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   十章 現在いま -solkf- V


 キリがなかった。
 ここの何処にそんな場所があるのかは知らないが、次から次へと新たな傭兵が姿を現す。この場に充満する殺気は、少しも薄らぐことがなかった。
 これでも少しは前進していると思うのだが、何せこの闇の中、おまけに風景の変化に乏しい地下牢の中である。どれほど自分たちが進んだのかは、検討もつかない。
 もともと、何処にトレドとアルヴィカがいるであろう場所があるのかすらわからないのである。下手をすると、そこから遠ざかっていることもあり得た。
 そういう状況と疲労とで、リオの不満は頂点に達する。
「本当にこっちで合ってるんでしょうね!?」
 両手に握られた銃の引き金を交互に引きながら、リオが叫ぶ。
 銃から放たれた弾は、全て傭兵たちの足や腕、肩を貫いた。致命傷ではない。故に死にはしないが、このまま戦いを続けることはおそらく不可能だろう。リオにはそれで十分だった。
 ソルフが、槍で傭兵をなぎ払いながら言う。
「オレが知るか」
「……まあ、そうなんだけど」
 当然と言えば当然の返答に、リオがげっそりとした面持ちで答える。
 刹那。
「!」
 ヴ……ン。
 重い空気を裂くような音とともに、目の端に現れた傭兵が一瞬で姿を消す。
 それがソルフのものだとすぐにわかって、リオは額に汗を浮かべたまま苦笑して言った。
「……ありがと」
 ソルフは間合いに入り込もうとした剣を持った傭兵を肩口から斬り倒しながら、こちらを振り向くこともなく冷たい声音で言う。
「甘いな。出来るだけの腕はあるだろうに」
 その言葉に、リオが少々むっとした様子で言う。
「あるからわざと外してるのよ。さっき油断したのは、自分でも馬鹿だったと思うけど……。無益な殺生は、したくないんでね」
「それが甘いんだ」
 ソルフが言う。
 リオはその声に――周囲を取り巻く殺気よりもその声に、悪寒を覚えた。あの夜聞いたものと同じ、感情の全く感じられない声。
(……いくら聞いても、慣れないわね)
 ぼそりと、胸中で呟く。
「殺らなければ殺られる。それがこの世界だ。それにどうせなら、一瞬であの世に送ってやった方が楽でいいだろう?」
 その言葉に、リオがぴくりと反応した。自分でも何故だかはわからないが、自然と語調が強くなる。
「私はそうは思わないわ。殺さなければならないのかどうかはその場の状況なんかによるんでしょうけど……生きられるのなら、生きた方がいい」
「どんな重症でも?」
「そうね。本人が生きたいと望むのなら」
「そう望んでいるかどうかなんて、あんたにわかるのか?」
「そう望んでいないかどうかが、あなたにわかるの?」
「…………」
 結局これは、個人の考え方の違いに過ぎない。
 このまま問答を続けたとしても、答えは出そうにない――そう思ったのか、ソルフはそこで言葉を切った。
 正面に現れた傭兵をなぎ倒すと、通路が開ける。
「行くぞ」
「……ええ」
 とりあえずリオに声をかけ、走り出す。リオも二発ほど撃った後、こちらを追ってきたようだった。少し遅れて、リオの気配が近づいてくる。
「……情報屋、だっけ?」
 呟くように、ソルフが言う。
「そうだけど、何?」
 先ほどの事を根にでも持っているのか、リオが不機嫌さ満点の様子で言う。
「……何で隠してた? 別に」
「良くないわよ。外に漏れると厄介なことになりかねないから」
「オレが漏らすって言いたいのか?」
 天井にでも張り付いていたのか、突然上から降ってきた傭兵を槍で叩き落とし――斬り落としながら、ソルフが言う。
 一方リオはがっと足を止め振り返ると、追ってきた傭兵に向かって銃を撃ちながら言う。
「漏らさないとも限らないでしょう?」
 ソルフは、しばし沈黙し、
「……ヤな女」
 ぼそりと、おそらく彼女には聞こえていないであろう小さな声で呟く。
 が、
「どうも。褒め言葉として受け取らせてもらうわ」
 嫌味にしか聞こえないような口調で、リオが言う。
「……地獄耳」
「何か?」
 気が付けば、リオがすぐ隣でお世辞でもにこやかとは言えない笑みを浮かべて、こちらの顔を覗き込むように見ている。
「……何でも」
 ソルフは呟き、そして見つけた。
 目の前にあるのは、延々と続く闇……ではない。
