」
「ああ」
アカツキの言葉に、ティレニアは頷く。
場所は市場の通りから、公園へと移っていた。かなりの面積と、緑を有した公園である。場所は、町の中心からそれほど離れてはいない。
人は少なくはないが、多くもなかった。その大半は子供とそれに連れられた主婦である。こんな傭兵ばかりの町でも、他の町と変わらないところもある。
それがティレニアは嬉しかった。アカツキはどう思っているかは知らないが。
二人が座っているのは、その公園の中央にある広場の隅に置かれたいくつものベンチの一つだった。大人の男――しかもあからさまに武器を携えた傭兵二人が並んでベンチに座っている図は何とも奇妙な感じだったが、別にそれをどうこう言うような人間はここにはいなかった。
ティレニアが言う。
「どうやらオレたちは来週辺り、大仕事に駆り出されるらしい」
「……それのどこが、妙なんだ?」
アカツキは眉を顰めた。それがSSランクの仕事であれば、別段驚くようなことではない。
「クライアントが誰かわからない……のはいつものことだから良いとして、問題はオレたち、構成メンバーだ」
「……どう言うことだ?」
アカツキのその言葉に反応してか、何かに祈るように組んでいたティレニアの手に、くっと力がこもる。
ティレニアは広場で遊ぶ子どもたちを見ながら、静かにその言葉を口にした。
「所詮噂だ。当てには出来ないが……」
「いい」
「…………。オレとお前。それに、ファザード、ナセル、ウルミエ、クラオン、リアス、ハル、ミュティエ、トゥール、メル……あと、ディン兄弟も加わるとか」
「…………」
アカツキは言葉を失った。
ティレニアが口にしたのは、全て〈スルーズ〉に所属する傭兵であり、その中でも最高の腕を持っているとされる者たちの名である。それが本来のペアをほとんど無視する形で、こうして寄せ集められている。
渇いて張り付く咽喉をどうにかこじ開けて、アカツキは言葉を絞り出す。表情には出さないものの、かなり動揺しているようである。
「それは……」
「本当だろうな。おそらく、としか言いようもないが。ここまでリアルに人名が挙がってきたら、疑うのも難しい」
「…………」
反論出来ずに、アカツキは黙る。いやそもそも、反論のしようなどなかった。
そんなものはどうせ噂だと、軽く流すことすら出来ない。
その噂の後ろに、ある男の影がちらつく。それが、否定できない要素をつくっている。
ティレニアはアカツキに構わず、言葉を続けた。
「他にも気になる点はいくつかあるが、そっちは何とも言えないな。今の段階じゃあ」
「そうか」
アカツキが短く呟く。彼の赤い瞳はぼんやりと、ただ前方を見つめている。……いや、その瞳の見つめるものは、あるいは、その先にある巨大な建物か……。
そのまま数分間、会話のない状態が続く。
「……さ、帰るか」
言って、ティレニアが立ち上がった。日は、もうすでに沈み始めている。
「これが本当なら、何かが起こる。……それだけは、確かだ」
ティレニアが、公園の出口に向かい歩き出す。アカツキもそれに続き、ベンチから腰を上げた。
夕日が眩しい。
逆光のせいで、ティレニアの顔が見えない。彼は笑っているのか、それとも……。
深い森である。今は昼間であるが、それでも薄暗い。木々の間から漏れる光が、どうにか周囲を照らし出している、というような状態である。
その中を、人間が十三人。全て体をすっぽりと覆うような丈の長い外套を身につけていて、個々の間をそれほどあけることなく、同じ方向に進んでいる。
フェンサリルの町を出て、まだそれほど時間は経っていなかった。おそらく五時間ほどか。
無言の、ずっしりと重い空気が彼らの周囲にだけ渦巻いている。
「何や皆さん、辛気臭いなあ」
その空気を無理やり振り払うように声を上げたのは、その集団の後ろの方を歩いている一人の男だった。
明るい茶色の髪をした、年の頃二十歳――あるいはまだ十代か――といったようなまだ幼さの抜けきれていない男である。その背には、深緑色の外套の上から自身の身長よりも大きい巨大な戦斧がくくり付けられていた。身長は、およそ百七十三センチ。これでも長身の方だとは思うのだが、どうもこの集団の中では、彼はかなり小さく見えてしまうようである。それはやはり、他の者たちの身長が軽く百八十を越えているからか。
