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   二章 男 -his name is- U


 空を見上げると、そこには無数の星と半分に欠けた月の姿があり、辺りを明るく照らしている。その光にぼんやりと浮かび上がっているのは、町外れにある工業用地の倉庫の群である。
 時は午後九時。約束の時。
 ソルフは一人、そこにいた。
 ただし、服装は昼間と多少違う。着ているのは黒のT‐シャツではなく、体にぴったりとフィットした袖のない黒のシャツだった。それに例の黒い革のパンツと、合成樹皮の頑丈そうな黒のブーツ。つまりは、彼がはじめに着ていた物である。
 そして黒い革の手袋のはめられた手には、例のごとく赤い巨大な棒が握られている。
 かたん。
 まだ冷たさを含む風が吹くのと同時、背後で何か板切れでも動いたような音がした。コンテナの上に積まれた物でも、風で動いたか。
 ……否、
「遅い。待たせるな」
 ソルフが、昼間とは違う冷たい声で言う。それに反応してか、背後で影が動いた。
 そこから、声。
「何を言うか。死ぬまでの時間を少し延ばしてやったのだ。感謝してもらいたいな、アカツキ」
 その言葉に、ソルフの眼光が鋭くなる。
「オレは、アカツキなんて奴じゃない」
 ソルフがその手に握った赤い棒の、その先端の布を剥ぎ取った。




 倉庫の隅に隠れるようにして、リオはじっとソルフの様子を伺っていた。無論このことはソルフにも内緒なわけで、自分がここにいることは彼にも他の人間にも気づかれてはならない。
(アカツキ……あいつが?)
 握った手に、じんわりと汗がにじむ。
 アカツキという名前は、仕事の関係で聞いたことはあった。ギルドの長と仲間を殺し逃亡を続けている、大罪者。
 だが、ソルフがそうであるというのか? どこからか現れた男――だろう、おそらく――の言うことを鵜呑みにすれば、そういうことになる。
「オレは、アカツキなんて奴じゃない」
 ソルフが言う。その声に、リオは身震いをした。昼間とはまったく違う、感情のこもっていない冷たい声。
 ばさ。
(……?)
 何かが落ちたような音がして、リオはほんの少しだけ顔を覗かせた。ソルフの足下に、何かの塊のようなものが転がっている。
 布である。
 リオはその布が元あった場所を思い出すと、ソルフの手に握られている赤い棒のその部分を探した。
(あれは……)
 リオが胸中で、感嘆の声を上げる。予想通りというか、何というか……。
 その布に隠されていた部分は月の光に反射して、金属の輝きを放っていた。
(ソルフの奴、一体どうする気なの……?)
 リオが眉をしかめ、胸中で呟く。
 ソルフの身長――ゆうに一九〇センチはある――に匹敵する巨大な槍が、ソルフの手の中にあった。




