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十一章 現在 -solkf- W
真横に槍を振る。
相手はそれをしゃがんで避け、踏み込み、こちらを貫くべく刀を突き出してくる。
体を半歩右へ回転。同時、槍の柄が刀と接触。刀が持ち主の手を離れ、天井近くまで舞い上がる。
後は――、
「!?」
ソルフは、息を呑んだ。
いない。こちらに踏み込んできたと思ったあの時から、〇.五秒も経ってはいない。
トレドが、そこにいない。
ソルフは慌てて、体をひねった。ほぼ同時に、わき腹に強烈な痛み。体が後方へと飛ばされる。
ドゴァッ。
ぶつかったのは、トレドが初め座っていた木の箱だった。一つが壊れたことでバランスが崩れたのか、周りの箱がソルフの頭の上に積み重なるように落ちてくる。
飛ばされる瞬間見えていたのは、わき腹にめり込むトレドの足だった。あそこで体をひねっていなければ、確実に背骨をやられていただろう。
「…………」
ソルフは無言で、すでにいくつかはただの木片と化した木の箱を除けながら立ち上がる。
トレドはこちらが立ち上がるのを待っているのか、先程の場所から動くこともせずこちらを見ている。その手にはすでに、刀が握られていた。
抜き身のままの刀で肩を叩いて、トレドが言う。
「何だ。この程度か? やっぱりお前は、アカツキじゃなかったってことか?」
その言葉の終わらぬうちに、ソルフは駆け出した。トレドが、刀を肩から降ろす。
刹那。
ヒュンッ。
「……!?」
左頬を、風が掠めた。
少なくともトレドは、そう感じた。
だがそれが違うことを、一瞬遅れて理解した。
切れた髪が落ちる。左頬が裂け、そこから血が流れ落ちる。
「……外した」
背後から、ぼそりと、ソルフの呟く声。
「!」
トレドが振り向く。同時、刀は半円を描き、突きの姿勢のままこちらに背中を向けているソルフへと襲い掛かる。
ガキイィィンッ。
響いたのは、金属音。だが、それだけではなかった。
ギリ……と、互いに擦れ合う嫌な音が響く。
正面には刀の刃、そしてそれと交わるように槍の柄、そしてその向こうに、
「くっ!」
トレドは小さく毒づくと、一度刀に力を込め、その反動で大きく後退した。後ろには、先程ソルフが倒れていた、崩れた木箱の山がある。
トレドの額を、冷や汗が伝う。
槍の向こうにあったのは、温かみも冷たさもない、温度の全く感じられない血のような赤い瞳。
自分の中に確かに生まれた恐怖を無理やり押さえ込むように、トレドは口の端を吊り上げて、呟くように言った。
「何だ……やっぱり、アカツキじゃねえか」
「…………」
それが聞こえていたのかはわからないが――聞こえていたとしても反応は大差ないようにも思えるが――、ソルフは相変わらず無言で、トレドを見据えている。
気が付けば、今肩で息をしているのはトレドの方だった。ソルフは息一つ乱した様子はない。
刹那。
「!」
ソルフの姿が消え、次の瞬間にはその姿がトレドの真正面にある。距離は、息がかかるほどにも近い。
(馬鹿な! この距離で、『ノルン』は使えな……!)
瞬間、トレドはその意を読み取って上へ飛んだ。眼下には、虚しく空を切るソルフの足。
トレドはそのまま天井を蹴り、ソルフの後方へと着地した。肺がやたらと酸素を欲しがり、汗が全身からどっと噴き出し、視線をソルフから離すことが出来ない。
情けないことだと思った。自分はソルフを見ているのではない。ソルフから目が離せないのだ。自分の意思とは関係無しに、まるで、恐怖という鎖に体を絡め捕られてしまったような。
……悔しいが、どうにも出来ないらしい。
トレドは汗で濡れた左手を服で擦ると、刀を持ち直した。
「…………」
無言でゆっくりと、ソルフが振り返る。
……そして、消えた。
刹那。
ガキイィィンッ。
金属同士のぶつかる音が、部屋に響く。
「くっ」
トレドが小さく毒づき、距離を取るため後方に飛んだ。そしてすぐに、左右に走りながらソルフに向かう。
それを見てか、ソルフが腰を低くした。槍を、左右のどちらでもなく、あえて言うならば真ん中に、その刃と柄が一直線になるように固定する。
(突きでくるか)
トレドは静かに、胸中で呟いた。先程よりは、どうやら少し落ち着いたようである。
槍の間合いへ、後一歩。
(……オレは)
槍が、こちらに向かい伸びる。
瞬間、トレドの視界ががくんと揺れた。体勢を崩したらしい。だがお蔭で、必殺の一撃は避けることが出来た。服は少し、裂けてしまったようであったが。
だが、こんなところでぼやぼやしているわけにはいかなかった。二撃目が、来る前に――
(オレは、お前を連れて帰んなきゃならねえんだ!!)