「…………」
先ほどの彼の言葉には誰も反応することなく、その集団は黙々と目的地を目指して歩いていく。
「えーっと……」
独特な口調のその男は、いつも顔に張り付いて離れない笑みを困らせたものに変える。額にいくつか、冷や汗のようなものを浮かべて。
不意に、彼の肩に何者かの手が触れた。
「ナセル」
その声に彼――ナセルと呼ばれた――が振り返ると、そこには彼の肩に手を触れた主であり、今は彼の仕事仲間である男がいた。
「……ティレニアはん」
ナセルは、その男の名を呟く。もともと彼の肩に触れたのが誰かなどということはナセルにはわかっていたのだが、改めてそれを確認してか、ナセルは安心したようにため息をひとつついた。
ティレニアはナセルの頭を軽くぽんっと叩きながら言う。
「まあ、しょうがないさ。皆ピリピリしてるから」
「…………。ティレニアはん」
「何?」
「そないに頭ぽんぽんして……わてのこと、子供や思うてるやろ!?」
「いやいや、そんなことは」
笑顔で誤魔化して、ティレニアはナセルの頭の上から手を退ける。
ナセルはしばらくそんなティレニアを不審そうに見つめていたが、やがて視線を前方に戻した。
自分の前を行く、数人の外套に包まれた背中を見ながら、言う。
「……まあ確かに、しゃあないと言えばしゃあない。今回の仕事は、何もかもがおかしいわ。妙や思うてわてらの仕事全部管理しとるはずのツァンクの親父さんに聞いてみたけど、親父さん、だんまりを決め込みおった。知らんっちゅうことかいな? まったく、どうなってんのや? ……それにもう一つ気になるんが……」
「十三人」
ティレニアではない声が間に割って入るが、ナセルはそれには全く注意を払わずに後を続ける。
「せや、わてらいっちゃん腕のええ奴らを十三人も集めて、一体どないな仕事やっちゅうねん。大体十三っちゅう数字が気に入らんのや。不吉な臭いぷんぷんや」
ナセルはそこで、言葉を止めた。単に言いたいことを全て言い終わっただけのことかもしれないのだが。
ナセルが後ろを振り返ると、そこにはティレニアと、もう一人人間がいた。
黒い外套を纏い、それと同じ色の髪を首の後ろで束ねている男。その瞳は異様なほど鮮やかな赤で、身長はナセルの頭一つ分ほど高い……、
「ありゃ、アカツキはん。……いつからいましたん?」
「さっきからいた」
「ああ、さいですか」
一応驚いてはいるのだろうが、あまりそのようには感じられない口調で、ナセルが言う。ただし、顔にはいつものように笑みが張り付いていた。彼にとっては、それが普段の表情である。
じっとアカツキを見つめて、ナセルは言った。
「アカツキはんは、何で笑わへんの?」
「…………」
アカツキは何も答えない。だがその瞳は、確かにナセルの目をじっと見つめていた。いつもにんまりと笑っている、糸のようなナセルの目……。
そんないつもとは明らかに違う――いつもならば冷たい一言を添えてすぐにそっぽを向くものだ――アカツキの行動に気づくとこもなく、ティレニアはナセルに言う。彼の頭の上に、手を置いて。
「ナセル、アカツキに対してそれを言うのは、愚問だ」
「あーっ! ティレニアはん、また頭ぽんぽんしてはるーっ!」
二人の間で、小さな騒動が起きそうだった。
刹那。
「……どうしたら」
「「…………え?」」
ナセルとティレニアの言葉が、ぴたりと重なる。
その場だけ、やけに時の流れが遅く感じられた。
言葉を発したのは、アカツキである。
「笑うには、どうしたらいい?」
「……………………」
言葉を失ったのは、どちらかと言えばティレニアの方だったかもしれない。
ともかくその場に、静寂が訪れた。
アカツキの口から発せられるなどとは、到底思えない言葉である。
数秒間金魚のように口をパクパクと繰り返し開閉させた後、ティレニアが発した第一声はこれだった。
「ね……熱でもあるのか? アカツキ」
「ない」