 ぐ……と、黒い革の手袋を手にはめ込む。
「ちょっと! これはどういうことなのよ!?」
「あれ?」
 背後からもの凄まじく怒っているような――実際怒っているのだが――声がして、ソルフは振り返った。
 玄関の靴箱の上に置かれている一見してアンティークとわかる微細な彫刻の掘り込まれた木製の時計の針は、午後八時を示している。
 脅迫状――でいいだろう。あれは――に記されていた時間の、そのちょうど一時間前である。
「言ってなかったっけ?」
「何を!?」
 いつもと変わらない緊張感のない様子で言うソルフに、リオはさらにイライラをつのらせて言う。
 すぐにでも家を出ようとしていた――それは格好を見ればすぐにわかる――ソルフは、靴箱とは反対側の壁に背中を預けるようにして立つと、さらりとこう言った。
「オレ、追われてるんだわ」
「は……?」
 さっきまでいきり立っていたリオは、急に腰を折られたように目を丸くしてただそう呟いた。ソルフの口から出てきた単語――その意味がわからないという様子で。
「だ……誰に?」
「知らん」
「…………」
 そこでリオが、ぷっつりと言葉を切る。しばしして、
「知らんってどういうことよ、知らんって!」
「だってオレ記憶喪失だし」
「ああ、そっか」
 しらっと答えてくるソルフの言葉に、妙に納得して頷くリオ。
「でも」
 リオの口調が変わる。昼間に垣間見せた、冷たく鋭い口調。その目もどこか、冷たく光っている。
「どうするの?」
 視線をソルフの持つ赤い棒から、その赤い血のような目へと移す。
「行くんでしょう?」
「ああ」
 ソルフの口調も、先ほどとは微妙に違う。暗く沈んだ……そんな感じ。
「行って……殺す」
 その言葉に、リオがぴくりと眉を動かす。多少震えたようにも聞こえるような小さな声で、
「それ以外に、方法は……」
「ない。逃がせば次に痛い目を見るのは、こっちだ」
 そこで言葉を切ると、ソルフはドアノブに手をかけた。回して、ドアを開ける。不思議と音はなかった。
 背中越しに、ソルフは小さく呟くように言った。
「お前は、ついて来るなよ」
 そしてドアは、閉じられる。静かに、音もなく……。




 リオはソルフが家を出る前の会話を思い出していた。その時確かに彼は言ったのだ。殺す、と。
 それを言った時のソルフを思い出して、リオの握る手に力がこもる。あれは本気だった。冗談ではない。
(あいつ……やっぱり、殺す気なの?)
 それでも問いただしてしまうのは、やはり、昼間のソルフがそういう人間には見えなかったからか。
 刹那。リオの目の端で、ソルフに向かい影が飛び出すのが見えた。




 ガキイィィィンッ!
 金属のぶつかり弾ける音と共に、人影が弧を描くように宙を舞う。それはソルフの正面にあるコンテナの上に、静かに降り立った。
「やはり、そう簡単に近づかせてはくれない……か」
 呟くように言い、人影は立ち上がった。その姿をほんの少しだけ、月の光が浮かび上がらせる。
 ソルフの目の前に立っているのは、黒装束に身を包んだ男だった。身長はおよそ一八〇センチ。痩せてはいないが、太ってもいない。口元を布で覆って隠しているためにはっきりとした年齢はわからないが、その声からおそらく三十代前半だと推測できる。
 そしてその手には、一本の大剣――俗に「クレイモア」と呼ばれる両刃の――が握られている。その剣の柄の先端には、この男が『多国籍傭兵ギルド〈スルーズ〉』の者であることを示す紋章が掘り込まれている。
 男はそれを、ゆらりと構えた。ソルフはしばし黙ったまま男を見つめ、そして、
「ちょっと、聞いてもいい?」
 先ほどとはまるで違う――まるで昼間のような緊張感のない口調でソルフは言った。
 男が、眉をひそめて言う。
「……何だ?」
 ソルフは槍を構えることもせず、むしろ隙だらけのような格好で言った。
「オレ、何であんたらに追われてるわけ?」
「……………………っな!?」
 ソルフの言葉に眉をピクリと動かししばし沈黙した後、男は小さく声を上げた。手に持った大剣がカタカタと震え、男の顔が朱を帯びていく。
 男は食いしばった歯の隙間から絞り出すようにしてソルフに言った。
「貴様、忘れたのか?」
「何を?」
 本気でわからないというような口調で、ソルフが言う。
 ソルフのその態度がよほど頭にきたのか、男は目を血走らせ大声で叫んだ。
「貴様のした、裏切りのことだっ!!」
 ぐおん……、と周りの倉庫やコンテナがあまりの声の大きさに反響して音をたてる。その音に手で耳を塞ぎ眉をしかめていたソルフは、ゆっくりと耳から手を離しながら言う。
「裏切り……?」
 男はある程度落ち着きを取り戻したのか――それでもまだかなり怒気しているようではあるが――声を先ほどよりはいくらか抑えて言った。
「貴様は長を殺し、仲間を殺し……恩を仇で返したのだ!!」
「…………」
 ソルフは男をじっと見つめる。その赤い瞳には、特に何の感情もこもってはいなかった。
 ソルフが静かに、口を開く。
「悪いな。知らん」
 その言葉に、男はふっと口元を歪ませた。布の上からでも、はっきりとわかるほどに。
 笑いを含んだような口調で、男は言った。
「飽くまでそう言い張るか、アカツキ」
 男の構える大剣は、もう微塵も震えてなどいない。
 男の夜空のような群青の瞳が、ギラリと光った。
「貴様の首は、オレが取るっ!」
 言って、男は足場を蹴り、ソルフに迫る。
「オレはアカツキじゃない。……さっきも言っただろうが」
 ソルフの赤い瞳が、闇に光った。