 かと言ってそれは、行き止まりでもなかった。
 闇の中ではどうもわかりにくい、黒く塗られた、鉄の扉。
「どうやら方向は、間違ってなかったみたいだ」
 ソルフは口の端を吊り上げ、小さく笑って言った。




 それほど広くはない。が、狭くもない部屋。
 暴れ回るには、これくらいの広さがあれば十分だと彼は思っていた。
 ……いや、そもそも彼は手合いなどしたくはないのだが、先程までの相手の反応やらを見る限りでは、それは避けられそうもなかった。
 覚悟していたこと、ではある。
 だがどこかに、初めから諦めの気持ちもあったのかもしれない。彼が他人の話を素直に聞くような人間でないことは、よくわかっているつもりだ。
 だが、
(……まさか、記憶喪失とはなあ)
 嘆息する。あくまで胸中で。
 リオからその言葉を聞いた時、正直馬鹿げたことだと思った。そんなことは信じられない……いや、何故かそれを信じようとしている自分もいたが。
 だがその疑念も、実際に彼に――ソルフと名乗るアカツキに出会って、確信に変わった。
 彼は、アカツキではない。
(オレの知ってる限りじゃ、アカツキが気を許してるのはライラット公とティレニアだけだ。……何で、オレは駄目なんだろうなあ? 部屋向かいだったのに。……ともかく、あいつがアカツキならあんな嬢ちゃんにあそこまで気を許す筈……)
 そこで言葉は途切れ、脳裏には十数分前に見た光景が蘇る。
(あれは確かに、ティレニアだった……?)
 そう思う。だがそれに自信がないのか、トレドの言葉はあやふやだった。
「…………」
 静かになった……そう思い、顔を上げる。
 灯りは、アルヴィカが持って降りたランプの光だけだった。部屋全体を照らすにはその光量は少なすぎたが、それもでも十分である。
 ぼんやりと、トレドの対角線上の壁に黒い鉄の扉が浮かび上がる。
 その向こうに、二つの気配があった。
(来たか……)
 胸中で呟く。
 別に、彼が外の通路にいる傭兵たちに倒されることを望んでいたわけではないし、彼があの程度の輩にやられるとははなから思っていない。ただ彼らが志願したから、ささやかながらチャンスを与えてやっただけである。
 だがトレドの言葉に微かな嘆息が含まれているということは、やはり少しは期待していたのか。戦いたくないという自分が。
(……いや、やる時はやるさ。オレも。……オレが)
 言い聞かせるように呟き、
 ぎぃ……。
 それほど重そうにも見えないが、錆び付いていたのか、嫌な音を響かせながら扉が開く。
 そこには二人の人間が立っていた。
 今更何を言うまでもない。ソルフとリオである。
 トレドは微笑を浮かべると、壁際に敷き詰められた木製の箱の上に座り、頬杖をついたまま言った。
「思ってたより遅かったな。アカツキ」
「オレは」
 ソルフはいつものように、瞬時に訂正しようとする。だがそれに、トレドは笑って返した。
「わかってる。ソルフ、だろ? でもいいじゃねえか。アカツキで」
「…………」
 トレドにはこれ以上何を言っても無駄だと悟ったのか、それともやはり否定出来ない思いがあるのか、ソルフはそれ以上何も言わなかった。
 そのソルフの反応に満足でもしたのか、トレドはふっと小さく息を漏らすと立ち上がった。左手には、黒い棒――刀の鞘が握られている。
 五歩ほど近づき、鞘で肩を叩きながらトレドは言った。
「オレは正直、お前とは戦りたくねえ」
「刀持って言う台詞か」
 ソルフは言うが、トレドは全く聞いていないようだった。
 昔を懐かしむような遠くを見る目で言う。
「ガキの頃の訓練で、お前に勝ったことなんて一度もなかったからなあ」
「じゃあどうする? 手を引くか?」
「いーや」
 どうやら、今度はちゃんと聞いていたようである。
 トレドは天井からソルフへと視線を移し、真顔で言った。
「ただ、もう一度聞いておきたくてな。……オレと一緒に来い、アカツキ」
 それは質問というよりは、命令だったのだが。
 ソルフの声音が、低くなる。
「何度も言わせるな。答えはNOだ」
「……なあ、アカツキ」
 多少口籠もるように、トレドが言った。
「さっきも似たようなことを聞いた気がするんだが……まあいい。お前、〈スルーズ〉に行ったらどうなると思ってる?」
「殺される」
 当然としか思えないそのソルフの言葉に、トレドは何故か苦笑した。