胸中で叫び、崩れた体勢から無理矢理体を起こし、思いっ切り床を蹴る。
ザシュッ。
「…………」
鈍い音と、何かを斬ったという確かな手応え。ソルフもトレドも無言。部屋に、血の臭いが広がり始める。
一つは、トレドの刀から。
もう一つは、
ヴ……ン。
重く風を裂くような音とともに、槍が半円を描いてトレドに迫る。
トレドはそれをしゃがんで避け、そのままくっと方向転換した。ソルフに向かい、駆け出す。槍での防御は間に合わない。
(これで、仕舞いだ……!)
ガキイィィンッ。
「!?」
トレドが息を呑む。
自分の刀は、ソルフに触れてはいなかった。
カタカタと小さく震えながら、刀がその刃を交じらせているのは、刃渡り三十センチほどの黒い柄の短刀だった。
その短刀を持つソルフの左腕を伝って、赤い雫が流れ落ちる。
「その腕で……よくやるな、お前は」
トレドが額に汗を浮かべながら、苦笑混じりで言う。
ソルフの腕は――その二の腕は、ばっくりと裂けていた。血が次々と溢れ、もはやその腕は赤く染まりつつある。
おそらく、先のトレドの攻撃によるものか。とすればトレドの刀に付いていた血は、間違いなくソルフのものだった。
流石のソルフも、小さくではあるが、息を荒げている。
「……これは」
トレドが、小さく呟いた。自らの刀と押し問答をしている短刀をしばし見つめ、トレドは一瞬戦いを忘れたようにふっと笑みを漏らした。
「ティレニアの刀……。なるほど。お前が持ってたのか。通りで片方見あたらねえと思ったよ」
言って、距離を取るようにトレドは後ろに飛んだ。
ソルフはトレドのことなど構わず、ただじっと自分の左手に握られた短刀を見て、呟いた。
「ティレニア……」
それは、その人の名を呼ぶと言うよりは、その言葉を確かめているように聞こえた。
だからか、トレドが言う。
「ま、記憶喪失だもんな。知らなくて当然、か」
「…………」
ソルフは、それには答えなかった。嫌な顔も……表情を変えることすらせず、短刀を腰の鞘に収める。
その反応は、わかっていなかったわけではなかった。だがトレドは小さく嘆息すると、言った。
「……まあ、いいか。行くぞ!」
再び駆け出し、ぶつかり合う金属音が部屋に響く。
薙ぐ槍をどうにかかわし、ソルフの頭を飛び越え、着地する。瞬間、今思い出したとでも言うように、頬から頬にかけての皮膚が裂け、血が流れ落ちた。
振り向きながら刀を振ると、それは迫っていたソルフの槍と交わる。
(……何だ?)
刃を交えながら、トレドは胸中で呟いた。
おかしい。少しずつではあるが、ソルフの動きについていけなくなっているようにも思えるし、腕に伝わってくる衝撃が大きくなってきているような気がする。
(オレが弱くなってる? ……あいつが、強くなってるのか?)
ふと胸中で問い、
刹那。
メゴギッ。
「がっ!?」
横腹に、何かがめり込む。
確かに避けた筈だった。刃は。
横腹にめり込んだのは、赤く塗装された槍の柄。
トレドはそのまま横に吹き飛び、
「っ!」
トレドは息を呑んだ。
正面に、並ぶように横に飛びながらソルフがいる。
(避けられねえ……!)
思うのと、ソルフの膝が鳩尾に入るのとは、ほぼ同時だった。
ドガッ。
「……っ!!」
体中に激痛が走る。腹の痛みも凄かったが、特に酷いのは頭だった。脳を直接殴られたような、そんな衝撃。後頭部をかなり酷く打ったらしい。切ったのか、頭から首を伝い、生ぬるい血が流れる。
ずるりと、トレドは壁を背にしてその場に座り込んだ。
それがいけないのはわかっていた。わかっていたが、体が言うことをきかない。
落としてしまったのか、左手に刀はなかった。
「く……そ……っ」
ガタガタと震える手を壁にやり立ち上がろうとするが、上手くいかない。
刹那。
ガッ。
「…………」
硬いものを砕くような、刺さるような音が耳元でし、頬を風が掠めた。
トレドは動かず、目だけを動かしてそちらを見ると、そこには冷たい銀の輝きがあった。それから伸びる柄を目で追うと、自分の正面に立っているソルフと目が合う。
何の感情もない赤い瞳と、疲労の色が濃く出た黒い瞳がしばし交差し……、
トレドはふっと笑うと、力が抜けたようにずるりとその場に腰を下ろした。
「オレの、負けだな……」
まだ微かに息の上がった声で、トレドが言う。
トレドは一度目を閉じ、呼吸を整えた。
数秒の沈黙の後、口を開く。
「なあ、アカツキ……」
ゆっくりと目を開け、
「そこにいるんだろ!? 出て来いよ! なあ!」
トレドが叫ぶ。
それに反応してか、今まで全く変化のなかったソルフの顔が――その眉が、ピクリと動いた。
小さく口を開き、言う。
「あんた、何言って……」
「うるせえよ。オレは今お前の中のアカツキに言ってんだ。少し黙ってろ」
「…………」
トレドの目がギロリとソルフを見、彼は低い声音で言った。トレドの黒い瞳に呑まれるように、ソルフが言葉を失う。
トレドはそれを確認してか、視線をソルフの目の、その奥に戻して再び叫んだ。
「なあアカツキ! どうしてそんなとこに隠れてる!? 出てきてオレに、文句の一つでも言ってみろよ!!」
「…………」
だが、やはりソルフは何も言わない。
トレドはしばらくその赤い目を睨みつけていたが、嘆息とともに目を逸らし、呟いた。
「……ちっ。オレじゃ不満ってか?」
(それとも、アカツキはもういねえって……そう、言いたいのか?)