 なにやら言葉を交わした後、その戦闘は始まった。
 互角――ではない。圧倒的にソルフが男を圧している。
 元々、ソルフの槍の間合いが男の持つ大剣の間合いより広いのだ。男はソルフの間合いに入る前にその槍で弾き出される。
 だが男はそれだけで終わらせる気はないのか、後方に勢いよく飛ばされながらも、その身を包んでいる黒い外套の下から投擲用ナイフを二本取り出し、ソルフに向かい投げつける。
 カィンッ。
 槍の柄に軽い音をたてながら地面に叩き落とされたのは、その内の一本だけだった。もう一つはソルフの左頬をかすめ、浅くその肉を裂く。だがソルフはそれに動じる様子もなく、男を自らの間合いに入れるために、一歩踏み込んだ。
(何あれ……)
 リオは倉庫の隅に隠れたまま、その光景をじっと見つめる。自分の意思に関係なく、その目と口を大きく開いた――つまりは呆然とした状態で。
 ゴウンッ。
「!!」
 背中を伝わる振動にびくりとしながらも、思わず言葉を出してしまいそうになった口を反射的に手で覆い、リオはその身を強張らせた。
 今の振動は、おそらくソルフか男か――まず間違いなく男の方であると思うのだが――がこの倉庫に激突したものに違いない。その衝撃が、リオのいる側面にまで伝わってきたのだ。
 さすがに顔を出してその光景を確かめるわけにもいかず、リオはようやく振動の治まった倉庫の壁に背を預けた。
 口から手を離し、音にならないよう小さくゆっくりとため息をつく。
(あいつ一体、何なのよ……)
 はじめソルフを拾った時から、妙な男だとは思っていたのだが……。そう、付け加える。
 ソルフの体の動きは、素人のものではなかった。完全に玄人のものだ。ただしそれがもと――記憶を失う以前からのものなのか、それとも今の逃走過程で身に付いたものなのかはリオにはわからなかったが。
 ガキイィィィンッ!
 刃同士がぶつかる音がして、リオはその背を壁から離した。音の反響具合からして、今二人が刃を交えているのはこの倉庫の群れに囲まれた空き地――でいいのかどうかわからないが――の中央付近に違いない。
 リオはその様子を見ようと、空き地の方に向き直る。確かにその中央で、ソルフと男は対峙していた。……いや、あれは対峙というには、あまりに近すぎる。
(何が起こって……、っ!?)
 急に、自分の口を手が塞いだ。だがそれは自分のものではない。大きい、黒い革の手袋に包まれた、血の臭いの染みついた手。
 リオはその手を外そうと男の手首を掴むが、力が強すぎでびくともしない。
「姉ちゃんは、アカツキあいつの仲間かい?」
 すぐ後ろで、声。この場の空気にはあまり似つかわしくない、酒気でも帯びているかのような、陽気な。
その直後、急に視界が霞み、意識が朦朧としてくる。
(! 薬!?)
 頭では何とか理解できても、体の力は徐々に抜けていく。
「いや、違うか。でもまあここにいるってことは、少しは知ってるんだよな?」
(……一か八か……)
 男の声はもとよりほとんど聞こえてはいなかったが、聞こえていたとしても大して意味はなかった。
 リオはまだ微かに力の入る指を動かし、自分の耳元に触れる。そこにあるのは、小さな紫水晶のイヤリング。
「まあ、どちらでもいいさ」
 イヤリングを多少力任せに耳から外し、そこでリオの手は完全に力を失った。落ちる手とともに、イヤリングが地面に落下する。
「あんたには――まあ、使えるかは知らんが――餌になってもらう。大丈夫。妙なことはしねえよ」
(お願いだから……)
 ふっと、視界にかかる霧が濃くなり、完全な闇となる。
(気づきなさいよ、ソルフ……!)