「だろうと思ったよ」
「?」
 それに眉を顰めたのは、ソルフではなくリオだった。当のソルフは、ただ無表情でトレドを見つめている。
 トレドはもとよりソルフの反応らしい反応など期待してはいなかったのか、言葉を続ける。
「単刀直入に言う。オレと一緒に来れば、お前は殺されない。……オレが、殺させない」
 そのどこか決意を秘めたような言葉に反応したのは、ソルフでもリオでもなく、トレドの後ろに立っていたアルヴィカだった。伏せていた顔を上げ、その鋭い碧眼でトレドを見据える。
「どういうことだ?」
 言ったのは、ソルフだった。
 トレドはそれに答える……と言うよりは、独り言でも呟くように言った。
「お前がティレニアや……ましてライラット公を、殺す筈がないんだ」
 トレドの黒い瞳が、鋭い光を放ち、
「オレは、お前が犯人だとは思っていない」
「トレド! やはり貴様……異端者か!!」
 その叫びとともに突然流れ込んできたのは、背筋の凍るような冷気――それに似た殺気だった。
 出所は、トレドの後ろの壁に背を預けるようにして立っていたアルヴィカ。だがそこに、すでに彼女の姿はなく――
「……アル。少し黙ってろ」
 ぼそりと呟き、トレドは拳を振り上げた。
 その手に残るのは、確かな感触。
 ゴ……ッ。
「がっ!」
 背後の壁に背中から勢いよく激突し、アルヴィカが沈黙する。その手から、カランと一本のナイフが滑り落ちた。
 トレドはそれを横目で見ながら、胸中で独りごちる。
(まさかアルが、ねえ。……まあ、それもそうか)
 オレは異端者だからと、その言葉を、トレドは飲み込んだ。
 自分のような考えを持つ者は異端者と影で呼ばれ、その疑いのある者には長の命で――あくまで秘密裏に――監視が付く。
 ただの噂だと思っていたが、どうやらそれは真実だったようである。現にアルヴィカは、トレドの監視役だった。先の言動を見ればわかる。
 アルヴィカはトレドの言葉に反応し、彼を異端者として抹殺しようとした。
 だがトレドは、自身を異端者だとは思っていなかった。むしろ異端者と言う者の方が異端者である。……いや、多数の中の少数は、やはり異端者なのか。
 たとえそれが、真実に近くても。
 話の腰を折られたからか、トレドが一つ、大きくため息をついてから言った。
「……あの事件は、明らかに仕組まれたものだった。オレはそう思っている。……まあ、考えればすぐにわかることだ。同ギルド内で殺し合いになるような仕事、管理側が引き受ける筈がねえ。直接管理の人間に聞いてもみたが、やつらだんまりで通しやがった。仕事にあれだけ誇りを持ってるツァンクも、だ。ってことは、金か何かで口止めされてるってことだろう。それも上の……」
 トレドはそこで、言葉を切った。数秒ほどソルフを見据え、口を開く。
「ヴァレンス、だな?」
「…………」
「って、言ってもわかんねえよなあ。記憶喪失なんだから」
 答えないソルフに、トレドは後ろ頭を掻きながら、皮肉に笑って言った。
 だがその笑みも、すぐに消える。
「ともかく、だ。オレみたいに思ってる奴は、他にも何人かいる。オレたちはヴァレンスの罪を暴いて、あいつを長の座から引き摺り下ろす……つもりだが、何しろ相手が相手だからな。証拠が何も残ってない。だからオレたちは、あの場にいて唯一生き残ったお前を捜してた。どうやら接触できたのは、オレが最初らしいが……」
 そこでトレドは、再びふっと表情を緩めて言った。
「記憶喪失じゃあ、どうしようもねえよなあ」
「……何度も言うな」
 ぼそりとソルフは呟いたが、聞こえていなかったのか、それとも単に無視したのか、トレドはそれには全く反応することなく話しを続けた。
「だが、〈スルーズ〉に戻れば何か思い出すかもしれない。そうでなくても、お前が無事に――自分の意思で、なら、もっと効果はあるんだが――帰ってきたってだけで、ヴァレンスにはかなりのプレッシャーになる筈だ。お前がいれば、オレたちも心強いし……」
 す……っと、トレドがソルフに向け、右手を伸ばす。
 その仕草はかなり芝居がかってはいたが、トレドの目は真剣だった。
「オレと一緒に来い、アカツキ」
 諭すように、言葉を噛み締めるように、トレドが言う。
「…………」
 だがソルフは、それに反応を示しはしなかった。変わらず無言で、トレドを見つめている。
(……ティレニアも、待ってるんだ……!)