アカツキは即答する。しばしして、
「……オレがこんなことを言うのは、可笑しいか?」
「ああ」
真面目な顔で頷くティレニア。
アカツキは眉間に皺を寄せて言った。
「何で?」
「っ!!」
まさかアカツキの口からこのような言葉が出てくるとは思ってもいなかったのか、衝撃のあまりティレニアが数歩分後退する。実際には、進行方向へ進んでいるのだが。
「だって……いくらオレが言っても、聞かなかったじゃないか……!」
その顔にはっきりと動揺の二文字を浮かべてティレニアは言うが、アカツキはいたって普通に、普段通り無表情に言った。
「お前がいつも『笑え』と煩いから、オレは今ここで聞いているまでだ」
「…………」
再び口をパクパクさせ、言葉を失うティレニア。
彼は全く相手に出来ないと判断したのか、アカツキはその視線をナセルへと移した。
身長差のため、自然と顔は下を向く。
ナセルがむすっとした口調で言った。
「……上から人を見下ろすのは、気分ええか?」
「別に。……見下ろされたくなかったら、お前がでかくなれ」
「…………!!!」
アカツキの言葉にナセルが驚愕の表情を浮かべ――ただし目だけはしっかりと笑っている――、その場にうずくまった。
「あ、悪魔や……。悪魔がおる……」
「何でもいいが……。ともかく答えろ」
「……それが、人に物を頼むときの態度っちゅうもんかいな?」
じとっと、恨みがましい視線――やはり目は笑ったままだ――で、ナセルがアカツキを見上げる。
アカツキは無言のまましばらくナセルを見つめていたが、そのアングルがとてつもなく精神的に衝撃を与えたのか、ナセルの目に涙と思われる雫が溜まったのを確認すると、アカツキはしょうがなく口を開いた。
「……こ、答えて……下さい……」
そのアングルと表情は、全く変わることはなかったのだが、
(……まさかあのアカツキはんが、こないなことに執着するやなんて……。よっぽどティレニアはんの『笑え』言うとったのが、気にかかってたみたいやなあ)
ナセルは胸中で呟くと、小さくふっと笑って立ち上がった。涙の跡は、微塵もない。
(嘘泣き……?)
アカツキは胸中でそう呟いたが、実際には口に出さずにじっとナセルを見つめる。
「しゃあない。わてが笑い方教えたる」
そう言って上機嫌で、ナセルはアカツキの肩をぽんっと叩く。
「せやなあ……じゃあ、まず試しに笑ってみ?」
「……ナセル」
「ん?」
「どうやったら、笑えるんだ?」
「えーっと……?」
アカツキの言葉の意味がいまいち理解できなかったのか、ナセルが眉を寄せる。
ナセルの肩に、誰かの手が触れた。
「ナセル。それは愚問だと言っただろう?」
言わずもがな。ティレニアである。
ナセルは半ば助けを求めるように、ティレニアの方に首を回した。
「ティレニアはん……あんさんの相棒はんには、一体どこから教えたらええんや?」
「そうだなあ。まずは、顔の筋肉の動かし方から、かな?」
ティレニアは、顔に満面の笑みを浮かべて言う。何が楽しいのかは、アカツキには理解出来なかったが。
「〜〜〜〜〜っ!!!」
ナセルが頭を抱えて唸る。それを見てアカツキはようやくティレニアの笑みの意味を理解した。ナセルは自分を悪魔と言ったが、どちらかと言うと、ティレニアの方が悪魔である。
「……しゃ、しゃあない」
顔を上げて――うっすらと汗のようなものが浮かんでいるようにも思えるのだが――、ナセルが言った。
「まずは……せや。口の端をこう、にーっと……わてみたいにやな……ほれ、やってみ?」
「…………」
しばらくアカツキは黙っていたのだが、
「……こうか?」
……………………フッ。
「っ!!!!!!!!!!」
ずざざざざざざっ!!!
そう音を立てて後退――もとい前進――したのは言うまでもない。ティレニアとナセルである。
「どうした、ティレニア?」
彼らの異常とも言える変化を妙に思ってか、先行していた傭兵が数人、振り返る。
「……………………」
彼らとアカツキの目が合った時、彼らが言葉を失くしたことは、言うまでもないことであるのだが。
← 三章 五章 →
Photo by Natuyumeiro