 大剣は槍に叩き落とされ、男の腹からは銀色の刃が生えている。
 自分の腹に刺さっているものを見て、男は言った。その声には、もうすでに先ほどまでの覇気はない。
「この、短刀は……」
 刃渡りおよそ三十センチのその短刀を見て、男はそう言った。短刀の柄には、男の大剣――それにソルフの槍についているものと同じ、盾の前で交わった二本の剣が描かれている。
「ん?」
 ソルフは小さくそう言う。男はしばし短刀を見つめてから、その視線をソルフへと移した。
「貴様……ティレニアという男を、覚えているか?」
 その群青の目は、何かを訴えているようにも見えたが……、
「知らんな」
「……そうか」
 男はふっと、――どこか諦めにも似た――笑みをこぼす。
 ソルフは男を冷たく見据えながら、言った。
「もう一人は?」
 ギルドの連中は、常に――例外もままあるが――二人一組のペアで行動している。そのことを念頭に置いての、質問だったのだが。
「さあな。あいつとはどうしても馬が合わない。この町に入った時から別行動だ」
「……そう」
 ぼそりと呟き、ソルフは男から短刀を抜いた。ずるりという音とともに男が力を失い、その場に倒れこむ。
(ティレニア。お前のパートナーは、変わってしまった……)
 自分から離れて行くソルフの足音を聞きながら、薄れゆく意識の中で、男は今は亡き同僚に言葉を捧げた。
(やはりあいつは……アカツキは、あの時お前が殺しているべきだったのかもしれない……)
 これは、真相を知らない者の言葉。
 この世界に今生きている、ほとんどの者の言葉。
 ……仕方のないことなのかもしれない。
 今全ての真相を知っているのは、『多国籍傭兵ギルド〈スルーズ〉』の長と、アカツキという名の男だけなのだから。




 ソルフは無言でその場を離れる。後ろで倒れている男は、おそらくもう警戒する必要もないだろう。
 ソルフは簡単に、今回の事を頭の中で整理する。それでわかったことは、
(追手はやっぱりギルドの人間ってこと、か)
 それと、どうも自分は「アカツキ」という名の罪人に間違われているらしいこと。これは……まあ、前々からわかっていたことではあるのだが。それよりも、
(……ティレニア?)
 誰かの名前なのだろうが、自分には全く心当たりがなかった。記憶喪失であるのだから、仕方のないことではあるのだが。
 だが確かに、男はそう言った。ティレニアという男を覚えているか、と。
 この、今は腰に吊った鞘に納まっている、短刀を見て。
 ……がっ。
「……?」
 倉庫を一つ曲がったところで、ソルフはふと立ち止まった。今、何かを踏んだ気がする。石……ではない。
 ソルフはその場に――男はああ言っていたが、もう一人がこの辺りに潜んでいないとも言い切れないため、かなり危険な行為であると半ばわかってはいたが――しゃがみ込むと、今自分が踏んだと思われる物体を手に取った。
 紫水晶の、イヤリング。
 ふと、ある女の顔が浮かび上がる。
「バーカ」
 ソルフは昼間の口調で――だが決して笑うことなく、そう呟いた。


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Photo by Natuyumeiro