 ギリ、と歯ぎしりし、トレドは胸中で呻いた。但し、彼が待っているのはあくまで土の中で、だが。
 そのまま数秒沈黙が続き、口を開いたのはソルフだった。
「行かない」
「アカツキ!」
 トレドが叫ぶ。だがソルフは、それには眉一つ動かさなかった。続ける。
「何度も言わせるな。オレはその〈スルーズ〉とやらに行く気はない」
「皆、お前を待ってるんだ!」
「関係ない。あんたらが待ってるのはアカツキだろ? オレは、アカツキじゃない」
「…………そうか」
 数秒してトレドは目を閉じると、諦めにも似たため息とともに言葉を吐き、ソルフに向けて差し出していた手を下ろした。
「用は済んだな? オレは行く」
 言って、ソルフは左右を見回した。向かって右手に、ぼんやりと階段が浮かび上がっている。
 ソルフはそちらに向かって踏み出そうとした。
 刹那。
「お前がいくらそう言っても……それでもオレは、お前を連れて帰るぞ。アカツキ!」
「…………」
 その声に、ソルフは振り返る。
 トレドの目は、先程までとは比べ物にならないほどの鋭い光を放っていた。それが怒りから来たものか、何なのかはわからないが。
 視線を下ろすと、そこには刀の柄に触れているトレドの手があった。
 ソルフはトレドを見ながら、淡々と言う。
「……オレとは、戦りたくなかったんじゃなかったのか?」
 トレドが、眼光はそのままに、口の端を吊り上げて獰猛な笑みで言う。
「そうだな。でもお前は、アカツキじゃないんだろう?」
 それにソルフは、全く表情を変えずに答えた。
「そうだな」
 刹那。
 ガキイィィンッ。
 次の瞬間その部屋に響いたのは、金属同士がぶつかり合う音だった。壁に反響したためか、それは脳を揺さぶるように鳴り続ける。
 思わずそれに顔をしかめ、両の手で耳を塞いだままリオは数歩後退した。背中には、自分たちが入ってきた黒い扉。おそらくもうあの傭兵たちは追ってはこまい……ならばここが、一番安全である。
 ……いや、
(この部屋にいる限り、安全なんてものは無いのかもね)
 すでに諦めたように、静かに胸中で呟く。
 刹那。
 ドゴッ。
「はいっ!?」
 突然右のわき腹を掠めるようにして飛んできたものを、リオはそれが何だかを確認する前に体をひねって避けた。当然のように、それは壁に激突する。
「…………」
 恐る恐るそちらに目をやると、そこにいるのはソルフだった。
 いつもと変わらず無言で、無表情で、そこに座っている。
 否。いつもとは違った。
 あれから一分と――まして三十秒も経っていない。なのにソルフは息を乱し、その皮膚には傷が付いている。
 腕の傷から一筋、血が流れ落ちた。
 三日前のソルフでは考えられなかったことである。
 腕が落ちたか、それともトレドが強いのか。
 ともかくリオは、ソルフの隣にしゃがみ込んだ。
「ちょっとあんた、大丈」
「お前」
 リオの言葉などはなから聞く気はないのか、ソルフが言葉を遮るように言い、その赤い瞳がリオを向く。
「割り込もうとか、絶対に思うなよ」
「わ、わかってるわよ」
 立ち上がり、再びトレドに向かい駆けて行くソルフを見て、リオは言った。
 ガキイィィンッ。
 再び響く、金属の音。
 リオの目は微かな残像を捉えるだけで、二人の動きに完全についていくことは出来なかった。
 腕が、我知らず自分の体を抱きしめる。どうやら自分は、震えているらしかった。
 リオは口の端にどうにか笑みを浮かべながら、胸中で呟いた。
(割り込もうと思っても、割り込めないわよ。こんなの……)
 その声が涙声に聞こえたのを、リオは無言で叱咤した。


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