ふと、そういう思考が脳裏を過ぎり、トレドの視線が視界の隅にいたリオを捕らえた。同時、またあの映像が脳裏に浮かび、そして消える。
トレドは視線をソルフに戻すと、再び嘆息して言った。
「……殺される前に、一ついいか?」
「行かねえぞ」
「わかってるって」
即答するソルフに、トレドは苦笑で答えた。彼が拒絶するならば無理矢理にでも連れて帰ろうと思ってはいたが、やはり自分では力不足だったようである。今の自分では、ソルフを黙らせることはおろか、傷を負わせることすら出来ないかもしれない。無駄な足掻きをするつもりはなかった。
トレドは小さく深呼吸すると、笑みを消し、ソルフを見て言った。
「お前、何処まで逃げるつもりだ? ……いや、何時まで逃げられると思ってる?」
「?」
その意味がわからずに、ソルフは眉を顰めた。
トレドは続ける。
「今お前を追ってるのは、わかってると思うが、全て〈スルーズ〉の傭兵だ。他のギルドに事件のことを嗅ぎ回られると、面倒なんだろうな。内輪で済めば、それでいいと思ってるらしい。……まあ、確かに面倒事は避けたいわな」
そこでトレドは言葉を切った。
少し間を置いてから、再び喋り始める。
「まあ、お前がこのまま―― 一ヶ月か、一年か、それ以上か……まあ、そんなのオレの知ったことじゃないが――逃げ続ければ、内輪じゃ済まなくなることだけは確かだ。だいたいあの事件で、〈スルーズ〉はお前も含めて十三人も優秀な傭兵を――腕のことをとやかく言わなかったら、そりゃもう〈スルーズ〉の傭兵の何分の一かを失ってるんだ。人材不足がわからないほど、ヴァレンスだって馬鹿じゃないだろう。今だってお前にはかなりの額の報奨金が懸けられてるが、いずれその十倍……いや、下手すりゃ何十倍もの金がお前の首に懸けられることになるだろう。そうなればお前は、〈スルーズ〉だけじゃない、この世界にいる傭兵全てから追われることになる」
そこで話は終わりなのか、トレドはそこで言葉を切った。
しばし互いの視線が交差し、先に口を開いたのはソルフだった。
「だから?」
「?」
今度はトレドがその意味がわからずに、眉を顰める。
ソルフは言った。
「だからあんたはオレに、『早く〈スルーズ〉に戻れ』って言いたいのか?」
「それは違う」
本気でそう言いたいのか、トレドが体を前に乗り出そうとして言う。実際は、微かに前に揺れただけだったが。
ソルフは全く口調を変えず、トレドを見下ろして言う。
「だったら何だ? 悪いが、オレにはそんなこと一切関係ない。オレはアカツキじゃない。ソルフだ」
その言葉に、一瞬トレドの目は小さく見開かれ、彼はふっと表情を緩めて言った。
「……そうだな。お前には、何一つ関係のないことだ。これはアカツキの問題だ。ちゃんと面と向かってあいつに言わなきゃ、意味がねえ。……悪かったな。さっきのは、忘れてくれても構わない」
その言葉にソルフはこれといって反応を示しはしなかったが、トレドはそれでも十分だった。反応がなくとも彼がちゃんと聞いているということは、わかっている。
トレドは肩の荷が下りたように息を漏らすと、胸中で呟いた。
(そうだ。これは直接言わなきゃ意味がねえ。……たとえそこで聞いてても、だ)
「……他に何か、言うことはないか?」
唐突にソルフの声がし、トレドは閉じかけていた目を開いた。まさかソルフが、そのようなことを言うとは思ってもいなかったのである。
トレドは口の端で微笑んで、言う。
「何だ? 遺言でも聞いてくれるのか? あいにくオレには、遺言を残すような大層な相手はいないんだが……」
元より、先の会話の後すぐに殺されるものだと思っていたために、そのようなものは考えてもいなかった。トレドは何か考えるように、しばし視線を宙を泳がせる。
呟くように、言った。
「……一つ、頼んでもいいか?」
「何を?」
トレドは微かに皮肉な笑みを浮かべて、言う。
「お前に嬲り殺す趣味がないと信じたいが……念のために。一発で、楽に逝かせてくれ」
「…………」
了解という意味か、ソルフは答えない。
「お前なら、それが出来るだろう?」
トレドは、ニヤリと笑って言った。
「ソルフ」
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